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だから、ひみつだってば(宝探し屋と黄龍)



とある日曜日の昼下がり、天香學園の調理室でそれは作成された。


ダマになって、なのにある部分はとろりと半透明に白かったりさらに焦げ焦げと黒くて所々しか本来そうであるべき黄色が見えないそれは、皿の白さをいやに際立たせていた。
「龍麻さん、オムレツ作るって言ってませんでしたか?」
どう見ても炭が8割の正体不明の物体。スクランブルエッグのなり損ないと云うにもあまりの代物に苦笑混じりで葉佩が横に立つ人物に視線を向ければ、バツが悪そうに顔を逸らされた。不満そうに引き結ばれた口唇がなんだか幼くて、普段の落ち着いた性格を知ってるだけに可愛らしいと思ってしまう。
「……料理は、苦手なんだ」
自然と緩む口元を見咎められ、じろりと横目で睨まれた。
「笑うな」
「…すみません」
不機嫌そうに形のいい眉をしかめながらも白い頬は微かに赤みを帯びていて、ほほえましいなあと感じつつ、どうにかこうにか顔の筋肉を総動員。葉佩はなんとか笑いをおさめることに成功させる。
「龍麻さんって器用そうなイメージあるから。料理も出来ると思ってましたよ」
「器用なんかじゃない、出来ない事の方が多いんだ。今も、昔も」
自嘲の色を含みながらも口調は軽いものであったから。疑問が浮かんだ葉佩は単純に訊ねた。
「でも、確か龍麻さん、オレとエジプトで出逢う前は中国を放浪してたって言ってましたよね。修行とかで」
「…出逢うって…、あれは通りすがったって言わないか?」
怪しい男たちに追われていたその時点では赤の他人だった葉佩に路地裏でぶつかられ、葉佩が落とした端末に気をとられた時には後ろ姿も見えなくなっていたから、顔を合わせたとも言えない出来事だ。しかもそれを発端として諸々の事情に巻き込まれたのが原因で、自分は今ここにいる。
「まあ、細かいことはいいっこなしで。それより、修行中は山篭もりとかしてたんでしょ? ご飯作ったりするんじゃないですか?」
重ねて訊く葉佩の言葉に、緋勇の目が遠くなる。
「……あぁ…俺は致命的に料理下手だったから…、相棒、が…作ってくれてた。材料切って煮込む、又は焼く、のシンプルなものだったけど。おいしかったな」
修行という旅の中、食生活の面倒をみてくれてたのは赤毛の相棒。その前の学生時も何かと周りが世話を焼いてくれたおかげで、日常生活のあれこれを自分で出来ないまま今に至ってしまってる。
だからこそ、現在の降って湧いた二度目の高校3年という時間を有効利用しようと、休みの日を使って料理の練習のつもりだったのにこの始末。落ち込む。
記憶を辿りながらぽつぽつ落とされる声はどこか淋しげにも聞こえて罪悪感を覚えた葉佩は、コンロの上のフライパンを引き寄せた。
緋勇が中国でのことを思い出すうちに更に記憶を遡ってしまい、無駄に深くへこんだというのは彼の頭の中でのことなので葉佩には分からない。ただ“相棒”と口にする緋勇が切ない顔をしたように見えたのはちょっと面白くないような気がした。張り合うつもりもないけれど、いたずらっぽく宣言してみる。
「じゃあ今、龍麻さんに美味しいオムレツを食べさせる役割は、現在バディのオレってことで!」
「なんだそれ」
きょとんと目を丸くした緋勇に、フライパンの焦げを落としながら葉佩はにっと口の端を持ち上げる。白い歯が覗くのが子どもっぽい明るい笑顔に似合っていた。
「まあまあ、せっかくの休日なんだから美味しいもの食べてのんびりした方がいいじゃないですか。すぐですから、そっち座って待っててくださいよ」
上に向けた手のひらの先に椅子を示されて、ちょっと考え込んだあと緋勇は首を横に振った。
「見てる」
「え? 面白いことないと思うけど……油跳ねたら避けてくださいよー」
「わかった」
こくんと幼子みたいな仕草で大きく頷いた緋勇が熱心に葉佩の手元を覗き込む。
材料は揃っていたのでそのまま始めるのかと思えば、葉佩は冷蔵庫から生クリームを取り出した。
「それ入れるのか?」
不思議そうな緋勇に生クリームのパックを軽く揺らしながら「トクベツですよ」と片目を瞑って葉佩が笑った。
ステンレス製のボウルと菜箸がリズミカルな音を奏でて卵を溶きほぐし、温まったフライパンでしろく溶け出したバターが食欲をそそる香りをたてる。きれいに白黄色に溶かれた卵を流し入れると、フライパンを揺り動かしながら勢いよく菜箸で大小の円を描くようにかき混ぜていく。箸の動きに沿ってドレープのように折り重なるかたちが作られては崩れていくのがおもしろいと緋勇が思ってるうちにそれは手前に持ち上げられたフライパンの片側に寄せられ、見る間にかたちを変えていった。
あっという間にうつくしいアーモンド型に整えられたプレーンオムレツが白い皿の中央に飾られ、ご丁寧にもケチャップで“forひーちゃん”と書き添えられて緋勇の前へと差し出された。
「はい、熱いうちにどうぞ」
