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< 波音が聞こえるよ 7 >
「――――ってか、やっぱいいわ〜。女いるとこんな話できねぇもんな〜」
喬の足からよろよろ這い出た幸一が再び畳に大の字になると天井にぼやくように言葉を語る。
「・・・だろうさ。オマエ、下ネタでしかコミュニケーションとれねぇからな。それ、女の子ドン引きだろ?」
ようやく口を開けたビールを卓袱台から取り上げることに成功した喬はそっけなく呟きながら、念願のビールを喉の奥に流した。
若干、腹も膨れた気もするが、まだまだ冷たいビール用の腹の空きはある。
「あー、だってよ。それ以外笑わせ方しんねーし?下ネタも無理な女って正直面倒くせぇっての」
その横顔を見つめるように上体を起こしながら、幸一が頭を掻く。
「・・・しってんよ。オマエのタイプは『セックスはスポーツ』って体育会系女子だろ?」
一杯目のビールは最高だが、二杯目、三杯目ともなると炭酸の爽やかさも効果を成さなくなる。
もはや、味よりはアルコールの摂取が目的となった缶ビールを口許から外して喬はニヤッと笑うと友人を振り返った。
「そーそー。それが一番楽じゃね?」
待ってましたとばかりに目を輝かせ、じりじりと這って近づく幸一に小さく鼻を鳴らした喬は、歯に衣を着せぬという評判通りにきつめの言葉を投げつけた。
「・・・・その可愛いお口で下ネタオンリーはとんだ大打撃だろうよ」
『可愛い』『綺麗』と評される友人が、その言葉を毛嫌いしているのを知っていたが、今更現実は変わらない。
まして他人の評価をきちんと自覚することでその身を守ることが出来るという事実を綺麗め系の友人は理解した方が良いのだ。
沈黙を守ってむっと膨れた幸一がぱたりと力尽きて拗ねたように畳に頬を擦り付けるが、喬はそのままビールの残りを口に運ぶだけで慰めの言葉一つ発しはしなかった。
ゴクリ。
ゴクリ。
―――――顔色を変えることなく喉を鳴らす喬のビールを飲む音が静かな部屋に大きく響いていた。
「――――俺は小悪魔系だな」
拗ねてしまった子供へのフォローのつもりか、それとも気まずい沈黙をどうにかしたかったのか。
喬と幸一が話している間は傍観を決め込むことが多い男は珍しく自分から言葉を綴る。
缶ビールの底を小さな穴から覗き込んだ喬は、どうやら大人なのは体だけではないようだと小さく鼻を鳴らした。
喬にしても、せっかくの旅行で友人と喧嘩する気は毛頭ない。
「――――出た。王道肉食系。ロングで白い服着たお嬢系が好きだって?・・・そりゃ女に夢見すぎ。やっぱ女は年上だろ?」
「・・・・喬は我強すぎて女に合わせたくねぇからだろ?楽しやがって」
――――まだ棘が抜けきれぬ声音に流石に機嫌が復活した訳ではないとわかるのは長い付き合い故だ。
しかし、同時に拗ねたその相手が喬をそれなりに大切な親友と思っていることに加え、いつまでも小さなことを引き摺る繊細なタイプでもないと知っているため気にする必要はない。
まして、理不尽な現実を嫌がって拗ね続けるような子供を後生大事にあやして、よしよしと慰めるような甘い付き合い方はしていないのだ。
「・・・・一々気使わなくていいからな。ホテル出る時もこっちが何も言わなくても知らぬ間に金置いてってくれっから」
―――――ゆっくりとその場に立ち上がれば少しの酩酊感が掲げた足の重心をふらつかせたが、すぐに修正されたそれに喬は腰を折って卓袱台から灰皿を掴む。
そのまま腰を伸ばして窓に向かって歩き出したのは喫煙者がこの場に一人だからに他ならない。
