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< 波音が聞こえるよ 16 >
――――――民宿の管理人のおばちゃんに手当てしてもらった傷口は大げさに見える包帯が足の甲から裏へと巻かれ、意外にも深いその傷に喬は数日否応なく海から遠ざかるを得なくなった。
歩けば痛みを訴えるその足で散歩がてらにうろうろする訳にも行かず、結局、ヒグラシが鳴き始め、空に一番星が光るようになった頃に姿を見せる友人たちが戻るまで、何をするでもなく時間を潰すしかなかった。
ブラウン管テレビの影を色濃く残す食堂の部屋の角には明らかに急いで設置しましたとばかりに置かれた液晶テレビから夏の甲子園の戦況が刻々と漏れていた。
そのいかにもな夏のBGMの中で、おばちゃん手製の昼食を腹に掻き込んで喬は客の居ない食堂を一人独占した。
―――――ただの白米に島特産の刻みノリを上からかけただけの代物がどんな外食よりも美味という事実に気がつき、蟹汁とともにおかわりを申し出た結果、中年どころか壮年に差し掛かるおばちゃんの嬉しそうな笑顔を得た。
明らかに愛想が良い方ではない喬の何をそんなに気に入ったのか、おいしいスイカがあるからと民宿1階の管理人住居へと繋がる渡り廊下の縁側で、風鈴の音を聞きながら、世間話を左から右へと流してスイカを食した。
そのまま夜の仕込みへと消えて店の宣伝が書かれた内輪を渡されるまで、ひたすら本島の大学・高校に通う息子と娘の話を耳に唱えられた喬だが、それが逆に荒んだ心には良い気分転換を齎していた。
乾いた笑いと相槌を打つだけの喬を見て「うちの息子もそっけなくて」「男の子なんてそんなものよね」っと目を潤ませたのは、子を思う母の気持ちだったのだろう。
その日、喬に訪れたのは、怪我の具合を確認する携帯メールに時折返事する以外は、庭にまっすぐ伸びるヒマワリの背筋の良さをぼんやりと眺めるのどかな午後だった。
―――――チリン、チリン。
軽やかな風鈴の音を耳にしながら、じっとり汗が首を流れる感覚に夏を覚える。
視界に映るヒマワリのその背はある人物を薄っすら連想させ、喬の顔は自然うすら笑いを模っていた。
―――――ジャーマンシェパードという犬種は警察犬や爆弾処理班などで使われる賢い犬種で、時には警備や警護をし、ペットとしても愛される頼もしい万能犬だ。
その犬の優しさは鉄壁の守りを誇るドーベルマンの心を捉え、かつて隣を譲ろうと思った相手を知らなかったガードマンはその思いに困惑して主の隣を空けるように後ずさった。
だが、シェパードはその距離を縮めることはなく、代わりに力勝りのアメリカンピッドブルが間に入ってしまったのだ。
その現状の不甲斐なさと困惑が苛々の原因だと結論づけた喬から朝の不機嫌さが消えて行く。
代わりに現状の構図を犬に例えるコミカルさに思わず笑みが出た。
「―――――毒されてんな・・・」
低い声で犬好きの友人の影響に笑い声をあげるととろとろとした心地よさに瞳を閉じる。
―――――かつて苦手意識すら持っていた男を思った以上に気に入っている自分に笠野喬は気がついていた。
やがて廊下から向けられた扇風機の風の当たる縁側で、誘われるように安らかな眠りについた。
―――――チリン。チリン。
微かな風鈴の音にゆっくりと瞼を開ければ、景色を確認する間もなく飛びつく影に思わずため息が漏れる。
「喬!おい、オマエ足大丈夫かよ?」
「うるせぇわ」と手で叩き落とした友人の頭の後ろに背の高い影が見えた。
すでに日は落ち昼の太陽の影はなく、肌に当たる風も幾分か涼しいものへと変化している。
「――――今夜は向こうの宿で飲み会しないかって話が出てる」
ゆっくりと焦点を結んだ先にいた男が、真摯な瞳で語った言葉にただ喬の頭に浮かんだのはラストチャンスという一言だった。
大人たちへの仲間入りに返すのはYESか、NOか。
―――――その答えは問われるまでもない。
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