にかにかと白い歯の覗く口元を綻ばせる葉佩から割り箸を受け取って、緋勇は引き寄せた椅子に座り、行儀よく手を合わせて「いただきます」を言った。
ふわりふわり湯気が立ち上るオムレツを箸で小さく切って、まずはケチャップのついてない部分を口に運ぶ。
とろりとしたバターと柔らかな卵の風味を隠し味に入れられた生クリームが引き立てて、更になめらかで口当たりのいいものに仕上げられていた。
「…おいしい」
「よかった!」
緋勇の横顔を窺っていた葉佩は感想を聞いて満面の笑顔を浮かべると、椅子を引きずってきて腰を下ろした。ケチャップがかかった部分もまた風味豊かで、オムレツは次々と緋勇の口の中へ消えていく。葉佩はそれを幸せそうに見ていたが、どこか難しそうないろを含んでいるのに気付いて笑顔を消す。
「龍麻さん?」
「…九龍は、すごいな」
「はい?」
褒められるのは嬉しい。だけど、感嘆の底に何故か自嘲の色を含んだ響きがあったから、葉佩は首をひねった。
「必要だっただけですよ」
緋勇は“出来ないこと”に落ち込んでいるようだったけれど、置かれてきた環境が違い、人によって得手不得手があるのが当然な以上、それは気にすることでもないと葉佩は思う。
《宝探し屋》として世界中を飛び回る根無し草の生活を送る中、何処でも眠れることと、自力で調達した食材での調理は必須技能だっただけだ。出来る限り旨いものが食べたいと思えば自分の料理スキルを磨くしかなく、経験にある程度のセンスがかみ合ったに過ぎない。
「基本さえ覚えちゃえば、あとはどうにでもなりますよ。オレで教えれることなら手伝いますし」
人好きのする笑顔で葉佩が言うと、緋勇もまた表情を緩めて呟くように礼を口にし、再び食べかけのオムレツに取りかかった。
美味しいオムレツ。
緋勇が葉佩をすごいと言ったのは、自分が苦手とする料理が上手だからというだけではない。
気付かされるからだ。
戦うことしか出来ない自分に。
葉佩には日常をこなすスキルがある。卓越した身体能力や特別な《力》なんてなくても、障害を切り抜け遺跡を踏破していく機知と実力がある。その行動と強い精神で闇に沈んだ人々の心を救い出してきた。人の身が持つ可能性、それを全身で体現している葉佩が、とても眩しい。
「別に、なんでもかんでも自分で出来る必要なんて無いでしょ」
オムレツ最後の一口を飲み込んだとき、葉佩がぽつりと言った。
唐突だったせいか、小さく肩を揺らして緋勇が顔を上げる。葉佩は差し込む光の加減できんいろに透き通って見える綺麗な瞳を覗き込むように頬杖をついて続けた。
「出来ることは自分に誇ればいいし、出来ないことは出来る誰かが補えばいいだけのことなんだから」
きょとんと目を丸くした緋勇を見て、にっと口の端を持ち上げる。
「オレは日本史も国語も苦手だし。戦闘にしたって、接近戦は不得手だし。でもそういう弱点も補ってくれる誰かがいるから、得意なことを生かして先に進める。一人じゃ不完全な部分を補完してくれる誰かが《宝探し屋》にとってのバディって存在で」
龍麻さんには“相棒”とかがいてくれたわけで。
「支えてくれる誰かの存在には感謝こそすれ、自分卑下する理由なんかにはなんないでしょ。オレは龍麻さんがオレの作った料理食べてくれて、喜んでくれたら嬉しいし。小さなことかもしれないけど、龍麻さんのために出来ることがあって良かったと思う」
きっと世界は、そういった“誰か”に対して何かをしたいって願う気持ちと“誰か”から与えられる感情で繋がってる。
「…九龍」
「だいたい龍麻さんは巻き込まれただけの状況を投げ出しもしないで、いつだって前に立って守ってくれてる。龍麻さんがいてくれることにオレがどれだけの安心感をもってるか、全然わかってない」
標準的な男よりも細身の体格なのに、その背中の後ろは何処よりも安全なのだと信じられる。
“大丈夫”だと、信頼できる。
「オレをすごいって言ってくれるなら、龍麻さん自身の価値もちゃんと知ってくれよな」
強さと優しさに救われてる人間がいるのだと、忘れないで欲しい。
真っ直ぐ真剣に紡がれた葉佩の言葉に緋勇は瞠目して、ゆっくりゆっくりと穏やかに目元を緩めた。
「ありがとう」
少し表情に乏しい整った顔が、笑うと全てを包み込むように優しく柔らかなものへと変わる。
昼下がりに二人きり。憧憬にも似た感情を覚える相手から自分だけに向けられた最高の笑顔と、心からの感謝の言葉。
それだけでもう充分だと体の中心が暖かく満たされる。
本当にこの人は自分自身のことを何一つわかっていない。すごいのはどっちだよ、と。
どうしようもなく熱が集中してくる顔を片手で押さえて、 葉佩は苦笑気味に呟いた。
「どういたしまして」










気付かない鈍さはそのままでいて欲しい。
今はまだ、この穏やかな時間をひとりじめ。
――――なんて、ね。




だから、ひみつだってば



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