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< 恋花 4 >
―――――一週間ほどたったその日、風紀委員長は初めて楓の断りの言葉に異議を唱えた。
「―――――長島、今から来い。いいな」
言い分も聞かずにあっさりと切れた電話に内心気落ちするものの、流石に楓の親友も最近は「楓がいないと寂しい」っと口にするようになっていたのだ。
一日の我慢と言い聞かせ、しぶしぶそのドアをノックする。
コン。
コン。
―――――現れたのはいつもいるメンバの一人で、部屋のポジションもいつも通りだ。
だが、開かれた先の雰囲気はいつも通りではない。
「―――――お久しぶりです」
どことなく緊迫した雰囲気の中に足を踏み入れると当然のように開けられたソファに向かう。
「――――――顔見せんの久しぶりじゃねぇーか。もっとも、俺は電話で声は聞いてたけどな。こいつらが長島の顔見えねぇとえらく消沈しやがってうぜぇことうぜぇこと」
そう笑った風紀委員長の横で困ったように楓の親友が苦笑している。
その後方では何やら成り行きを見守るようなそんな視線がいくつか飛んで来ていた。
そして、その親友の苦笑の理由を楓はすぐに察することになる。
「――――長島、オマエ、昨日、文化部総裁に熱烈な愛を叫ばれたんだってな」
風紀委員長の顔にはニヤニヤと嫌味な笑みが貼りついていた。
「ごめん」っと謝る楓の親友を察するに無意識に話してしまったのだろう。
ソファに座ろうと手を伸ばした瞬間、隣のソファに座っていた男と一瞬視線が絡むが、そのまま自然に逸らすと楓はソファに腰を下ろした。
「―――――ええ。まあ」
目の前の風紀委員長が親友の恋人と発覚し、その人柄を知るようになってから、楓は目の前の年上の男を多少なりとも評価するようになった。
独占欲の異常さは横に置き、人の上に立つ人間としてある程度の信頼を寄せるようになったのだ。
それが巻き込まれてからのインプリンティングだという可能性はあるものの、人により多少態度に手心を加えるその男は意外と面倒見が良いのだろう。
だが、今日は年上の男の余裕で楓の濁した返答を逃してくれる気はないようだ。
「―――――裸体モデルになってくれって頼まれたらしいじゃねぇか」
「・・・そうですね。頼まれはしましたが、断りました。俺はそうゆうものに興味はありませんし、美術部は部費にモデル代も含まれてますから」
あまり隣の男の前で触れたい話題ではなかったが、隣の男からすればどうでもいいことだろう。
そう思えばただ淡々と語るその口調はまるで事務的なものになっていった。
知らず暗い顔をしてしまったのか、助け舟を出すように目撃者である楓の親友は語り出す。
「そうなんだ。楓は断ったんだよね。それなのにあの人しつこく生徒会室にまで来て大変だったんだよ・・・」
その視線が必死に懺悔をしていたため、少しだけ楓は傷心が癒されたような気がした。
恋人を前にしても友を心配してくれる優しい親友の存在が頼もしい。
少し顔を綻ばせた楓に安心したように笑った親友は、しかし、無意識に余計なことまで話すことになる。
「―――――君が理想なんだとか何とか言って楓の手離さないし、キスま・・で・・・・・・」
――――固まった空気の中で再びちらりと謝罪の視線が楓に向けられる。
思わず苦笑した楓は事実は事実と複雑な心中を割り切り、楽しそうに笑った風紀委員長に視線を向けた。
「・・・・へー。キスねー」
「――――あの人にとっては芸術作品に口を寄せるのと同じことですよ」
完全に沈黙した部屋に楓の淡々とした声が響くが、目の前の男は話題を変える気がなく、まるで追い詰めるように言葉を続けた。
「で、おまえにとっては?」
――――思わず言葉を窮した楓は、少し恨みがましい目を風紀委員長に向けるが、そのじっと向けられる肉食獣の視線は気にもかけない。
楓の親友が恋人である男を制するにように腕を抑えたが効果はあまりないのだ。
「・・・そこは関係ないと思いませんか?」
「いや、多いにあるんじゃねーの?」
―――――押し黙った楓は重い沈黙に内心ため息を吐く。
