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拙い口付けから わずかでも この想いは伝わるだろう か――



逃げようとするばかりだった舌を応えるように平和島先輩のそれに絡めた。見よう見まねとも言えないようなぎこちない口付け。それでも、強引な舌を宥めるように合わせていけば、次第にそれは優しいものになっていく。
離れてなんかいかないから、どうか伝わってほしい。
ゆっくりと混ざり合いとろとろ溶けゆく熱に、脇腹の辺りを撫で降り腰から薄い腹へと辿っていた平和島先輩の手は――震えて止まった。


悪い、と。小さな吐息混じりの掠れた声の後、平和島先輩の体温が離れていく。
長い長いキスに奪われた酸素。呼吸を整えようと喘ぐ僕の唇から頬にかけてを気遣う様子で大きな手のひらが拭い、ベルトの留め具が外れる微かな音と共に僕の腕は自由を取り戻す。
手で視界を遮っていたネクタイを首元に落とした。ようやく目を開けば瞼の裏側で溜まっていた涙がぼろりと頬を伝う。ぼやけた視界を手の甲で数度擦り、何度かまばたきを繰り返して僕の両眼は明晰さを取り戻した。
なんだか久しぶりに見たような気がする平和島先輩の顔は、双眸に熱の余韻を残しながらもやっぱり僕には泣きそうな顔をしているように映って――責める言葉も怒る気持ちも失ってしまう。
僕はゆっくり身を起こすと頼りなく揺れる琥珀の瞳にそっと笑いかけた。
驚いたように見開かれた先輩の目が、辛そうに、苦しそうに、切なそうに細まる。
すまない。また一つ謝罪が落とされた。
「…お前を、傷付けるとこだった」
そんな声で、そんな顔を見せられては僕の方まで胸が苦しい。
自分でも大概あまいと思うけれど、どうにも僕はこの人に弱い気がする。
先輩が僕を傷付けるつもりなら片手ほどの力もいらない、ただ手加減を、気遣いを忘れればいいだけ。だからこそいつだって大切に扱おうとしてくれる平和島先輩だから。
人の身で人を超える力を持ったその重さや、時折爆発しては周囲を破壊する怒り。でも、心には痛みとか寂しさとかを抱えてると感じる。
そのたびに少しだけでも支えになりたいと願い、僕はちゃんと向き合いたいと思うのだ。
――ただ、僕に対して平和島先輩が時々焦燥に駈られたみたいに衝動的になる、その理由は分からないんだけど。
それでも。どんなことがあったって、すべてを壊すほどひどいことはされないだろうと信じてる。


お話をしましょう



僕は膝立ちになり、俯きがちに視線を下げる平和島先輩の頬を包み込むようにして触れた。
「…何かあったなら、話してください。ちゃんと、聞きますから」
「…三好…」
恐々伸ばされた先輩の手のひらが、彼の頬に触れる僕の手に重なる。
平和島先輩は、ふ、と息をつくように笑って、呟くように言った。
「…情けねぇとは思うんだ。でもよ……焦った」



♂♀



――焦ったんだ。
俺以外の奴の隣で笑う三好に。
俺に見せるのとは違う顔で笑う、気心の知れたその様子に。
学年が違えば一緒にいられる時間は元から少ない上、恨み辛みを買ってる俺が校内で三好の傍にいるのは迷惑になる。堪えて我慢して、抑圧しようとすればする程苦しくなった。
だから、自然に三好の傍にいられて、何の躊躇いもなく三好に触れる手に殺意を覚えるほどの怒りを感じ、その結果、勝手な嫉妬でひどく傷付けるところだった。
抵抗されたくないから自由を奪って。
拒絶の言葉を聞きたくないから唇で塞いで。
真っ直ぐな澄んだ眼に浮かぶだろう恐怖や悲痛を見たくなかったから視界を覆って。
身勝手で余裕ひとつない、最低のことをした。
それなのに――三好は応えようとしてくれた。拙い動きで。しかし労るように、宥めるように優しく纏わる舌は三好そのもので、差し出される熱は温かく蕩けるものだった。赤黒く醜い、濁った感情が溶かされ押し流されていく。その反面、欲と感情を押し付けるだけの自分がどうしようもなく汚く思えた。
怖くなった。
汚したいわけじゃない。傷付けたいわけじゃない。傍にいたい、傍にいて欲しい。
根っこにあるのはそれだけなのに、同時にそれだけでは足りないと疼く欲。無理やり繋がりを求めたところで、満たされはしないと分かっているのに。
壊すばかりのこの手で、どうしたら三好の手を離さずにいられるのか――それが分からないから何時も何度も不安になる。


ぽつぽつ紡ぐ言葉を黙って聞いていた三好は、少し困ったように瞳を伏せた。
「……言葉にするの、難しいですけど。平和島先輩のこと、特別だって思ってます」
……訥々とした声音に息を呑む。三好自身、動揺したのか照れ隠しにか、ぎゅっと俺の首に腕を回してきた。膝立ちの三好に抱きしめられる体勢になれば厚みのない華奢な骨格を直に感じ、柔らかく滑らかな肌が頬に当たる。うっすら汗をかいていたせいか、吸い付くような素肌は気持ちがいい。
………………………すはだ?
……そういや三好、シャツとか着直してなかったな。俺がはだけたままの制服はボタン全開のYシャツが辛うじて肩に引っ掛かっているものの、ブレザーとパーカーは肘まで下がってる。
熱い。顔のみならず、急速に熱が全身に回っていく。
動揺から身動ぎ出来ずに固まる俺には気付かないんだろう、三好は小さな小さな声で爆弾を落としてくれた。


