この気持ちが聞こえたら(菜々子と) 誰もいない部屋でも平気になったつもりでいた。 ただいまと言っても返ってくるのは冷たい沈黙。オレンジに近い赤色の夕日が照らす部屋の中は、テーブルや棚の影が黒く長く伸びてまるで夜に半分のみ込まれたように感じても――。 それはいつものことだったから。 学校から帰るとまっさきにテレビをつけた。 ニュースとかはよくわからなかったけれど、テレビの向こう側から聞こえてくる誰かの声にほっとする。ひとりぼっちの部屋に溢れる音は、安心をくれたから。 おとうさんは警察のお仕事をしてて、あまりお家にはいない。忙しくて大変なことも、わがままを言って困らせてはダメなことも、わかってる。だから、ちゃんとひとりでもお留守番できるけれど、ごはんの用意もお布団だってひとりで敷ける。 けれど、やっぱりさびしかったのだと――今はそう思う。 テレビは天気予報を流し始めた。何気なく眺めて、最近お兄ちゃんが真面目な顔で見ていることを思い出す。 天気図のマークは傘。今日は一日、雨が降り続けるらしい。 今も薄暗い窓の外では世界を遮断する幕のように空から無数の雫が降っていた。 「……お兄ちゃん、今日はおそいのかなぁ」 なんだか急に気温が下がったような気がして、あたしは肩を縮めるとテーブルに頬を預ける。 「…だいじょうぶ……」 ひとりのお留守番は、慣れてるんだから。 小さく呟いた時、鍵を回す音が聞こえた。 「ただいま」 玄関から聞こえた声にあたしは勢いよくふりかえった。 「おかえりなさい、お兄ちゃん」 ガラリと引き戸を開けて現れた姿に思わず顔がほころぶ。 走ってきたのか少し息をきらしているお兄ちゃんも、やわらかい笑顔を見せるとあたしの前に膝を付いた。目線が近くなって、また嬉しくなる。 「遅くなってごめん、ご飯まだ食べてないよな?」 「うん…」 こくんとうなずくあたしに、お兄ちゃんは手に持っていたビニール袋からシュークリームも取り出した。 「花村からもらったお土産。今何か夕飯つくるから、それ食べて待ってて」 ぽんぽんと頭を撫でる大きな手。あたたかい体温を近くに感じて、さっきまで暗くて冷たく思えた部屋の中まで空気が変わったよう。 「菜々子、オムライスでいいか?」 「うん、オムライスだいすき」 「よかった。じゃあ、すぐつくるから」 そのまま立ち上がろうとしたお兄ちゃんの袖をとっさに掴んでいた。 「あ、あの…あのね、」 口に出して、呆れられたり困らせたりしたらどうしよう。 不思議そうに首を傾げるお兄ちゃんにちょっと口ごもってしまうけど、ゆっくりでいいよと静かに待ってくれるから。 あたしはもらったシュークリームを差し出して、もう一度口を開いた。 「あのね、お兄ちゃんとはんぶんこがいい」 きょとんと目を丸くした後、お兄ちゃんは柔らかく笑った。 手に取ったシュークリームをビニールから出し、器用にはんぶんこする。片方を渡してくれたお兄ちゃんは笑顔のままで、言った。 「一緒に食べた方が美味しいよな。ありがとう、菜々子」 「うん…!」 ひとりじゃなくて、一緒がいいから。 ちゃんと気持ちが伝わったみたいで嬉しくなったあたしが笑顔を返すと、お兄ちゃんはまた頭を撫でてくれた。 「これ食べたらオムライス作るから、菜々子も手伝ってくれるか?」 台所に立つお兄ちゃんに並んで、蛇口から流れる水で野菜を洗う。 となりから響くのは、とんとんと歌うような包丁の音。 「お兄ちゃん…」 「ん? どうした、菜々子」 呼べば優しく返してくれる声と、向けられる笑顔。 それがどれだけのあたたかさとうれしさを与えてくれてるのか、言葉にするのはむずかしいけれど。 一緒にいてくれるひとの温もりを知ったから、ひとりでいるのがさびしくなってしまった。 その分、広くて冷たいだけだった部屋が心地よくしあわせな場所となった。 「ありがとう」 この家にきてくれて、ありがとう。 お兄ちゃんになってくれて、ありがとう。 これからもずっといっしょにいてね。 この気持ちが聞こえたら この場所が家族の団欒の象徴だと実感できたのはあなたのおかげ(菜々子と番長) [戻る] |