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小説
惚れ薬ぱにっく 〇















「ふむ……これが本当に惚れ薬なんやろうか?」


 聖王教会の応接室。その一角で、はやては懐から小さな瓶を取り出して中身をじっくり眺める。中には小瓶いっぱいに薄紫色の液体が入っている。まさかこれが惚れ薬だと言われても、納得しがたい。もし毒だったら──最初はそう思っていたが、調べてみたところ、人体に害はないらしい。


(せやけど、いきなりクロスくんに使うんは怖いなぁ)


 意中の相手、クロスロード・ナカジマ。彼に飲ませて、普段握られている主導権を自分が握り返したいと思い立ち、この薬の購入に至ったのだ。効果はかなり抜群とのことだが、どれくらいの効果があるのか分からないため、まずは誰かで試そうと思い立ったのだ。

 いったい誰で試そうか──そんなことを考えていると、扉がノックされた。


「はい?」

「はやてちゃん、ここに居たんですね」

「あれ、ノアちゃん? どないしてここに?」

「レイスとアインハルトをからかいに来たんですよ〜。
 マスターも一緒ですから、ついでにはやてちゃんにも連絡しようと思ったんです」

「あー、なるほど。わざわざありがとうな〜」

「いえいえ」

「あ、せっかく伝えに来てくれたんやし、紅茶飲んでって」


 シャッハが置いておいてくれた紅茶を準備する間、ノアはソファーに腰かける。そしてはやては彼女に見えないよう注意しながら、小瓶の蓋を開けてほんの少しだけ紅茶に混ぜる。説明書には無味無臭とあるので、きっと大丈夫だろう。


「はい」

「ありがと〜」


 それをなんの疑いもなく飲んでいくノア。彼女は人をからかうのが好きなため、過度なスキンシップをすることも可能性としては少なくないが、もし誰かに惚れたとしたらその行動ももっと過激なものになるかもしれない。どんなものになるか楽しみだ。


「ではでは〜」

「うん」


 ノアはそそくさと部屋を出て行った。

 彼女が向かった先は、古い書物がいくつもおさめられている書物室だ。そこにいるであろうレイス・レジサイドとアインハルト・ストラトスに会いに行くのだ。この2人はザンクトヒルデ魔法学院に通っており、恋人同士である。しかしレイスの方がどうにも女心に疎いため、アインハルトはやきもきする毎日だとか。


「あの2人をからかうのは楽しくて止められませんね〜♪」


 今日はどんな反応をするだろうか──そんな想像をした時、何故かドクンッと鼓動が跳ねあがった。


(あ、あれ? 私、どうしてレイスのことばかり考えているんでしょう……?)


 いつもならただからかうだけなのに、今日はレイスのことを妙に強く意識している自分がいる。軽やかなステップを踏んでいたはずの足は次第にゆっくりとなり、やがて止まった。そんな戸惑いを抱えているとは露知らず、反対側からアインハルトがやってきた。案の定、レイスと一緒に。


(あ……)


 それを目にした瞬間、ノアは一目散にレイスへと駆けて行き、そして思い切り抱き着いた。


「レイス〜♪」

「わぁっ!?」


 明るい声に何かと思ってまえを見た時には、既にノアがすぐ傍まで迫っており、レイスは彼女の勢いを受け止めきることができず、倒れてしまう。だが、ノアは構わずレイスに頬ずりし始める。

 レイスの隣を歩いていたアインハルトも、一瞬何が起こったのか分からず呆然としていたが、すぐにノアを後ろから引っ張ろうとする。


「な、何をしているんですか! レイスさんから離れてください!」

「え〜……や・だ♪」

「なっ!?」


 いつもならすぐに離れるはずなのに、今回は違った。その様子に驚きながらも、アインハルトは必死にノアを離そうとするが膂力は明らかにノアの方が上のため、まったく動かせない。


「あの、ノアさん。離れてもらわないと困るのですが……」

「レイスは、私に抱き締められるのは嫌なんですか?」

「嫌と言うか、困ると言うか……」


 ちらりとアインハルトを見ると、明らかに怒っていた。レイスもノアになんとか離れてくれと訴えるが、彼女はまったく意に介さない。


「でも、私はレイスのこと好きなんですよ〜」


 一瞬だけ放したかと思えば、今度はレイスを後ろから抱き締めて首筋に甘噛みした。いきなりのことにレイスはびくっと身体を強張らせる。その反応が面白かったのか、ノアは妖艶な笑みを浮かべた。


