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「ほら」
一撃必中で狙ったものを手にして射的屋の厳つい顔の店主に笑っていない笑顔で見送られた後、店の脇に移動したところで谷田部は戦利品を三好の手に渡した。
マグカップに目覚まし時計、そして最後に谷田部が落としたのは三好の手にもすっぽり収まる小さな万華鏡だ。ぬいぐるみや何かのかわいらしい雑貨の中に混じって目を惹いた、精緻な銀の装飾が施された細い筒。安っぽさのないどころか凝った綺麗な造りのそれに三好は少し戸惑った顔で小首を傾げる。
持ち弾二つで三好の選んだものを、残り一発は谷田部自身のためのものだったはずだ。
「僕がもらってもいいの?」
「…おぅ」
不思議そうな表情にぎこちなく頷いてみせ、谷田部は首筋に手をやった。三好は大きなつり目がちの瞳を伏せがちに万華鏡の銀の装飾を指先で辿るようにし、ぽつりと言う。
「…誰かにあげるために取ったかと思った」
「はあ?」
思いも寄らない言葉に谷田部は目を見開いた。
万華鏡とか、確かに男が貰って喜ぶものではないかもしれない。しかし棚に並ぶ景品の中からそれを選んだのは、筒の側面を飾る三日月型の紅玉髄が三好の纏う色彩に重なったから。気付けば狙いをつけて引き金を引いていた。面積の少ない円筒は難しい位置にあり支えになっていた台座はしっかりしたものだったので、僅かでもポイントがずれれば揺れもしなかっただろうが――結果的にそれは棚から弾かれて落ち……あの瞬間の店主の顔はしばらく忘れないだろうと思う。
それはともかく、つまりは三好のことを考えて手に入れたそれなわけで。
「誰かに、って言うなら三好以外にいねえけど」
「え?」
「は?」
きょとんと丸くなった三好の目に谷田部は一瞬固まり、口元を隠す。間違えた、と思った。
「……いや、…他に渡す奴とかいねぇから。やっぱ万華鏡とか趣味じゃねえよな」
ぼそぼそと紡がれた言葉に三好は小さく首を振り、淡い笑みに瞳を緩やかに細める。
「……ううん、…ありがとう」
そっと、暴力とは程遠いきれいな細い指先が柔らかく赤い月を撫でた。
心臓がどくり、大きく強く脈を打つ。
触れたい、と思った。表情に、仕草に、言葉一つにどうしようもなく惹き付けられる。
無防備な笑顔を浮かべる幼さの残る頬に、喧嘩沙汰とはまるで無縁の白い指先に、――触りたい。
衝動に動きそうな手を戒めるために谷田部は拳を握り―――しかし次の瞬間力を抜いて、首を捻った。何かが足りない。
ほぼ同時、三好もふと気付いたようにきょろり辺りを見回す。
「ふたりは?」
「…あいつら、どこ行った」
いつもならとっくに絡んできているはずの青年二人の姿が見えない。
「どうしたのかな」
表情を曇らせる三好の背中をぽんと叩いて、心配する必要はないと谷田部は言う。
「ったく、あいつらもどっかフラつくなら一言声かけてけよ」
ため息をついた谷田部のその声が聞こえたかのようなタイミングで谷田部と三好のケータイが鳴った。
届いたのはここにはいない二人からのメール。本文を開いた三好は目を瞬かせ、谷田部は「あのバカ共…」と眉を吊り上げる。
『売られた喧嘩、買った』
『押し売りは叩き返さないとだめっすよねえ。花火までには追い付くんで、三好のことは任せたっすよー』
我慢しろって言ったじゃねえかとケータイを地面に叩きつけたい気分になりながら、谷田部は三好を見た。ちょうど画面から顔を上げた三好と視線が合う。
三好はちょっと戸惑った顔で小首を傾げた。
「逆ナンされた、って…二人とももてるんだね」
「………………そうだな」
そりゃ三好に対して喧嘩してくるとは言えないだろうが、もっと他の言い訳はないのかよ!と谷田部は思った。ついでに普段他人に対する気遣いなんて意識しないような二人だ。三好以外の人間が相手だったなら、自分とは別個にメールを打つなんてマメな行動も取らないよなと思えば複雑にもなった。
眉間に皺を寄せた谷田部を三好は不思議そうに見上げて名前を呼ぶ。
あまい色をした大きな双眸に提灯の灯りが揺らいでいた。
素直で優しくて、頭が回って冷静かと思えば意外な行動力で時々無茶をやらかすから放っておけなくて。ただ友人として気にかけてしまう存在――それだけなら良かった。
だけれど、いつからか会えなければ顔を見たくなり、傍にいれば触れたくてたまらない。
小さな手を引いてほっそりした肩を抱き寄せられたら、と。
「…谷田部くん?」
胸中を読める訳もない三好が黙り込んだままの谷田部の腕を軽く叩く。
妙なところは聡いのに自分に向かう好意には鈍感。他意なく何気ない仕草で三好の方から触れられるたび降り積もる欲は、もう随分前から限界を訴えている。それなのに近くにいられるこの距離を失うことを恐れて一歩を踏み出す度胸がない。
周りの奴らと同じでも、一緒に笑って、傍にいられれば充分じゃないかと。
―――情けねえ。
自分への嘲笑を苦笑に変えてどうにか口端を持ち上げると、谷田部は人波の向こうに覗く境内への階段を指した。
「行くか」
気付けば周囲の人波の動きもどこか慌ただしい。出来るだけいい場所で花火を見たい者たちはもうすでに場所取りを終えているだろうが、ベストポジションに拘りのない人々は開始時刻の迫る中とりあえず見晴らしの良い所を目指して移動を始めていた。
どうせなら狭い間隔で建ち並ぶ屋台の屋根の隙間からよりは、頭上に遮るもののない開いた場所がいい。
人の流れが滞り身動きが取れなくなる前に自分たちも動いた方がいいだろうと谷田部は考えた。花火が上がった時に露店と通行人の只中では落ち着かないし、密集した人混みに揉まれ続けるのは日中倒れている三好が心配であるし。
「連絡よこした以上はあいつらも後で追い付いてくるだろ。先行って待っとこうぜ」


