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< 恋花 5 >
――――――何が油断を招いたのか、考えてみても答えは出はしない。
ただ今、目の間にある現実が逃げようもない真実であることは確かだった。
「・・・・あーあ、可愛い書記さんに逃げられちゃった〜。庶務さんのせいだから。代わりにちゃーんとお相手してね」
「そー。そー。俺、庶務さんみたいなタイプより小動物みたいなタイプ好きなんだよね?こう怖さに震えちゃうような?苛めたくなるしねー」
「庶務さん意外にタッパあんじゃん、女顔って感じもしねーし。整ってるつーのは認めるけどさー」
「ま、勃てばいーべ」
「あー。そっかー」
―――――職員室に書類を届けに行った親友の帰りの遅さに焦れて探し回った結果、空き教室から聞こえた声に気がついた。
夏休み前のこの時期は学園に嫌な事件が多発する。それとなく注意はしてみたものの、まさか自分に降りかかると思ってもいなかった。
すぐに囚われた親友を取りかえしたが、自分だけ逃げるのを承知しない親友に既に連絡済みではあったが、『風紀に知らせてくれ』と事付けた。
涙目でようやく頷いてくれた親友の尻を叩き逃がしたのはいいが、今楓の前に柄の悪い男たちが4人いる。
――――無論、楓は喧嘩慣れはしている訳ではない、ただの男子学生だ。
4人相手の喧嘩に自信はないが、時間稼ぎはしなければならない。
とりあえず、授業で受けた柔道を思い出すが、果たして役に立つかどうかはわからない。
「――――――っ」
――――――ちらりと見た逃げ道はすでに塞がれている。
その一瞬の隙に近づいてきた影に反射的にその辺の椅子を持ちあげて、腹の位置で押し返す。
瞬間、吹きとんだ相手を確認する間もなく、椅子を持ったまま斜め後ろから来た男を振り返って脇腹に椅子をぶつけた。
「――――ぐっ!!いってっ!てめぇ、マジ許さねぇ!!」
腹を押さえている男に構っている暇はなかった。前方からくる男に椅子を投げつけ、入口に向かって走ったが、もう一人の手が楓のシャツを掴んだ。
ぐっと喉の締まったシャツに足を止め、一瞬勢いの浮いた男の懐に入ってその足を払う。しかし、倒れた男は尚もシャツを離さなかった。
「―――――くっ、っ!!」
思わず罵った楓はその腕を捻ってシャツを取りかえすが、その隙に楓の首に他の男の腕が回っていた。
「――――――誰が逃がすかよっ!!庶務さんよー、マジで痛かったよ、椅子攻撃。意外とやるもんだなー」
ずるずると引きずられていくその体に。
――――――逃げ道はない。
□■□
「顔をやめとけよ。萎えるから」
――――――兄弟や友人と一度でも取っ組み合いをした経験があれば敵わぬ力というものを誰しもが実感したことがあるだろう。
「―――――っ」
だが、複数の人間に抑え込まれ、力で制されるそれはまるで海で溺れる者のように為す術もなく、またその屈辱感と恐怖は兄弟喧嘩とは全く違う。
友人の手が直接肌に触れるのはただ温かい安堵や親近感を齎すが、暗い教室で齎された見知らぬ人間からの手の感触が呼び覚ますのは、単純な恐怖だけではなかった。
「―――おい、もういいだろ。そろそろヤろうぜ」
―――――鈍い音ともに落とされる腹への報復は痛みよりも苦しさを助長するが、反射的に丸まろうとする体は四肢を他人に押さえつけられたままでは動かすことは叶わない。
「おいおい、マジでやっちゃうの?冗談じゃなく?さっきの書記さんがチクってかもよ?」
「チクられて逃げてたら俺らの名が泣くわ。見せしめにもなんねーよ」
――――楓はシャツが破られ、ズボンを脱がされても、「助けてくれ」とも「離せ」とも口にしなかった。
その恐怖にかられた言葉は暴力により興奮した男達のなお一層の嗜虐心に火をつけるだけだろう。
楓はじっと唇を噛み、殴り蹴られる痛みと撫でまわされる感触を切り離すようにただ天井だけを見つめる。
「こいつ、なーんも言わねぇな」
「別にいいだろ、穴だけありゃーさ」
「確かに」
―――――時間がかかろうと必ず風紀が来る。
それだけが長島楓を支えていた。
□■□
「――――おー、肌、すべすべ。意外にいけるわ、これ」
嫌な笑い声と下品な会話を聴覚から切り離す。
複数の手が齎す本来受けるはずのない被食の恐怖が全身を覆っていたが、既にボールは楓の手から零れおちてしまっているのだ。
胸や大腿部を這う手から逃れるように体を動かすが、それを男達の手が制す。
「―――――じゃ、もう一人の庶務さん拝見」
ふざけた口調に男達が笑い、その手が下着の上から楓の股間を撫でるように触っていた。
―――――楓は思わず顔を横に向け、瞼を閉じた。
「ぐえっ!!!ごほごほっ、おっぇっ!!!」
――――ドッ!!!
ガッッッシャンッッ!!!
椅子や机のぶつかる音と人の体を殴る鈍い音、そして、悲鳴とも叫びともつかぬ音が耳に届く。
恐怖のままゆっくり目を開けた楓は暗がりで蠢く影たちを見た。
―――――すでに楓の体を制する手はどこにもない。
しかし、湧き上がる安堵にほっとする間もなく、屈辱感に震えた手で楓はズボンを引き寄せる。
これ以上の醜態は誰にも見せたくはない。
―――――しかし、震える手や足でズボンを履くのは困難で、気づけば目の前に大きな影が出来ていた。
伸ばされた手を思わず叩いたが、もう一度伸ばされた手の指に有刺鉄線のタトゥ―を見つけた時、楓にはいいようのない気持ちが沸き起こった。
一瞬にして安堵と羞恥、居た堪れなさと喜びが複雑な糸のように絡んで。
―――――目頭が熱くなる。
「―――――ほっぺ。触るだけ」
―――――伸ばされた手がそっと頬に触れる。
「―――――っ」
その齎されたぬくもりが離れていかぬように楓は無意識にその手をぎゅっと掴んでいた。
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