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< Waitting for you >
―――――氷川亨は非常に上機嫌である。
真夏に向けて日に日に元気を増した太陽は、今日もジリジリとその暑さを主張している。花盛りを終えた木々が、その緑を自慢げに誇っていた。
めいいっぱい短い命を楽しむ蝉の声が男の耳に届く。
燦々と照らされたグラウンドは、放課後の部活に勤しむ運動部員たちで今日も活気に満ちていた。
氷川亨は今日、くだらない噂を耳にした。
顔も覚えていない女が勝手に流したちんけな嘘だ。しかし、そんなことはほんの些細なことだと亨は思った。
かつての自分なら真っ先に不機嫌になり毒吐いていたに違いないのだが、今はそれすら許せてしまうほど上機嫌なのである。
いや、許せてしまうというよりは上の空だと言うべきかもしれない。
この数週間、会長席の窓の前で悶々と悩まされ続けた頭痛の種が、ここ最近ようやく解決した。
「好き」を強要した上、有無を言わさず手に入れた相手を思い浮かべて、男は笑わずにはいられない。
長年の悪友が呆れた視線で「コレはだめだ」と首を竦めようとも。
思い人の幼馴染に睨みつけらては鼻を鳴らされようとも。
「はい。会長。この資料に目を通して判押してくださいね」
―――まして、そのお姫様に天使の微笑みでいびられようとも。
噂されることを何より嫌ったかつての王様は、今や小さな嘘に目くじら立てることはない。
『この学園の生徒会長は仕事をしない』
それはこの学園の周知の事実で、学園にいる誰もがその事実を知っている。
「―――あ、これ。今日までですから」
だからこれは、横からお気に入りのナイトを掻っ攫われたカワイイお姫様の立派な嫌がらせなのだが、鼻歌歌いそうなほど上機嫌な王様は、寛大だ。
陸上部の風景が一等良く見える窓の前を陣取って、王様は校庭にいる無口な騎士を眺めて、一人幸せな気分に浸った。
―――夕日が暮れて闇に星が瞬く頃、空を愛する青年は、空を目指すのを止めて、この部屋を訪れる。
だから、王様は今日もその特等席で紫煙を曇らせるのである。
―――生徒会室の厚いドアが小さくノックされるその時まで。
「―――――まだかよ」
愛しい恋人を待つ王様の耳には、かすかに野球部員が出す元気な掛け声が聞こえていた。
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