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< 波音が聞こえるよ 15 >










近日台風上陸のニュースが嘘のように嫌味なほど晴れ渡る太陽に笠野喬はうんざりと顔を歪める。







―――――防水腕時計を見やれば午前8時。






まだまだ日が昇るのはこれからだというのに刺すほどの紫外線に溜息しか出てはこない。



風の強かった初日は半袖ハーフパンツの繋ぎに似たスプリングというスーツだったが、暑さを覚悟した今日は上半身だけのウェットスーツだった。


だが、腕と首以外は覆われているため、水の中にいなければ熱いことに変わりないし、常に太陽の日差しを受ける顔がじりじり焼かれるのは毎度のことながら気持ち良いとは言えなかった。







――――焼けるのが嫌うんぬんはともかく、ある程度の日焼け止めを塗っておかなければ、黒いどころか真っ赤に晴れて最終的に『みっともない』だけでは済まなくなる。



一日中顔の痛みと格闘するのは海デビュー初日で十分で違和感の拭えない火傷用軟膏を顔に塗る数日は思春期の若い男には耐えられるものではなかった。


まして日焼けは丘サーファーに近い喬には一時の痛みで済むものだったが、マリンスポーツに勤しむ者ならその影響は皮膚癌と絡んで重大な注意事項の一つだった。










―――昨日よりは穏やかな海の浅瀬でボードの上で腹ばいになっていた喬は、ふっと漕ぐその手を止めて黒い人影に視線を向けた。



波待ちポイントにあるその影が誰か、一目でわかるなら、そろそろ友人なり知人なり定位置を決めるべきなのか。


だが、決断力があると言われる喬は珍しくその答えに窮するのだ。






喬と幸一のような初心者レベルの者にはまず第一に他のサーファーたちの邪魔をしないというルールが存在する。


波待ちにしろ、波乗りにしろ、それなりにルールやマナーがあって皆順番を並んでいるのだ。


それに気づかずにいれば、待っているのは避けられるはずの事故やマナー違反のレッテルだった。







――――波待ちの先頭にいた黒い影が一際大きく現れた波を背に泳ぎだす。


黒光りする太い腕でぐんぐんと波を掻き、やがて波にバランス良く乗った瞬間、ボードを足に男が波の上に立ち上がっていた。


重心を下げ、腰を落とすようにして高波をボードで切り裂くその様子は男でさえ感嘆の息を吐く。








「――――エリート様、マジ調子いいんじゃねーの?」





その波乗りの影を喬の鋭い視線が密やかな憧憬の光とともに追った。










―――――杏里たちの合流話に覚悟はしたが、喬の予想に違わず、すでに旅行は本来の男3人旅行の様相ではない。







早起きするサーファーたちの習慣に違わず、少し早い時間での解散となったバーベキューの中で「一緒にどうだ?」という憧れの杏里からの言葉にあっさりと頷いた友人の記憶は今朝になって珍しく消えてはおらず、杏里という大人の男も当然のように早朝喬達の民宿の前に車を止めていた。


内心溜息の喬の味方は、唯一苦笑気味の寛和正秋という男だが、早朝に鳴った電話を受け取った男が意を唱えることはなく、結果こうして同じポイントでサーフィンに興じることになったのだ。








昨夜の一時でその寛和正秋と美置幸一の間に何があったのか、なかったのか喬は知りはしないし、知りたくもない。


ただ酔っ払いを送りに行った二台の車はそれぞれ片付けが終わるその前に浜辺に戻ってきたことだけは確かで、片付けを終えて車に便乗させてもらった喬は車内に乗るやいなや礼を告げて、後はそのまま無言で民宿に戻って眠る友人の傍に布団を引いて早々に眠りについたのだ。


アルコールと早起きと疲労感で、同じように布団を引いた男が「おやすみ」という言葉を呟いた気もしたが、その言葉が真実かどうかを判断する前にあっさりと喬は眠りの中に誘われていた。










―――――朝揃って民宿の食堂で朝食を食べる二人の様子を勘ぐるのも下世話かと思い、黙々と朝食を喉に流し込んだ喬は早々に席を立って喫煙に向かった。








喫煙は本来のニコチン欲しさだけでなく、一人の時間を確保したり、席を外したい時にも用いられる体の良い大義名分だった。


だが、そうして一人の時間を確保したところで喬の気持ちは今もって晴れてはいない。










―――――最低限のチャンスを男に与え、後は二人の気持次第だと割り切ったが、同時に「気持悪い〜」っと顔を青ざめた二日酔いの友人とそれをミラー越しに笑いながら車を走らせる男の普段通りの光景に小さな苛立たしさが積もった。