「ふふっ、レイスは私みたいにスタイル抜群で魅力的な女の子の方がいいですよね?」

「いや、そんなことは……」

「アインハルトの前だからって、遠慮しなくていいんですよ。私は2番目で構いませんから♪」

「2番目って、どういう意味ですか?」

「私の口から言わせるなんて、レイスってば意外とサドなんですね」

「違いますから」


 ノアの言葉を即答で一刀両断するレイス。呆れて溜め息を零す彼だったが、何を思ったのか思い切り押し倒されてしまう。


「だったら、マゾなんでしょうか♪」

「どうして若干嬉しそうなんですか!」


 吼えるものの、ノアは意に介さずレイスに近づいていく。


「……ティオ」

《にゃっ!》


 だが、それを阻むように翡翠色の光が走ったかと思うと、レイスの眼前をアインハルトの足が閃いた。その際に黒い何かが見え、レイスは顔を真っ赤にする。


「大丈夫ですか、レイスさ──レイスさん!?」

「え?」

「は、鼻血が出ています。もしかして掠めてしまいましたか?」

「だ、大丈夫です。本当に、大丈夫ですから」


 理由を知られては間違いなく蹴り飛ばされるため、レイスは理由を言えなかった。


「もう、痛いじゃないですかー」

「レイスさんに近づく不埒な輩は、全て私が全力で排除します!」

「それ、普通は男の僕が言わないといけない気がしますが……」

《アインハルト様の仰るように、マスターはもう少し好かれるタイプであることを自覚した方がよろしいかと》

「ペイルライダーまで……」


 そう言われてみるが、何も特別なことはしていないはずだ。寧ろみんな、クロスの方に夢中になっているのではないだろうか。


「参ります!」

「ふふん、アインハルトが私に敵うはずないですよ!」


 走り出すアインハルトとノア。互いに拳と拳を、或いは魔法と魔法とをぶつけ合っている。それを呆然と見届けるしかないレイスだったが、ここが聖王教会の敷地内であることを思いだし、慌てて追いかけていく。


「アインハルトさん、ノアさん、流石にここで戦うのは……」

「レイスは黙って!」
「レイスさんは黙っていてください!」

「…はい」


 あまりの剣幕に、注意したレイスの方が委縮してしまう。幸いにして周囲には誰もいないが、このまま被害が拡大してはいずれ怒られるのは間違いないはずだ。


(特にノアさん、クロスさんにこっぴどく怒られそうですし……)


 とは言え、ノアは少し様子がおかしい。それを話せば少しは考慮されそうだが、クロスは他者に迷惑がかかるのをとても嫌う。多少の喧騒ならともかく、他人の敷地内で勝手に戦うなど以ての外だろう。


(仕方ないですね……)


 レイスは溜め息まじりにペイルライダーを握り締め、ダブルセイバーを構える。爆破魔法で地面を抉り、せめてアインハルトの方だけでも止めた方がいい。


(と言うか、ノアさんを止めるのは骨が折れそうですし)


 なんとかいいタイミングはないか──そんな思いで、レイスは2人の戦いを見守る。

 一方のノアはと言うと、次第に薬の効果が切れてきたのか頭が冴えてきた。自分が何をどうしたせいでこんなことになっているのか、はっきりと鮮明に覚えている。しかし今から弁明するのは苦労しそうだ。なにより───


(それじゃあ、つまらないですからね!)


 ───こんな時でも、相手をからかいたい気持ちの方が圧倒的に強かった。


「ふっふっふっ。この程度では、レイスを他の女性に取られちゃいますよ?」

「そ、そんなはずありません!」

「でも、ライバルが多いのは分かっていますよね?」

「くっ……」


 ノアの言う通りだ。アインハルトは苦悶の表情を浮かべる。それでも、自分が1番彼を想っていると言う自負がある。


「負けません……! レイスさんのことが1番好きなのは、私なんです。
 だから……だから、絶対に負けません!」

(聞いているこちらが恥ずかしいのですが……)


