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キムの手と悪魔
キムの手と悪魔
「今の話はキムの手と悪魔の関係がわからないが……とにかく、本来なら神様で良いにもかかわらず、悪魔の話を広げたやつと、キムの手が発見された流れになにか関係があると考えているんだな」

 フライパンに卵を落としている後ろでそんな声が聞こえる。
家は荒れて散らかってはいたが、どうにかキッチンなどは使えるし、器具も残っているので、帰宅してまずは朝ごはんとなった。

「うん……、それと、身近ななかで私を熱心に悪魔と呼んでいたのは『せつ』だった」

ちら、と後ろを見る。棚の側などを 改めて確認したがキムはまだ眠っているようだった。
 それになんだか家の中の空気が変わった感じがする。
今まで、部屋にどこかぼんやり薄暗い霧がまとわりついたような気配があったのに……電話の近くだとか、ちょっと苦手な重々しい空気をまとっていた気がするのに、それが、カラッと晴天のような────そういえばこれがこの部屋だったなと、今更感じ直すような、変な感じ。
完全にとは言えないが、圧倒的な身動きが出来づらいくらい重々しい空気のなかにあった部屋が、どこか、見違えたようだ。やっぱりあのときの戦いが関係するんだろうか。

 ほうれん草とベーコンをいれて、グシャグシャと溶いた卵を掻き回す。バターのいいにおいがする。

「『せつ』 ──今までの話を聞く限りだと隣国が首をすげ替えることを目論んで用意していたスパイ、だったな」

「うん……」

「なるほど、キムのことはわからんが──44街を乗っ取る足掛かりに
組織的に、『悪魔』を利用した可能性はある。
学会を侵食しながら目を付けた獲物を監視し、情報操作をしていた──と。観察屋が今のようになっているのもそれが絡んでいるだろう……俺もいきなり消されかけるし」

 アサヒがクビになったときの話を私はそういえばよく聞いてない。だが彼は当時の上司になにか心当たりがあるようだった。

「信仰は国家間の関係そのものと密接に関わる、国柄といっても良いものだ。
この国の44街の神様信仰を蹂躙する理由としても、悪、と名の付く悪魔のイメージを植え付ける方が早い、か」

「……戸棚から、パン出して」

「おぉ」


──あれから。
互いに何事もないように接している。
私は朝ごはんを作り、女の子とアサヒは、部屋の片付けを手伝ってくれていた。
 落ち着かないくらいに落ち着く日常の風景。

 ──未だに私は、誰かとこんな距離で関わることが、そもそも接することが正しいことかはわからない。

「あ、そっちの食パンの横にあるレーズンパンは私のだからね」
「はいはい……レーズンが好きなのか?」
 好き、それは純粋な好みだけでなく、何かや誰かのための望みや願いでもある。
「嫌いだよ」
 私は『スライムが願う私』を否定した。
それは『私』ではなかった。
私は私が決めなくてはいけない。
「嫌いだけど、でも、いろいろあるの」
「あっそ」

 生まれて何年間もずっと自身の存在自体に確信を持てないでいた私がスライムを否定してやっと自分の存在に気が付いた。

「いろいろ、あったけど、私、嫌いなものがあって、良かった。嫌いなものを否定して良かった。
それだけは思うの。スライムが、ああなったのは悲しいけれど──でも私は、自分の気持ちや、相手の気持ちと、戦って良かった」

受け入れられない誰かを否定して、遠くから周りの景色を見下ろして、やっと手に入るものも確かにある。
近すぎて見えないもの。
受け入れ過ぎて見えないもの。痛みを忘れてしまうと、見えないもの。
気持ちと戦うこともときには必要だ。

「──そうかもな」

誰かを嫌いになるとき、人はやっと、自分を確認出来る。


──ちらりと後ろを見る。
コリゴリの死体も、愛してるが散らばった紙もどこかに消えていた。
(……あの男が、うちに、来たのか)

 女の子が、部屋の奥で何かを言った。私は皿にほうれん草と玉子のいためものを盛り付けて、この前のハンバーグのあまりを乗せながら、気持ち、首を伸ばして部屋の方をうかがう。
彼女は神棚を見ていた。

「どうかしたの?」

「旅の無事をおいのりしてた」

「そっか──」

「うん。早く、嫌うことに慣れたい。だから、こわくないよ」
「え?」

「わたしも行くからね。どうせ置いていく気だったでしょう」

 私は苦笑いした。
アサヒはなにも言わずに席についている。確かに北国に女の子を連れて行けるかは、年齢の面でも危険かどうかという話し合いがないわけではなかったが、母親を見つける、という目的の為には現地で見てもらう方がまだ確実だと感じてもいた。

「戦うのも、北国にいくのもみんなわたしの為の願い事みたいな部分があるのに、なにもできないって、思ってた。
 わたしが、それだけ恐がっているから、自分の臆病なところが目につくのかもしれない。でも、いつまでも嫌いなものが怖い。それが、一番怖いから……」

「うん。行こう」

彼女の目が輝く。
少し焦げた部屋。散乱している紙束。倒れた物。
それらを背にした少女が、なんだかとても頼もしく見えて、私は微笑んだ。


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投稿日2021/3/2 13:25 文字数2,015文字







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「恋愛が出来なくても良いとは思わないけれど、人間が人間と出会うことと恋愛のイメージが、逐一常識でなくても良い。

誰かを好きになれなくても、嫌いになら、なれるかもしれない。

好きも、嫌いも、私たちには同じように必要なものです。

人間には、どちらも必要なのです。



「何言ってるんだ!」
「嫌われた人がどんな気持ちか考えろよ」
「そうだそうだ!」

「人は人としか恋愛が出来ないのでしょうか? 性別という今までの常識が近年、否定されています。
しかし恋愛に必要な姿形については、まだまだ認知されていません。
彼ら彼女らの全てが恋愛自体を滅ぼしたいというわけではなく、自身が完全であるからという考えも持っていない。
ただ──彼らにとっては、純粋に外部からの『刺激』。体が受け付けることに苦しむような刺激なのです。私の体がもつ難病の恋愛性ショックのような……」


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あきゅろす。
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