「杏里さ〜ん、もっかい、もっかいっ!!」








海にいてさえ聞こえる友人の大音量の声に沖へのパドリングを諦めた喬は海の中に飛び込むとボードを抱えて陸へと向かう。


そのまま何もせずに海に浮かぶだけでは、喬に順番を待つ気があるのかないのか、波待ちに向かうサーファーたちを苛立たせるだけでしかなかった。


喬の動きを遮ろうする水圧にすら、何ともいえない苛立たしさが膨らむのだ。









―――――ザバァッ。ザバァッ。






海からあがった体とボードにかかる重さに舌打ちして喬の足は砂を蹴るように砂浜を歩き出した。










――――――このポイントに車を止めて程なく、喬の友人の隣には常に杏里俊弥の姿があった。





自分の波乗りを諦める大人で寛大なその対応は同じ初心者からすれば、優しい姿に見えはすれ、苦々しい思いを運ぶものではないはずだが、「おまえもどうだ?」というビジネストークにそっけなく断りを返すほどに今の心は荒れていた。


だが、筋金入りの金槌で水に顔をつけることが苦手な友人が、それゆえにサーフィンが上達しない理由を知っていて尚、杏里という男に隣を明け渡した寛和正秋の行動こそ、より苦々しさを感じていたのだ。


結局、そういった棘棘とした心情があっさりと波乗りへの前向きな気持ちを喬から奪い、彼の眉に刻まれた縦皴は寝起きから開放されていないままに至る。












「―――――教えようか?ここ初めてなんだろう?」






突然、齎された穏やかな大人の声に視線をあげた先に、昨夜一緒に片づけをしたサーファーの一人が立っていた。


年上の男という生き物が喬は面倒で嫌いだが、目の前に立つ柔和な男に警戒心を薄める。





30代後半に思えるその男はワイルドというより温和な大人という印象が強く、昨夜のバーベキューでも率先して食料を取り分けていた喬が見た限り『面倒ではない方の大人』の部類に入っていた。


だが、せっかくの親近感も今の心情では素直に男の教えを乞うことも、受け入れることもできはしない。


思いのままに適当に断りの返事を返した喬に男は引き攣るような苦笑を返したが、悪いと思う心情が今の荒々しい気持ちを晴れさせるわけではない。


暗雲垂れ込めた心に更なる決定打を自身が打ち込んではいたが、新たな知り合いを作るにしては心が荒みすぎていた。











「――――――っ!!!」






何より、砂に埋もれて気づかなかったガラスの破片を踏んだ喬は、意外にも深く傷つき、血の流れる足裏に今日という最低な一日を知る。


出血したまま海には入れず、また傷ついた部位も足裏という最低さだ。







とりあえずぎこちなく片足を引き摺りつつ車に戻った喬は、ミネラルウォーターで傷口を流すが、踏んだのが瓶の欠片だったこともあり、バンドエイド程度では覆えないほどの大きさだった。







「・・・・・馬鹿じゃねーの」






苛立たしさに思わず呟いた喬はトランクに座り、傷口を乾かしながら、しばらくサーフィンに興じる者たちを遠くから見つめていた。









―――――やはりショップスタッフと寛和正秋という男はちらほら混じる地元サーファーの中にいても格段に波乗りがうまく、その容貌も相まって下手なサーファープロモよりも絵になった。



特に今日の男は足手まといが少ないためか、その実力を十分に発揮しているように思える。










「―――――ちっ」






――――――結局、腐っているのは自分一人で、それも下手な気を廻す独りよがりの馬鹿らしさだ。



小さく舌打ちした喬はその辺のタオルで血を拭うとそのまま傷口を巻いて、運良く通りがかった仲間内の一人に声をかけて宿に戻ることにした。


幸い今日のポイントは喬たちが泊まっている宿からそう遠くなく歩ける距離にある。








――――――少し頭を冷やす時間が必要なのは誰が語るまでもなく喬自身よく理解していた。







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