だが、その沈黙を割いたのはおもむろに口を開こうとした楓ではなく、隣のソファに座る男だった。
「―――――便所」
そう言って席を立った男の背中にほっと息を吐くが、その安堵を引き裂くように風紀委員長の声が耳に届く。
「――――――長島、あんま逃げてんじゃねーぞ」
その鋭い一言は強く楓の心の中に残り、染みのように広がっていった。
□■□
―――――長島楓は自分が負けず嫌いだと思ったことはない。
しかし、考えてみれば納得する点もある。
勉強にしても仕事にしてもなぜかとことんやってしまう帰来は否めなかったのだ。
コツン。
コツン。
――――――夜の通路はうす暗く、まるで楓の心のようにぼんやりと明かりが見えるだけだった。
言葉のない二人の空間には足音だけが響いて、少しだけ空いた二人の距離に何とも言えない気まずさを感じる。
楓が負けず嫌いか否かはさておき、風紀委員長のあの一言で部屋への訪問を断れなくなってしまったのは事実で、再び顔を見せるようになった楓を風紀の一団は多いに歓迎してくれた。
しかし、今隣にいる男が歓迎してくれたかどうかは今持ってわからないのだ。
『――――――オマエ、長島と買いに言って来い』
足りなくなったという飲料を怪しく思ったところで真実は闇の中。
いつもだるそうな男が断ることを期待したが、男の口から結局拒否の言葉が出ることはなかった。
――――変な期待は自分を苦しめるだけだ。
楓は男は煙草を吸いたかっただけだと結論づけた。
部屋に楓と楓の親友が訪れると慌てたように煙草を消す風紀委員たちを知っていたからだ。
―――――会話のないまま、コンビニからの帰り途を行く。
男との共通の話題は風紀委員長とその恋人のことだけだが、それは部屋の中だけで十分で今ここでしたいとは思わなかった。
ただ期待しないと思ったところで男の隣にいることを勝手に喜ぶ自分がいるのだから、そんな自分の馬鹿らしさに楓は八つ当たりのように伸びた男の影を踏んだ。
咥え煙草の男の影を後ろから踏みつけると、少しだけ気が晴れるようなそんな気がしたのだ。
「――――――何してんの?」
気づけば男の影を踏むことに夢中になっていた楓は、足を止め振り返った男に少しだけバツの悪い思いをした。
だが、男の関心は自分にないと割り切れば開き直ってもいいのではないかとさえ思えたのだ。
「影踏みをしてます」
―――――小さい子供のような自分がおかしくて楓は1人で楽しそうに笑ってしまった。
男は短くなった煙草を捨てて靴で炎を消すと、笑い出した楓を不思議そうに見ている。
「――――何で?」
その問に即座に応えられず、自問すれば返ってきたのは二つの答えだ。
―――――影だけでも留めておきたい。
諦めに似たその気持ちと。
そして。
――――――振り向いてほしい。
そんな願かけのような気持ちだった。
だが、それは長島楓だけが知っていればいい答えなのだから、楓は笑って告げるのだ。
「―――――なんとなく」
―――――それも間違いではないだろう。
そう笑った楓に男が言葉を発することはなかった。
□■□
―――――男の影で影踏みをした日から少しずつ長島楓の気持ちは晴れていった。
未だに男を意識はしているものの、何も期待しなければ傷つくこともない。
恋は自由なのだ。
やはり特定の者しかしてはいけないのだと世界にそう明確化されるべきものではない。
―――――想うことは誰にでも許される。
「―――――楓、なんか最近綺麗になった?」
生徒会の仕事の手を休め、窓の外を見ていた楓は親友の言葉に苦笑する。
「・・・・大人になったと言ってくれ」
「うん。大人っぽくなった」
―――――恋をしたのだとまだ親友には話せていない。
信用していないわけでも、話したくないわけでもない。
ただ望みの薄い恋を言葉にすれば、また下手な期待を抱いてしまいそうな自分の心が怖かったのだ。
「―――――大人ね。・・・そうかもな」
だから、楓はただぽつりと窓の外の青空を見ながら小さな呟きを零していた。
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