――キスしたいなんて思うの、平和島先輩だけです。



俺の弱音を聞いて、安心させてくれようとしたのは分かる。
…………でもお前、そんなこと、こんな体勢で言うんじゃねえよ。我慢できなくなるだろうが。



現金なものだと自分でも呆れる。だが、渦巻く昏い感情は溶け消えて三好の言葉や体温にもたらされる動揺だけが胸にあった――。







♂♀



さすがに恥ずかしいことを言ってしまっただろうか、そんなことが頭を掠めて三好の頬に朱がのぼる。触れ合ってる部分から更に熱を帯びそうでそっと身を退こうとしたが、いつからか腰に回っていた静雄の腕が距離を取ることを許してくれない。
「…平和島先輩?」
不思議そうに三好が名前を呼べば、腰の辺りにまとわりつくパーカーをぎゅうっと握られた。離れないでくれと言われた気がして静雄の頭を見下ろした三好は、静雄の肩に手をかけたまま固まる。
普段は身長差もあって目にすることの少ない先輩の頭。金色の髪、その毛先が汗で湿って首筋に張り付いていた。少年らしい細さを残す成長途中の三好とは違う筋張った線。肩幅も、身体の厚みも違う。腰を抱く腕の力や、胸元に当たる頬の熱に意識が向けば、三好は無性に居たたまれない気持ちになってきた。なんだろう、恥ずかしい。
(………………………と言うか。
熱い体温を肌に直接感じるって………僕、服整えてなかったよね)



あつい。
ただ抱きしめ合うだけの、お互いから伝わる熱から離れるタイミングが計れずにいる二人の膠着を解いたのは、磨り硝子の小窓が割れるのではないかと心配になる勢いで叩かれたドアだった。
反射的に腕を解いて離れる。
ヨシヨシ、そう三好を呼ぶのはただ一人で。
あわあわと制服のボタンを留めながらドア方向と自分を気遣わしげに見つめる三好の頭を、やっぱり複雑に思いつつ静雄は苦笑混じりでぽんと叩く。
「…随分、心配されてんだな」
「友達ですから」
どこか誇らしげに言い切った三好の肩を静雄は引き寄せた。
目の前で奪い取るように三好を連れて来たとはいえ、相手取る対象は平和島静雄だ。正面きって乗り込んでくるのにどれだけの覚悟と度胸が必要か。
“友達”―――三好にとって嘘偽りのない相手。純粋な信頼と好意。同い年ならではの近しい距離感。そんなものまで求めるのは欲張り過ぎると知っている。
年が違う。出会いが違う。過ごせる時間が違う。
静雄と三好は友達ではないから、間に交わされる想いが異なるのは当然で。
妬んで羨んでも手に入らないものを欲しがるのは愚かしく、今積み重ねていける気持ちを大切にするべきだ。
三好の澄んだ飴色の瞳に映る自分を見て、静雄は苦笑した。
いつだって、余裕がない。
顎先に手を掛け仰向けさせた三好の唇に静雄は触れるだけのキスを落とした。
またたく大きなつり目がちの双眸と視線を合わせ、誓うように言う。
「……お前にこうできるのが俺だけだってんなら、俺も努力しなきゃなんねえよな」
気が咎められることなく、隣にいるために。
せめて誇れる自分であるように――と。


紡がれた言葉と向けられた切なさを滲ませた笑顔に三好は揺らぐ光にも似た微笑を浮かべ、静雄の肩へと額を預けた――。











保健室のドアは、蹴破る寸前で開かれた。
覚悟と緊張を隠せずにいた正臣だったが、出てきた親友とその先輩と顔を合わせて脱力する。
何だか妙に三好の制服と髪が崩れてはいたが、心配してたことが為されてしまった気配はない。
静雄は憑き物が落ちたように穏やかな顔付きをしていたし、三好は僅かに上気した肌がどこか艶めかしく映るものの「心配かけて、ごめん」と謝る表情はいつも通りの三好だった。
静雄からも短く詫びられ、釈然としないながらも正臣は肩に入っていた力を抜く。
腑には落ちないが、三好の無事が確認出来たのは一番だ。


――が。ひとつだけ、言うべきことがある。
ふざけたところの一切ない、冷たく底光りする両眼で静雄を正面に見据えた。
「…あんたを信用してるヨシヨシの事、傷付けんな」
三好は優しい。
そこに付け込むような真似も、強引に身体や心を引き裂くような真似も許せない。
もしもの時は、三好の手を掴んで無理やりにでも引き離す覚悟を決めて――正臣は不意に口元を軽薄な笑みで飾る。
「んじゃ、俺は先に帰るけど。ヨシヨシたちもあんまり遅くならないうちに帰れよな。ああ、帝人たちには先に行かせたけどカラオケにいるから合流すんのも歓迎するぜ?」
いつもの調子にすっかり戻ると、正臣は背中を向けてひらりと手を振った。



宣戦布告



傾き始めた陽が照らす廊下を立ち去って行く後ろ姿が消える頃、眉間に皺を寄せた静雄が低い声で呟く。
「……大切に思われてんだな」
「…ええと、正臣は友達思いなんですよ」
三好は静雄の手をそっと握りしめ、背の高い横顔を見つめて柔らかく笑ってみせた。
「それに、平和島先輩は僕のこと傷付けたりしないでしょう?」
ちゃんと知ってますから――そんなふうに続ける三好の手を握り返して。
静雄はため息をこぼした。


自分のことも、取り巻く環境も、儘ならないことばかりだ。
しかし傍らの温もりも笑顔も手放したくないと願えば、一つ一つ乗り越えていくしかないのだから――。







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