♂♀



少し冷たさの混じりはじめた夜風が吹き始めていた。

境内に続く石段には光源となるものがなく、露店の灯りと階段の一番上で鳥居に吊るされた提灯の灯だけが頼りとなるもので薄暗く、更に右方向は手摺が備え付けられてはいるもののすぐに急勾配の坂になっていて足元はだいぶ覚束ない。
段差で不安定な足場。所々、階段の途中を花火見物の場と定めたらしい人々が足を止めているのも見通しを悪くして危なっかしい。一方通行ならいいが、然程道幅があるわけでもない所を登る人間と下る人間が入り雑じってすれ違うわけだから、気を抜くとぶつかりそうになっている人もいた。
歩調も性格も雑多な群れは規則正しく進むことなく――込み合いを見せる鳥居周辺、最上段に足をかけた時に後ろから追い抜きをかけてきた恰幅のいい男が擦れ違い様三好にぶつかる。前のめりにふらついた細い身体を谷田部が咄嗟に引き寄せた。三好の手から水風船が移ろう光を揺らしながら離れ、石畳の上で爆ぜる。間違っても二人仲良く階段を転げ落ちるわけにはいかないと思えば力が入り過ぎたらしい、勢いよく胸に飛び込んでくる形となった三好を支えたはいいが、谷田部は鳥居の石柱に背中をぶつけてしまう。鈍い音がした。
「…ぃって!」
「ごめん、谷田部くん! 大丈夫!?」
腕を掴む自分よりも大きな手、腰に回った谷田部の腕の中で三好は身動ぐと心配そうに顔を上げる。
風に揺れる吊るされた提灯の下、燈が映り込んだ大きな瞳。薄い身体に添わした腕を離したくないと思った。
「…ごめん。いつも迷惑かけちゃって」
眉を下げて揺らぐ眼で見上げてくるから、谷田部の体温が上がる。
謝られることじゃない。迷惑なんて思ったこともない。いつだって助けになりたいと思うのは、目で追ってしまうのは、放っておけないという感情と同じくらいずっと前から抱えた欲があるからだ。
筋肉どころか肉付きもない細身の体躯は華奢であれど、女みたいな柔らかさを持つわけでもなく。
谷田部くん、と紡がれる声は柔らかくて少し高く響くけれど少年のそれで。
どうしたって自分と同じ男なのに。
ずっと前から分かってる。何度も何度も考えて自分に言い聞かせてきた。
でも――もう駄目だった。
「…悪い、三好」
「え、谷田部くん!?」
絞り出すような声音で一言詫びた谷田部は戸惑う三好の手を引いて、人目を避けるように社務所の裏手へと駆け出した。



