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そろそろ気づいてよ(臨也と)



壁の一面が硝子張りとなった、高層マンションにあるその一室。本来なら空を臨んで開放的な印象をもたらすのだろうが、降ろされたブラインドが造り出す陰影がまるで格子のような錯覚を与える。
室内が黒の調度で纏められているのも、温もりに欠けた印象の一因かもしれなかった。
壁と、客用のソファーに腰掛け、手元のスマートフォンに視線を固定した少年が羽織るパーカーの白がやけに際立って見える。
それは視界の端で存在を主張し、臨也を静かに苛立たせた。

彼に情報の集成を依頼したのは臨也で、確認したいことがあるとオフィスを訪ねてきたのは三好だ。その三好に仕事が一段落つくまで待つよう言ったのは臨也の方であり、三好は言われた通り仕事の邪魔にならないよう沈黙を守っているだけで―――腹立たしく思う理由なんてない。

そのはずだ。―――それなのに。
この部屋に通してソファーを居場所と定めた三好は一言も話さず、手の中の小さな端末に掛かりきり。
一度も、臨也を見ない。
喩えそれが集中を妨げないようにと気遣いを含んだ沈黙であったとしても、その事実は臨也の感情を理不尽に波立たせた。

(…いや、気遣いなんかじゃなく、用心か)

聡く、空気を読むことには長けている彼だ。この場の雰囲気が決して和やかなものではないと気付いている。
その上で知らぬ素振りを貫き、踏み込まない一線を引いているのだろう。お人好しで何にでも首を突っ込む好奇心と年に見合わない用心深さ、不均衡な内面を面白いと思うと同時。自分の前では常時気を張っているということの顕れでもあり、まったくもって可愛くない。
「三好君」
ノートパソコンのディスプレイから視線を外さないままに、臨也は彼の名を呼ぶ。
視界の端で三好がゆるやかな動作で頭をあげるのが見えた。
茶色の瞳が自分を映す前に、臨也はいつもの笑みを口唇に張り付ける。


「不幸が一切無い世界がありました。その世界で、虫は蜘蛛の巣に捕まる事はあるのでしょうか?」


唐突な質問。三好は子供っぽい眉を寄せて臨也を見つめた。
「…なんです、それ。お仕事終わったんですか?」
「ちょっとした息抜きだよ。ねぇ、君はどう思う? 答えてよ、三好君」
途切れないキーボードを叩く音の中、三好は小さなため息をこぼし、つり目がちの大きな瞳を細める。絞られた虹彩に思考を巡らす様子が見て取れて、目線だけでそれを覗った臨也は表情を僅かに和らげた。
口元に握った拳の人差し指を当てがい、促された答えを探す三好。透明な光を宿す双眸が自分を映さなくても、外の世界に繋がる端末から意識が離れたことで僅かなりと溜飲が下がる。
―――いっその事閉じ込めて何処にも帰さなければ、この苛立ちも消えるのかもね。
一瞬過った考えに、臨也はふと唇を歪めた。
有用さも儘ならなさも含めて三好を構成する要素、何が欠けても自分は彼に対する興味を失うだろう。柔弱に見えて強かで、流されるように思えて決して自分の手中に堕ちない。
そんな彼だから気に入っているのだ。

手に入らないなら、いくらでも切り捨てて来た。なのに今は失わない方法を考えている。
自覚のあるその変化に失笑がもれそうになった時、三好が顔を上げた。

「…――ある、と思います」
「へぇ?」
頬杖をついて臨也が続きを求めると、三好は自らの思考を纏めながら訥々話し出す。
「例えば、その蜘蛛が餓えに苦しんでお腹を空かせていたら。その蜘蛛と、仲のいい虫がいたら。虫の方から…糸に捕らわれるんじゃないかと」
三好の視線が臨也をすり抜けるように流れて、窓の向こうに移った。
「…いえ、お腹を空かせていなくてもいい。何か苦しんでいる必要もない。ただ、…その蜘蛛の傍らにいたいと願う虫だったら」
不幸がない優しい世界で、空を自由に往く虫でも。
羽根を糸で絡めとられて、二度と空を飛べなくなったとしても。
「自分から巣に飛び込むことも、あるんじゃないでしょうか」
傍にいること。それが孤独という不幸を遠ざけ、幸せに繋がるなら。
遠くを視る瞳。硝子越しに切り取られた青色に何を重ねているかなど、訊く必要もない。
―――君は、本当に可愛くないよね。


「つまんない、独善的解答だね。空を飛ぶ『虫』は他にも沢山の知り合いがいるかもしれない。その知り合いだって『虫』に傍にいて欲しいと思ってるかもしれない。『虫』がただ一つの存在を選ぶことでその大勢が嘆き悲しんで、不幸のない世界に不幸を呼び込むことになるとしたら?」
いきなり急降下した臨也の機嫌。理由が思い当たらず、三好は不思議そうに彼を見た。
頬杖をついたまま、臨也はノートパソコンのディスプレイを半眼で眺めている。瞼に半分隠された紅を帯びた目は、ふてくされたような色を含んでみえた。
小首を傾げて三好はそんな話だったろうかと思いつつも答えを口にする。
「たった一つしか選べないのなら、謝るんじゃないでしょうか」
もしくは、ただ一つの存在のところに行く前にお別れを告げるかだ。
捕らわれる巣は、一つきりだろうから。

臨也が深い溜め息を吐き出した。





「…じゃあさ、餓えて餓えて仕方ない知り合いの蜘蛛がもう一匹いたら? それでも『虫』は大切な方にだけ身を捧げるの」
「………。羽根をあげますよ」
「何の腹の足しにもならないよね。蜘蛛の巣に引っ掛かってゴミになるだけの、抜け殻を遺してくなんてさ」
「縁にはなるじゃないですか、記憶の」
「想い出だけ抱えて、餓えと戦えって? 君は残酷だね、三好君」
「臨也さん」
「何?」
「この話、何かの寓話ですか」
「…知らないよ」





そろそろ気づいてよ



(お互いさま、とかそんなことは棚上げでね)


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あきゅろす。
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