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落つる花びらに口付けを・3
自身の体に変化が表れてからずっと、流れの速く先が見えない海流に身を任せているような不安が頭にこびりついて離れない。
あの人はどんな顔をするだろう。どんな態度を取られるだろう。拒絶されたらどうしよう。面倒だと思われたらどうしよう。
嫌だ、そんなの嫌だ、お願いだから嫌わないで。
我が儘だとはわかっていたけれど離すことなんて出来ずにずっと掴んでいた裾。
不意に頭を撫でてくれた手は大きくて優しくて、視線を上げれば合った双眸は普段と変わらぬ優しげな光を讃えていた。
やっぱりこの人は優しい。
いつもは仏頂面ばっかりで不器用だけど、つらい時はいつだって優しく頭を撫でてくれて、不安な時は何も言わずに抱き締めてくれた。
そんな優しい人を自分は疑った。見捨てられるのではないかと一人で怯えてすがり付いた。それでもこの人は呆れることもなくまた頭を撫でてくれる。
ああ、自分はなんて――、

「…フラン?どうしたぁ?」

「――…あ…何でも、ないです」

「嘘つけ、何でもない顔してねぇよ」

口をついて出た嘘はすぐに見抜かれて(この人はこういうところは鋭いから、)頬に添えられた手。
普段と変わらぬ何でもない仕草に涙が出そうになって、小さく唇を噛んだ。

「…なんで泣いてんだぁ」

「……ぁ」

そう思ったら体の方が先に反応していて、一度溢れ出した涙が止まらなくなる。
頬に添えられたままの手が少し位置を変え、そっと目尻に触れて流れ続ける雫を拭った。その仕草にまた視界が滲む。

「…っ、ごめんなさ…何でもないで、」

「…こっち来い」

ふと暗くなった視界。伝わる感触から手で目許を覆われたのだとわかる。促されるままに足を踏み出してしばらく進むと、不意に背中に固く冷たい感触がした。

「で、どうした」

急激に明るくなった視界、夕焼けの眩い光が瞳を差す。一度強く目を閉じて再び開くと、人通りの少ない路地裏だとわかった。逆光でわかりづらいけれど、その人が僅かに心配そうな表情を浮かべて顔を覗き込んでいる。
つくづく自分は心配をかけてばかりだと心の中で小さく苦笑した。

「…ごめんなさ…ただちょっと、不安で」

「これからのことか?」

「……はい」

情けない顔を見られたくなくて(既に十分見られているけれど、)顔を俯けた。視界に入るのは長く伸びた二人分の影。
その人の影に比べて自分の影はだいぶ小さくて、ほとんどがその人の影に重なっていて見えない。
まるで今の自分みたいだ。

「…やっぱりヴァリアーに居続けるのは無理ですかねー?元に戻るのは既に諦めてますけどー」

どんな顔をしていいかわからなくて、曖昧な笑みを浮かべる。その表情も眉をひそめたその人の顔を見た途端強張って、今の自分は何とも中途半端な顔をしているに違いない。
このままだとおかしなことを口走ってしまいそうだ。深く息を吐いて肺を空っぽにし、再びその人を見上げた。
数秒の間じっと見つめ合う。
先に視線を外してため息をついたのは自分ではなかった。

「ったく…くだらねぇこと聞くなお前は、暗殺者に男も女も関係あるかぁ。況してやお前は術士だろうが、そもそもここが簡単に抜けられる世界だと思ってんのか?」

「…えっと」

頭の芯がぼんやりしていたのに加えて一息にあれこれ言われた為か脳内処理が追い付かない。
漸く頭が言われたことを理解した後、ゆっくりと言葉を飲み込んで頭二つ分程背の高いその人をじっと見上げた。

「わかったか?」

普段は滅多に見せないような穏やかで優しい笑み、顔に熱が集まるのが自分でもわかって思わず頭と目線を下に向けた。
が、それを許さないとでも言うように顎を掴まれて上がった視線、次いで唇に柔らかな感触。目を見開いて固まればその感触はすぐに失せて楽しげな表情を浮かべるその人の顔が目の前にあった。

「…隊長はずるいですー」

なんだかそれ以上見ていられなくて慌てて顔を背けたら、くつくつと低く笑う声が響いて更に恥ずかしくなった。

「そろそろ時間だなぁ…帰るぞ」

「…はいー」

少し拗ねたふりをしてそっぽを向いたままその人の袖を掴んだ、すると機嫌を直そうとしたのか耳許に寄せられた唇。知らない、何も聞こえない。隊長の声なんて聞こえない。

「その格好な、」

すげぇ可愛いぞ。

低く小さな囁き、一瞬体全体がフリーズして世界の動きが全て止まった。
次の瞬間戻ってくる世界、ざわめく人混みに沈みかけた太陽。

「…っな、何言って」

「思ったことを言ったまでだ」

意地の悪い笑みを浮かべてフランの様子を眺めるその視線。こちらの反応をわかっていてやっているのだ、本当に趣味の悪い。

「ほら、行くぞ」

けれど然り気無く繋がれた手に怒る気なんてすっかり失せてしまって、大人しく腕に擦り寄った。
常から優しい人だけど、今日はなんだかいつもより更に優しい。
全てとは言わないけれど今までの不安なんてもう溶かされてしまい、満更でもない、なんて思っている自分がいることに少しだけ苦笑してしまった。

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あきゅろす。
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