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兄妹 神威

 私の母は、聡明で優しく綺麗なひとだった。そんな母が決まってよく口にしていた言葉が私は気に食わなかった。ある一種の独占欲を母に抱いていた、とでも言うのだろうか。この星の住人は、決まって独占欲が強く、傲慢で、自己中心的だ。そして私の父や兄というものは、その性質を体現したようなやつらだった。
 
「あなたたちの父さんは、立派な人よ。」

 だから何だと言うの。いつもいつもいつも。母さんを置いてけぼりの癖に。誰構わず勝手にしたいことをしてるだけじゃない。どうして母さんはそれに縛られなきゃいけないの? この家も私達が暮らしていける何もかも父が与えてくれていると知ってはいるけど、どうせ会いに来やしないのに。例え母さんが愛そうと妹が許そうと兄が認めようと絶対にわたしだけはあなたを父親なんかだと思ったりしない! 怒りばかりが込み上げてきくる。生暖かい雫が頬を伝う。母さんがその言葉を口にするたび悔しくて悲しい怒りのような言葉に表せない感情がのた打ち回っているのを感じていた。






 そんな母が、死んだ。







 夜兎は宇宙全体で見ると自然治癒能力が驚異的に高い種族らしい。だから殆ど病気にかかることもなく、何よりも強く永く生きる能力がある。

 では母は、母は。何故、死んだのか。冷たく白い腕を握っても、握り返してくれる暖かさは微塵も無い。だらりと力なく薄く黄ばんだシーツの上に手のひらが落ちた。妹の手を強く強く握って泣いた。きっと、産まれて始めて「悲しい」という感情で泣いた。頭がからっぽになったあと、一番始めに浮かんだのは父への憎悪だった。どうして最愛の母が死んだというのに、もうその知らせは父に届いているだろうに。来ないのだろう。
 
「ねえ、おかあさん、何でおきないの?」
 
 ごめんね神楽。あなたに残酷すぎる真実を言いたくないけど、陳腐で安っぽい嘘なんてもっと付きたくないの。母の死は私達にとって世界の終わりと等しかった。だからあの時も、黙り込んで無邪気なあの子を抱きしめることしかできなかった。
 
「かぐら」
「おねえちゃん、どしたの」
 
「この星を出ようか」
 
 ぼろくて小さくてきたなくて、私達二人でも狭いちんけなあばら家の真ん中で居るよりはずっとマシ。
 
 例えるなら何よりも光り輝く星が死んだとき、それを糧として光を受け生きていた者達が死を待つような。閉鎖的な空間で、妹と二人、死にゆくなんて嫌だった。悲しみが頬をつたう。兄は暫くの間この星の反対側に居る。兄が戻ってきたとき、わたしは母さんの死を何と言えばいいのだろう。―――いや、兄は。
平然と応え、悲しむこともなくただ生物学上の母親という存在が活動停止したという認識しかしないのかもしれない。あの人も母さんには無関心だった。
 
「・・・・・いやだよ」
 
「どうして?」
「だって、友達もいるし、おにいちゃんもおとうさんも、帰ってきて誰もいなかったら、こまるよ・・・」
「神楽は、優しいね。あんな人たちのことを、心配しているの」
 

 最後まで経つのを嫌がった神楽。わたしの大切な妹を残して行くことをどうか許してください。










 地球という星に来て2年経つ。この生活に馴染むのに、さほど時間は掛からなかった。初めて自由を知り、傷つけあう以外の他人を知り、そして、より多くの悲しみを知った。それでも、母や妹のことを考えない日はなかった。初めは妹を置き去りにした後ろめたさから何も口に通らなかった。

 この星に余るほど居る孤児も、底辺で生きる薄汚いと罵られる人々も、勿論普通の生活を手にした者だって、「母は尊い」と皆口を揃えて答えるのだ。そんな時は度々悪寒と不安に襲われる。じゃあなんで母はあんな風に死んだのか。それを破壊衝動にしてぶつけたくて仕方が無かった。ただでさえ身元も分からぬ私。この街にはそんなことを気にする人だって居ないのだけれど。目立つのなんて御免こうむる。夜兎だなんて、邪魔な足がかりにしかならないのだと、そんなことわかりきっていたから。

 あの日からきっと、わたしは一度死んだのだ。

 小さな喫茶店で働く姿は、さながら昔では考えられないと思う。「お待たせいたしました」不釣り合いな少女の笑みを浮かべた。――泣きそうに、なった。
一目で彼が兄だと分かった。鮮やかな朱の髪も、朗らかな大きな目も、すべて、母の面影。

「どうしたの?」
 
 彼が笑う。ああ、ほら。母だ。母が死んだなんて嘘だ。だって、此処にまだ居るじゃないの。わたしの目の前で確かに、血の通った人間として、生きているじゃない!

「突然初対面の人に泣かれても困るんだけど。このシチューエーションだとなんか勘違いされそうじゃない?面倒だからそろそろ泣き止んでよ。」

「おにいちゃん、」

 母の面影がそこにある。悲しくて嬉しい渦巻いた感情。彼は私に兄と呼ばれたことに目を丸くした。

「……もしかして、名前?残念だけど、両親とか家族に思い入れだとか愛とか求めないタイプなんだ」
 
「母さんが、死んだ」
「そうなんだ」
  
「母さんが死んで、それで、私はあの星を出たの。神楽は残してきた」
「そうなんだ」
 
「……なんとも思わないの、あなたは、……母さんが! 母さんが死んだのよ!」
「思わない」
 
 眉ひとつ動かさぬまま淡々と応え続けるだけの彼。母さえ何もいらなかったわたしにとって、それは許されがたいことだった。否定された気分だった。母に瓜二つの彼が、きっと心の奥底では母を哀れんでいるのを期待していた。それに何の疑いも持たなかった。わたしは、母のために、十四年間時を過ごしたのだ。傲りだということも、わかっていて。叫びたい衝動に駆られて、今すぐあの出来事を母の死んだ日を話してやりたくて。母さんはあんたのせいで死んだんだ。

そして彼は世界の全てを、母を否定したのだ。

虚無感が心を支配したあと、母を亡くしたあの瞬間のような、いいようのないおぞましさが背筋を流れた。愛憎のような、母をわたしが憎んでいるかのような。それは正に愛であるのに、その存在を憎んでいる。わたしが彼を愛しているのではないのだ、わたしは母を愛しているだけ。

「神威って本当、父さんと似てる。」

 精一杯の皮肉しか言えない自分に、涙が出そうになった。



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