落つる花びらに口付けを・7
女の人がこんなに大変だとは思わなかった。
散々魘された二、三日を過ぎると嘘のように痛みは治まったけれど、足を切り離したくなるようなあの独特の鈍痛は冗談抜きで冷や汗物だ。ちょっと本気で死にたくなったくらい。
女の人ってすごい。
普通に動いても平気になった頃に漸く任務が回ってきたけれども、心配されているのか隊長との共同任務だった。そもそも術士がいなければ難易度が格段に上がる任務もたくさんある訳で、フランが抜けたのは結構な痛手だったのかもしれない。一応フラン以外にも少数ながら術士はいるから、そこまで支障が出たとは思いたくないけれど。
「はー…それにしても、早く調子戻りませんかねー」
酷い痛みは無くなったけれど、腰に纏わりつく鈍痛自体は消えた訳じゃない。部屋で大人しくしていれば大したことはないのだけど、真夜中の冷えた空気に曝されていればやはりと言わずとも痛みは増す訳で。
「…あ、なんか涙出てきた」
しかも精神不安定になるというおまけ付きなのだから堪らない。
「うー…いった…でも我慢しないと…」
現在は隊長が敵アジト内で暴れている為外で待機中だ。なので暫くは戻ってこないとは思うが、万一まだ具合が悪いことを知られればあの隊長のことだから屋敷に強制送還され兼ねない。
散々心配をかけた上更に気を遣われるのは流石に忍びなかった。
時折聞こえてくる悲鳴と物が破壊される音(アーロが暴れ回ってるんでしょうねー、)に耳を傾けながらぼんやりと星を眺めていたら、不意にかさりと草を掻き分けるような音が聞こえてはっと周囲を見回した。
囲まれている。
油断していた自分も悪いのだが、調子が悪いというのに運が無い。思わずち、と小さく舌打ちを漏らした。
「ガキ…だと?」
「子供だろうとヴァリアーの幹部には違いない、迅速に消すに限る」
「その通りだ」
ひそひそと話していたかと思えば、唐突に持っていた得物(あれはランス、ですかね)を突き出してきた。だがフランも伊達にボンゴレ最強の暗殺部隊で幹部をやっている訳じゃない。
大きく後ろに跳躍してそれを回避し、地に足を着け匣を取り出そうとした…が。
「…あ、」
ぐらりと視界がぶれて体が傾いた。次いで瞼の裏側が真っ白に染まり、思わず片手で瞼を押さえる。やばい、こんなことをしている場合じゃないのに。
その隙を敵が見逃すはずもなく、ふっと体が浮いたと思えば次の瞬間背中に鈍い痛みが走った。
「…ぅ、いっ…た…」
どうやら地面に叩き付けられたらしい、衝撃は肺にまできて息が詰まった。脇に集まっていた奴等がフランを見下ろしたまま何か話している。
「…おい、こいつ女じゃないか?」
「何言ってんだよ、男だろ」
「いやでも顔じゃわかりにくいぞ」
「脱がせてみればいいだろう」
言うなりそのうちの一人が手を伸ばしてきて思わず目を見開いた。冗談じゃない、触るな、こっちに来るな。
「ふざ、け…!」
「ぎゃあぁぁああ!!」
もう少しというところでぎゅっと目を瞑った瞬間、聞こえてきたのは先程の男達の悲鳴だった。ごう、と目の前を強風が過ぎていった気がする。
何事かと思いそろそろと目を開けると、眼前で揺れる三角型の鰭、そして巨大な青い体。
凶暴な海洋生物の姿を模したそれが、まるでフランを庇うかのように悠然と虚空を漂っていた。
目の前の光景に言葉を失くしてへたりこんでいると突然引かれた腕、はっとして顔を上げれば視界の中に揺れた銀糸。
「…カス共が」
普段とは違う低過ぎる声音にフランですらぞくりとして身がすくんだ。そしてその言葉を引き金に凶悪な牙を剥き出しにして、主人に忠実な匣兵器が凶暴な本質を曝け出す。
その場が地獄絵図となるのにそう時間はかからなかった。
「…さっさと帰るぞ」
周囲を見回して全て終わったのを確認すると、その人はまるで何事も無かったかのようにいつも通りの声音でそう言った。
と、不意にアーロがフランの側に寄ってきて、何だろうと思って見ていたら唐突に牙が揃った口を大きく開けてこれには相当驚いた。
「た、たいちょっ…!!」
「食われたりしねぇから大人しくしてろ」
そうは言っても目の前で鮫が大口開けて今にも咬み付こうとしていたら誰でも焦るだろう、現に腕一本が既にアーロの口の中に入りかけているのだ。
アーロの口がゆっくりと閉じられる。
見ていられなくて再びぎゅっと目を瞑ったけれど、恐れていた痛みは全く無くて驚く程優しい咬み方だった。まるで子犬が主人に甘えてじゃれつく時のような甘咬みだ。
「…え?え?」
「暫くは保つだろぉ」
「……え?」
「アーロは雨属性だ」
ああ、そういうことか。ということは全てばれていたのだろう。
「…ありがとうございますー」
フランに寄り添うようにして浮いているアーロの頭に手を置いて撫でてみると、首を傾げるような動作をしてみせた。鮫って結構愛嬌あるんだ(…ホオジロザメって一番凶暴なんじゃないでしたっけ)。
「ったくよ…」
「はい?…うわ、ちょっ」
再び腕を掴まれて相手の顔を見上げた瞬間、目線がぐんと上昇した。どうやら抱き上げられた後におぶられたらしい。
幼い頃ですらおぶってもらったことなど無いから、正直かなり恥ずかしかった。
ゆっくりと歩き出す。
「…具合悪ぃならなんで言わねぇ」
「……心配、かけたくなくて」
ざくざくと草を踏む音だけが暫く続いていた中で不意にそう言われ、責められているような気がして少しだけ言葉に詰まった。自分が悪いのは、わかっているけれど。
「何も言わねぇ方が心配なんだぞ」
「…ごめんなさい」
「謝んな。今度からちゃんと話せよ」
「……はい」
「わかればいい。帰ったらココアでも淹れてやる」
「…ありがと、ございます」
振り向いた表情がいつもより少し柔らかくて、ちょっとだけ見とれた。頬も僅かに染まっているかもしれない。
隣の宙を泳ぐアーロがこちらを見ている気がする。いくら匣兵器といっても、まるで人間のようにこちらの様子を伺う姿に恥ずかしさが募って、その人の背中にぎゅっと顔を押し付けた。
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