失われるものを恐れることはもう無い


ダチとか仲間とか、曖昧なままの居心地のいい関係じゃ得られないものがあると知った。
今は、それが欲しくてたまらない。




♂♀



明かりと喧騒が僅かに遠退く建物の裏手。木板の壁と俺の腕の間に挟まれた三好は戸惑った顔をしていた。
当然だろう。いきなり引っ張って来られた鈍くしか光の届かない薄暗い場所で、ダチの腕で閉じ込められるなんて意味が分からないはずだ。
「…どうしたの、ここじゃ二人が来てもわから、」
「三好」
こんな状況下でも連れの心配をする三好に理不尽な苛立ちと寂しさを感じる。三好は悪くないのに。どんな時だって他人を気遣うことが出来る、そんな優しさに惹かれた。なのに今はこんな時でも俺を見てはくれないのかと、焦燥にも似た感情が湧いて仕方ない。
誰にでも屈託なく笑ってみせる、でももうそんな皆と一緒の笑顔じゃ嫌だ。特別が欲しい。
「…谷田部くん…?」
不思議そうにきょとんとしてる三好の肩を抱き寄せた。
胸なんてない薄っぺらい身体。狭い肩も細い腕も、それだって女のものとはまるで違う。
俺とも違う、だけど俺と同じ男のものだ。
―――なのに、腕の中に三好の存在を感じてる今、心臓はどくどく激しく脈を打ってる。
やたべくん、囁くような声で俺を呼んで三好が小さく身動いだ。困惑が伝わってきて、さっき決めた覚悟が揺らぎそうになった俺は三好の肩に回した腕に力を込める。三好が息を呑んだ。
一呼吸、胸が詰まるような息苦しさを覚えながらも俺はどうにか気持ちを声として絞り出す。
「…好きだ」
三好の肩がびくりと跳ねた。だけど抱き締めた腕を振り払われることもなく――少しして、細い指先が俺の甚平の腰辺りを控え目な力で掴んだ。
「………すき?」
ぽつ、と落とすぐらいの声音で確かめられて、俺は三好の肩に額を預けるようにして頷く。ふわふわのくせっ毛と肌触りのいいパーカーの感触に何だか胸がいっぱいになった。この気持ちが恋とかじゃないなら、俺は今までもこれからも人を好きになるって感情を知らないままだろう。
「すげえ、好き」
「…友達、とかじゃなくて?」
「違う。…好きなんだ、三好」
ぎゅう、と抱き締める力を強めたらさすがに苦しかったのか、三好の震える吐息が首筋を擽った。熱が集まる。生々しい温かさに鼓動は高まるばかりだったが、少しだけ腕を緩めた。
大丈夫か、と顔を覗き込めば三好はこくっと小さく頷く。
ちょっと困った風に眉を下げて、頬にはうっすらと赤みがさしていて――何か、かわいかった。
目線を外し、三好は考え考え訥々と言葉を紡ぎ出す。
「…あの、よく、分からないんだけど…でも僕、谷田部くんと一緒にいるのはすき…、だと思う」
「…っ」
「…いつも僕のこと見ててくれるのも、気にかけてくれるのも……うれしい」
言葉を重ねるごとに三好の白い頬がどんどん赤くなっていくから、たまらず俺はその両肩を掴んだ。
「!…三好っ、……あり得ねえとか気持ち悪ぃとか思うわけじゃないのか!?」
「そんなこと、思わないよ」
「……抱き締めたのも」
「…………いやじゃなかった、よ」
目はやっぱり合わせてくれない、でも――丸みを帯びた頬をふんわり染める様は言葉通り嫌がってるようには見えなくて。
「…あの、でも…すき、とかはわからな、」
「三好」
きゅうと眉根を寄せておろおろと何か言おうとする三好を遮って、俺は柔こい頬を両手に包み込んだ。
「…やたべくん、」
「後で殴ってくれて構わねーから」
「え、あ、…ま…っ」
混乱して焦った声。甚平の布地を掴む、そのままの手。


―――なあ、三好。本気で嫌がってくれないと止めれないんだぜ?









『失われる〜』は悪魔とワルツをさまから拝借です。





あきゅろす。
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