「それポイントたけぇ。実際金はこっち持ちってのはしょうがねぇとは思ってけど、正直ピンチって時もあるもんな?」
―――――相当の稼ぎがあるわけでもない世の男たちの本音だろう。
幸一の言葉に意図なく鼻を鳴らした喬は、エアコンの音を気にしつつも、そのまま窓の鍵を外してガラス窓を開けた。
カラカラカラというその音ともにむっと入り込む真夏の空気が喬の額に皴を寄せるが、昔の和室に多い窓の冊子の奥のスペースにそのまま腰を下ろしていた。
「―――――それに年上の女はあっちも美味い」
―――――当然といった仕草でデニムの尻ポケットから潰れていた煙草の紙箱を取り出すと慣れた手つきで蓋を開け箱を振る。
振動から逃れることが出来ずに真っ先に飛び出た一本をその口に銜えて箱を元に戻すと、喬は手に持っていた灰皿を窓枠の縁に置いた。
「――――相手の方が一枚上手か。男慣れした女は逆に本命には選びづらいだろ?」
ゴンという灰皿の出会い頭の音とともに聞こえたのは久しぶりのモテ男の声だった。
向けられるまっすぐな視線に肩を竦めると、喬は灰皿の中に置かれていたマッチを取り出して慣れた仕草でそれを擦る。
―――――シュッ。
茜色の炎に銜え煙草を突き出して、大きく息を吸えば部屋には忽ち白い紫煙が昇っていった。
火薬の匂いが混じる一服は、ライターやジッポでは到底再現できないマッチならではの美味さを再確認させる代物だった。
「・・・・そん時は浮気覚悟じゃねぇーの?高値の花狙うならそれなりの覚悟が必要だろ?」
火の着いたままのマッチを振って炎を消すと灰皿の中に棒を放る。
カツンっと音とともに昔ながらの陶器の白い灰皿の底に落ちたマッチの芯から最後の煙があがるのを喬は薄く笑って見つめていた。
ライターが『セックスはスポーツ』のお手軽な女だとすれば、オイルなどの補充や手入れのかかるジッポは手のかかる小悪魔系女子だ。
そして、火が簡単に着くか着かぬかはその時次第、保存にも注意が必要なそれは、最高の火薬の匂いと味を演出する遊びなれた年上の女なのだ。
危険物として捨てるのが面倒なライターやジッポとは違い、処分がもっとも楽で特定の売り場ならば安価に手に入るそれだ。
とはいえ、どの着火装置がもっとも自分の好みかは選ぶ者次第。
大衆受けとすれば小悪魔系女子が人気が高いのは雑誌やメディアからも明らかだからだ。
「―――――まぁ、モテ男にはそんなリスクもねぇかもな」
着火装置と生身の女との違いは男に火をつける女にも選ぶ権利があるということだ。
「・・・・それはないな」
―――――笑う視線の先で苦笑を返した男は生憎モテない男の僻みを理解してはいない。
「こーゆー場で何を言っても、モテ男君には逃れようがねぇって相場は決まってんの。・・・行け、幸一」
さっと手を振って友人を焚きつけた喬の思い通り、その可愛さ故に人気はあるが恋愛には発展しずらい『モテない男』が犬のような唸りをあげる。
「ちきしょう、負け犬の僻みを受けてみよっ!!!」
「―――――おい、いってっ。噛むなっ、美置!!」
フ―――――――。
賑やかなじゃれ合いを他所に、白い紫煙が部屋に入らぬように斜に座り直した喬は猛烈な暑さでを主張する窓の外に紫煙を吐き出していた。
―――――じゃれ合いを差し向けたのは、何も慣れない男への不信感が拭えたからではないが、出会ってから今までにオブラートに包むような男の伝わりずらい配慮が、何かの貸しのように喬の心を重くするのも確かだったのだ。
ミ―――――――ン、ミンミンミンミンミン。
―――――耳に聞こえる蝉の声はまだ夕刻を示すヒグラシの声ではなかった。
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