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< 波音が聞こえるよ 11 >








「――――喬ってドーベルマン?ってか、ロットワイラー?」







だが、意図せず醸した雰囲気に反して返された内容の軽さに己の考えすぎに思い至った喬は鼻を鳴らすと再び歩き出していた。



本能的に長年の友人が何か重い話に触れる気配はするが、旅行中にシリアスな話を持ち出す気は喬にはない。


特に笠野喬は美置幸一との友情関係について言及するのが好きではなかった。









「―――――その例え、全然わかんねぇわ。なんでも犬に例えんな」







――――もともと、喬にとって臭いセリフや熱い青春の言葉というのは尻が痒くなるような居心地の悪さを齎すものだ。





加えて、長く続くその友情関係は下手に口を吐けばぞろぞろと人として暗い闇としか言えぬ心を引き摺り出すブラックボックスだ。


罪悪と憎悪、劣等感と嫌悪感、そして己の存在意義を問うその声は封印したいパンドラの箱とも言える。


決して綺麗なだけではないそれらが、せっかくの旅行に影を落とすような真似は避けたいというのがたいていの人間の考えだろう。








「・・・あー。だからー、ペットだけど警護犬?警備犬?ガードマンが仕事ってやつ」






背を追ってくる明るい声に、気をそがれたというようにそっけない適当さで返事を返す。








「―――――んじゃ、オマエはチワワかパピオンだな。小型犬は見た目可愛いからってしつけされずに甘やかされてマジ困るってな」







無意識に進めるその歩が先ほどよりもスピードを増したことに喬自身気がついている。


だが、「知ってたかよ?」とのんびり言葉を続けて肩を並べるように足早に近づいた友人は未だ話を続ける姿勢を崩しはしなかった。








「奴ら見た目こえーからペットとしちゃ人気ないけど、他人にどうでも飼い主家族はすっげぇ大切にするんだってよ」








―――――家族と犬というキーワードが隣の友人から出たならアルコールが未だ体に残っている証拠だ。




シラフなら母子家庭で育った友人は家族についての語りを避けるし、高校時代、ずっと可愛がっていたペットの犬の死に直面して以来、それまでうるさいぐらいに語っていた犬好きはそれを機に犬の話題にも触れなくなった。


ただアルコールが回ったその時に時折思い出すように禁忌の話題に触れてはその顔に影を落としたり、酷い時には泣き出して隣の喬に絡むことも稀にある。


小さく鼻を鳴らした喬は隣を歩く友人の足取りの確かさを確認するように足元に視線を落とすと足早だった歩調を緩める。







「――――喬って闘犬って感じもすっけど、キレても意外と中身冷静だもんな。なんなら俺限定で介護犬もいけんじゃね?」





酔っている割にしっかりしたその足取りに内心安堵は沸くが、体を動かせばさらに回る酒の習性を理解するなら、今夜の友人の成れの果てを危惧するしかない。


言い得て妙なガードマンという言葉に反発の心が沸き起こるのは図星の効果であることを喬自身否定はしなかった。









「・・・・犬の話にうんざりですわ、犬殿下。ってか、さらっと世話しろって匂わせんな」






―――――確信犯ではないにしろ甘えっ子の嗅覚の鋭さにさっさと会話の終焉をもぎ取るため茶化しを入れるが、それは逆に始まりを生む破目になった。














「―――――男の俺から見てもさ〜、杏里さんとか秋ちゃんとかってマジカッコよくてすっげぇ憧れるんだよな〜」






耳が腐るほど聞いたその惚気にも近い鈍感の安易な賞賛は、邪な思いを抱く被害者を増すことしか出来ない。


軽い言葉やジョークというのはジョークと相手に悟らせてこそ意味があり、笑いが生まれる。


それが相手に伝わらなければ、口から簡単に出るそれはただ相手を惑わせるだけの無責任な言葉でしかない。


だが、中には相手の関心を得るために本音を交えて語られる軽言もあるからには、結局、ジョークや軽いその言葉は使う者を選ぶ上級者のスキルなのだ。


羽のついたその言葉たちが往々にして社会に氾濫しているのは明白の事実で、それを使う者の価値観は人それぞれだ。


結果、無責任な言葉とジョークの境目を守って使えというのは他人に惑わされることが嫌いな喬の一主張でしかなく、その使用方法は使う者の良心と見識に委ねられている。


とはいえ、隣を歩く友人のように得てして悪意があるわけでもなく使われることがあるからこそ余計に言葉とは難しいものなのだろう。









「―――――けど、俺が一番始めに憧れたのはたぶんオ・マ・エ」








――――――ぽんっと肩に置かれた白い手は軽いタッチだが、見つめる視線の存外な真剣さは一般的に聡い方に分類される喬にその意味を正確に伝えるには十分だった。









「しっかも、喬君だけは特別枠です〜。よかったね、喬君」







だが、誤魔化しの入った軽言がそれでも『これは本音』だと語ろうと喬はその本音をまっすぐに受け止める気にはなれない。








―――――笠野喬はパンドラの箱を持ったその日から、自分の心の秤が常に偏っているのを知っている。



真っ直ぐ向けられる邪気のない友人の言葉だけが、喬にとって少しの喜びと苦々しさを生む代物なのだ。













「―――――この俺を喜ばせてぇならもうちょっとマシなセリフ使えよ。賛辞が足りてねーわ」







だからこそ、口を出るその言葉は真っ直ぐ飛んできたボールをそのまま相手に打ち返すことできない歪んだそれなのだ。


肩の手を払い落とし、じゃりじゃりと音を立てて突き進む背中にはどこか暗い翳りが見えた。









「―――――さっさと足動かしてくれませんかね、犬殿下」






今時のそれなりに華やかな容姿を持つ笠野喬が、口から零れるユーモアもそう悪くはないのに、それでも人を寄せ付けない何かを持っていたのは長い前髪の作る影の陰湿さではない。


真実は斜に構えたその心とどこか暗い鋭さを宿すその瞳故に、人の闇を知る人間には同類の匂いを、太陽の明るい日差ししか知らぬ者には近づき難い憧憬を与えるからだ。


だが、笠野喬という人間の傍にいる者たちはその口から飛び出す荒い言葉だけが笠野喬を表すものではないと理解するほどには友人関係を築いていた。










「・・・・・杏里さんはピッドブルとかワイルドな闘犬、秋ちゃんはシェパードとかスマートな人助けの仕事犬だよな〜」







懲りず犬の話題を続ける友人に喬はうんざりと溜息を落とすと、無視を決め込み足を動かす。


時折、隣の酔っ払いの足音に耳を傾けながら、ただ目の前に見え隠れし始めたバーベキューの炎の灯りに目を細めていた。








「・・・ちなみにこの中での一番人気はシェパードらしいよ。残念、喬君」








―――――ザァァァァァア。






潮の香りと波の音を五感に感じた喬はのんきな友人の言葉にリアクションを取ることはない。


ただ暗い海に目を細め、夏の書入れ時にわざわざ休みを取ってまで島にやってきた大人たちを思ってざわめく心を持て余していた。





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