 レイスの視線に気がつき、アインハルトもかぁっと顔を赤らめていく。その反応を見て思わず可愛らしいと感じたが、次の瞬間ノアによって吹っ飛ばされてしまう。


「そんなんじゃあ、私には勝てませんよ!」

「いいえ、勝ちます。愛の、力で!」


 隙をついて迫り来るノアを、アインハルトも迎え撃つべく走り出し、先に懐へと潜り込んだ。そして得意の断空拳を叩き込む。


「覇王断空拳!」

「あ〜れ〜」


 なんともとんでもない大根役者である。しかしアインハルトはそのことに気づく余裕もなく、自分が【愛の力】などととんでもないことを口走ったことに頭を抱えてしまう。


「アインハルトさん」

「レイスさん……さっきのは、あの、その……!」

「どこにもお怪我はありませんか?」

「え? え、えぇ」

「それなら良かったです」


 笑みを浮かべ、ノアが吹っ飛んだ方向に視線を移すレイス。その姿を見て、アインハルトは確信した。彼にはまったく聞こえていなかったのだと。


(嬉しいような、悲しいような……)


 いや、これで良かった──そう思い直すことにして、アインハルトが武装形態を解除した時だった。


「これはいったい、どういう状況なんだ?」


 怒りの笑みを浮かべるクロスに声をかけられたのは。


「なるほど、惚れ薬ですか」

「うん。時にノアちゃん……素直に言うたんやから、そろそろ放して欲しいんやけど」


 一方、アインハルトに“わざと”吹っ飛ばされたノアはあっという間に体勢を立て直し、はやてに詰め寄っていた。はやてはバインドを施され、何もできない状況にされており、反省の意思を示している。


「嫌です♪」


 だが、ノアはまったく赦す気がないようで、満面の笑みで彼女の願いを一蹴した。


「そこをなんとか!」

「そうですねー……じゃあ、この薬を半分ほど分けてくれたら解放してあげますよ」

「半分……」

「ちなみに渡してくれないとマスターに告げ口するつもりです」

「くぅ……鬼、悪魔!」

「ふふん、私を鬼や悪魔ごときと一緒にしないで欲しいですね」


 圧倒的なまでに優位に立つノア。薬を渡すのは忍びないが、このままクロスに告げ口され、怒られることになったらそちらの方が恐ろしい。


「…分かった。半分、持っていってええよ」

「ありがとうございまーす」


 ノアが誰に使うのかは分からないが、何に使うのかは分かる。


「またレイスとアインハルトをからかうのに使うんやろ?」

「ピンポーン♪」

「こりないなぁ……」

「いやぁ、面白い反応をしてくれますからね。止められないですよ」


 気持ちは分からなくもないが、そろそろかなりの痛手を食らいそうな気がしてならない。


(まぁ、止めて聞くような子ちゃうけど)


 さっさと薬を半分の量もらい、ノアはそそくさと部屋を出ていく。彼女が向かった先には、数多くの古書が閲覧できる書物室だった。重たい木製の扉を開けると、奥にいた小柄な人物が気がついて近づいてきた。綺麗な金髪に、同じ色をした瞳。そしてそれらを強調するように纏われた黒いローブが特徴的な少女──ファビア・クロゼルグは不思議そうに首を傾げる。


「何か用?」

「長い時間、ここにいると聞いたので。とりあえず、お茶だけでも持ってきましたよ」

「…ん」


 本に悪いと思ったのか、ファビアは書物室から出て手頃なベンチに腰かける。そんな彼女に、ノアは例の薬が入った紅茶を差し出した。何の疑いもなく、少しずつ飲んでいくファビア。中身がなくなったところで、ノアはすかさず口を開いた。


「そういえば、今日はレイスが来ているらしいですよ」

「……そう」


 あまりにそっけない反応だったが、その分ノアは僅かな反応も見逃さなかった。レイスが来ていると聞いて、ファビアは確かに頬を緩めた。本人にその自覚があるかは分からないが、彼女がレイスを慕っていることは間違いない。


「せっかくですから、会いに行ってきてはどうですか?」

「…別にいい」

「そうですか。まぁ、ファビアがそう言うのなら構いませんが……多分、中庭にいると思いますよ」


 それだけ言い残し、ノアはさっさと歩き出した。もちろん立ち去らずに物陰に隠れて様子を窺う。ファビアはしばしその場に居座っていたが、やがてきょろきょろと周囲を見回してからそそくさと中庭へ小走りで向かった。


「ふふふ、作戦成功ですね♪」


 ファビアがどういった経緯でレイスを好んだのかは知らないが、想いを抱きながら伝えないなど勿体無い。


(ましてや“あの”レイスですからね……)


