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< 代価 >
「――――――おはようございます。要様」
ホテルの正面入り口に見知った男たちを見つけて、思わず口の端を持ち上げる。
無粋な男は、しかし、主人が買った男については何も言うつもりはないらしい。もっとも、要が言わせる訳もないが・・・・。
「――――――早いな、神田」
ホテルロータリーに用意されたベンツの後部先を開けながら、神田は食えない顔で「主が早いものですから」と続けた。要は小さく笑った後、ビジネス用の顔に挿げ替えると「本日のスケジュールを」と神田に指示した。
―――時刻は午前6時を少し回り、まだ都心の道路は渋滞すらしていなかった。
――――日付の変わった深夜。
ようやく仕事を終えて自宅に戻って来た要は、護衛と神田を帰らせると暗い部屋を通り抜けリビングに向かった。
――――食事を取るにはもう時間が遅すぎる。何しろ疲労困憊の体を風呂に浸かって休めたかった。
要はスーツケースを床に置き顔を上げた。
――――突然の訪問者は時と場所を選ばない。
「―――――随分と早いおかえりだな」
月明かりに浮かぶ人影は、聞き覚えのある低い声をしていた。
―――聞き忘れるはずのない、しかし、ここにはあってはならない声。
要の所有するこのマンションの住人は、一部の信頼の置ける部下と彼しか住んでいない。何しろセキュリティー管理が行き届き、見知らぬものが部屋の主の許可なしに入ることが叶わない仕組みになっているのだ。
―――しかし、男は確かにそこに立っていた。
どうやって入り込んだのやら。
――――どこまでも食えない男に、要は微笑が浮べた。
「――――真夜中の訪問者とはまた随分と洒落た真似をする。女の喜びそうな演出だな」
―――――ダンッ!!
「――――どうでもいいぜ、そんなことは」
窓の強化ガラスがびりびりと力の余波で振動していた。
――――――要は目を細めた。
少なくとも今ので防犯装置が作動しただろう。ゆっくりとジャケットを脱ぐとリビングソファの背にかける。そして、月明かりの中、男の対面のソファに腰を下ろすのだ。
――――明かりを点けずとも猛獣の目は、ギラギラと輝いていた。
「――――――胸糞悪くて反吐が出るぜ」
グシャリと何かを潰す音ともにぼっと闇に火が灯る。
――――要の目の前、ガラスの灰皿に投げられた小切手はメラメラとよく燃えていた。
要はシガレットケースを取り出して、燃え尽きそうな小切手からタバコに火を移す。
ふぅーっと吐き出すと部屋は忽ち紫煙で曇った。
「・・・・“買え”と言ったのはそちらだったはずだが?」
男は低く笑い声を上げた。そして、次の瞬間、絶対零度の声で、言い放つのだ。
「――――番犬は引っ込んでな」
その声は、要の後方、闇の中に蠢く男たちに向けられていた。月明かりに微かに光る、サイレンサーの銃口と共に・・・。
しかし、何よりも凍て付く鋭い視線が男たちを凍りつかせていた。
――――――やはりとんでもない男だな。
要は小さく笑って、手で男たちを制す。
ゆっくりと近づいてくる男に、背後の男たちの緊張が高まったが、それでも要は微笑み続けていた。
―――――銃口が要の額に向けられた時には、部屋の緊張感は最高潮に達していた。
二人の視線がぶつかり、一触即発の雰囲気があたりを包む。
――――要はじっと獣の瞳を見つめた。
視線は逸らされぬまま、銃口はなぞるように顎まで落とされる。
―――――瞬間、その隙を狙って男たちが動く。
―――が、男の動きはそれよりも早かった。
銃口はすぐに男たちに再び戻され、再び緊張は高まったまま事態は静止した。
――――男が酷薄に笑った瞬間、どんと要は突き飛ばされた。
「―――――“買え”と言った覚えはない」
なんなくソファに転がった要に男が圧し掛かかる。
「―――――俺は“飼え”と言ったんだ」
――――男が残酷な笑みでニヤリと笑っていた。
「―――肩書きなら何でもくれてやる。血肉を食らう暗殺者か、極悪非道のやくざの息子か。じじぃの後継者、何でも好きなように使うがいいさ・・・・どうせ昨日のうちにあのおっさんが調べたんだろ?」
要は背後の神田を思い浮かべた。
―――確かに今朝要はその報告書に目を通している。
だが、どれもこの男が故意に漏らさなければ、調べられぬ重大なことばかり。
「――――――だが、くだらねぇ金で繋がれるほど俺は安くはねぇ」
要はじっと自分の上にいる危険な男を見た。
「代価に―――あんたをもらう」
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