 はっきり言って、レイスは鈍感が過ぎる。どうして妬かれているのか分からないなんてことはしょっちゅうで、彼を好きになった女性らは頭を抱えているらしい。


「さてさて、どうなっていることやら」


 そろそろ接触した頃だろう。ノアは中庭へ向けて足早に走っていく。


「クロ、離れてください!」

「…嫌」


 次第に聞こえてきた会話を耳にして、ノアはにんまりと笑む。自分の考えた通りの展開だ。ファビアがレイスの腕に抱きつき、アインハルトはそれを必死に離そうとしている。普段ならあり得ない光景だ。


「あの、ファビアさん、離してもらえませんか?」

「……嫌なの?」

「僕ではなく、アインハルトさんが嫌がっていますから」

「……じゃあ、二人きりの時ならいいの?」

「いや、それもちょっと……」


 微妙に煮え切らないレイスの態度に、アインハルトはますますご立腹のようだ。ノアはその様子をカメラにおさめるべく、移動を開始する。

 だが───


「何をしているんだ、ノア?」


 ───背後から響いた声に、びくりと身を竦める。聞き間違えるはずもない、自身のマスター、クロスの声だった。


「いや、これは……」

「お前、はやてから惚れ薬を分けてもらったらしいな」

「ど、どうしてそれを!?」

「はやてが自分で教えてくれたよ」

「そ、そんなぁ……」


 溜め息交じりに呆れるクロス。その一瞬の隙をついて、ノアは脱兎のごとく走り出す。


「レイス、助けてください!」


 この中で最も自分に味方してくれるであろう少年のもとに向かい、その背に隠れるノア。それを見て、クロスはますます頭を抱える。


「こら、ノア。レイスの後ろに隠れるな!」

「こうでもしないと、マスターの攻撃は逃れられませんからね!」

「……すみませんが、ノアさんには協力できません」

「え……?」


 淡々とした言葉に首を傾げた瞬間、レイスの姿が消え失せた。しかもアインハルトとファビアの姿も消えていく。


「幻術だったんですか!?」

「えぇ。ファビアさんが異常に気づいて事の次第を話してくれたんです」

「うぅ……」


 木々にずっと身を潜めていたレイスが改めてノアの前に出、にこやかに笑う。


「しかし……幻術とは言え、カメラにおさめられたのは困りますね」

「え、映像なら消しますから!」

「そんなことしなくても大丈夫ですよ。
 代わりに僕が、“カメラごと”消しますから」


 にこやかな笑みを浮かべながら言われたのは、彼らしからぬ物騒なものだった。だらだらと嫌な汗が背を伝う。クロスほどではないにしろ、笑いながら怒るとかなり恐い。


「あぁ、カメラを壊す前にノアさんに攻撃が当たったらすみません」

「当てる気満々ですよね!? マスター、助けてください!」

「レイス……気にするな、思いきりいってくれ!」

「マスターーーーー!?」


 主にまで見捨てられてしまうとは思わなかったのか、ノアはがっくりとうなだれる。


「いきますよー」


 そんなノアの気持ちなど露知らずと言った様子で、レイスが躊躇なく魔力弾を放つ。思わず目を瞑るノアだったが、しかしそれは的確にカメラだけを射抜いた。


「僕よりご立腹の方がいますから、残りはそちらにお任せします」

「え?」

「頼みましたよ、アインハルトさん」

「えっ……」

「はい」

「えええぇぇ!?」


 凛とした声に振り返れば、鋭い眼光で睨むアインハルトの拳が迫っていた。


「覇王断空拳!」

「あぅっ!?」


 遠慮なく放たれた一撃は完璧にノアをとらえた。痛みに思わず涙目になるノアは、自分がクロスの方へと吹っ飛ばされていることに気付き、顔をひきつらせた。


「さて、次はこっちだぞ」


 恐怖のコンボが繋がった瞬間である。


「あーーーっ!!」


 ノアの断末魔が、聖王教会に大きく響き渡った。










◆──────────◆

:あとがき
オチ要員としての立場が安定してきたノアちゃんですが、それ以上にアインハルトをからかうのが板についている気がします。

まぁ、そのせいで最終的に痛い目に遭っているのですが……。

そして相変わらず大事なところで鈍いレイス……アインハルトが報われる日が来るのかはまだ分かりません(苦笑)


次回は本編に戻ろうと思います。お楽しみに。






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