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< 恋花 3 >
「――――――寝てる・・」
――――――楓は掴んだままのマグカップの中にぽつりと言葉を落とす。
屋上にいると教えられたからといって、『ハイそうですか』と向かうには大きな勇気が必要だ。
その勇気と心の葛藤に今のところ一週間以上を要している。
校舎別館の生徒会室の特定の場所から本館の屋上を見ることが出来ると知ったのは何日目のことだろうか。
―――――楓の視線は青い空の下でコンクリートの上に横たわる黒い影に向けられていた。
ドア音や足音を立てぬよう最新の注意を払う自分が非常に馬鹿らしいが、同時に足が眠る男に近づくにつれ、胸の高鳴りと喜びを感じるのはどうしようもない。
サァァァァァァ。
―――――柔らかかった髪が時折やってくる風に揺れ、眠りにつく男の顔に影を作り出す。
寝顔は安らかでいつもは時折感じる鋭さが今は完全になりを顰めていた。
眠っている間なら屋上を訪れていいのではないかと楓は結局自分に言い訳をした。
万が一起きてしまっても、何がしかの言い訳をつけばいい。
――――だが、それがいけなかったのか、1つ欲を叶えればきりがなく、柔らかい髪にもう一度だけ触れたくなった。
そう思ってしまえば勝手にその手が伸びるのを止められない。
「――――――っ」
「――――何?」
―――――だが、掴まれた手に結局言い訳など出てはこないのだ。
ただじっと見つめられた瞳に返す言葉はでず、やがて興味を失ったようにその手は離された。
大きな欠伸を一つ、コンクリートから立ち上がった男は背を向けるように屋上の柵に凭れていた。
―――――――ほどなくして長島楓は男が煙草を吸うことを知った。
「―――――俺がオマエならアイツを選ぶけど?」
――――――白い紫煙が青空に流れていく。
その残酷な言葉に何と返したらよかったのか。
それでも好きなのは目の前にいる男なのだとそう言えばよかったのだろうか。
だが、結局楓の口を出たのはそんな言葉ではなかった。
「―――――選ぶのはあなたじゃない」
すぐに踵を返し屋上を後にした楓を男はどう思ったのだろう。
―――――おそらく男は境界線を越えるのが面倒なのだ。
あるいは、恋愛よりも友人関係を尊重するそうゆう男なのかもしれない。
『――――長島はいつも週末は何をしてるんだ?』
風紀副委員長から向けられる好意には気づいている。
他の委員たちからのちらほら向けられる眼差しも気づかないフリをしているだけだ。
だが、そんなことはこの学園にいれば日常茶飯事と長島楓は知っている。
風紀委員長は面白そうに目を細めるだけで、口出しはしてこない。
今のところ楓の意志に任せ黙認している様子だった。
―――――だが、肝心の男にとって楓はただ男の友人関係を壊すだけの邪魔ものなのかもしれない。
『―――――何で俺?』
その言葉に言うべきことはない。
男のことを楓はほとんど知らないし、楓自身答えがわからないのだ。
ただ目が、意識が、勝手に男を追うのを止められず、男の視線に喜びを見出すことだけが逃れようのない真実だった。
―――――部屋にやってきて隣のソファに座るその男が自分を語る機会はほぼ皆無だ。
男のことを知りたくとも部屋に呼び出された目的を理解しているだけに口に出すのは憚られた。
親友。
親友の彼氏。
親友の彼氏の親友。
―――――その存在はとても遠い。
「――――なんで最近来ねぇの?」
―――――廊下を歩いていた楓は避けられぬ影から齎された言葉に顔色ひとつ変えることなく答えた。
「仕事が忙しいので」
何か思うことがあるとそんな顔をした男をさっと視線から外す。
「―――――俺、なんかした?」
ぽつりと頭上から零れてきた言葉に理不尽にも腹が立った。
思わず見上げた男の視線がじっと楓に降り注ぐ。
―――――何もしてはいない。
だが、楓の気持ちを知って尚、何もしないことが残酷に感じるのだ。
『―――――なんで俺?』
――――屋上で初めて二人で会話をした日以降、楓は風紀委員長の部屋をあまり訪れなくなった。
風紀委員長はやはり『年上の男』らしく、感慨深げに笑って何も言いはしない。
やはり集団をまとめるだけあって、下を物扱いはしてはいけないとしっているのだろう。
「―――――何も。ちょっと仕事を溜めてしまっただけです」
――――にこやかに笑って何事もなかったように通り過ぎる。
男の視線を背中に感じようと今はただその視界から逃れたかった。
「――――――なぁ、楓ちゃん、ちょっといい?」
――――男がいると長島楓の意識は一心にそこへ向かう。
だからこそ、数メートル先の廊下に柄の悪い年上の男達がいたことを楓は失念してしまったのだろう。
「――――こいつ、すっげぇ楓ちゃんが好きなんだってさ、付き合ってやって」
先ほどすれ違ったばかりの男に期待はできない。
その男は風紀委員長の親友であって風紀委員ではないし、まして楓の友人でも知り合いでもない。
男にとって顔見知りっという枠に入っているのかも疑わしい。
――――当然、この窮地から助ける義理はないのだ。
「そうそう、付き合おうよ。俺すっげぇ好みなんだよね、楓ちゃんって」
「―――――急いでいるので。・・・っ!」
目の前に現れた二人組の男の横を通り過ぎようとしたが、腕を取られて廊下の壁に押し付けられた。
腕を捻って男の手首を外すが、既に男達は楓の回りを囲っていた。
「いいだろ?ちょっとぐらいさー俺らのために時間さけよ。楓ちゃんに投票したんだぜ、俺ら?」
生徒会役員になって最大のデメリットはこう言った無駄な絡みが増えたことだろう。
知らない相手からの理由のわからない絡みにどう返せば的確なのか、未だ持って正解は出せてはいない。
「―――――それはありがたいですが、後にしてもらえませんか?」
冷静に返すことが最良とは思ってはいるが、稀にその冷静さが仇になることもある。
「うわぁ、冷たくね、楓ちゃん」
「俺らちょーショック」
逆に興味を引いてしまったのか一向に道を譲る気配のない男たちに楓は内心で小さくため息を吐いた。
――――――男達の手が髪や肩に触れようと伸びる。
「――――何遊んでんの?」
不意にその場に落ちた影にゆっくりと顔をあげれば、男たちの背後に期待していなかったその姿を発見した。
湧き上がる気持ちをどうしたらいいのか。
―――――ただ楓は男から視線を外せなかった。
「げ、五条。・・・あー、なんでもねぇよ。行こうぜ」
「ああ」
―――――男達は背後に立つ人物を確認すると引きつった笑みを浮かべ這う這うの体で逃げて行く。
その存在は所謂有名人とは違うはずだが、もし風紀が不良グループという噂が本当なのであれば、目の前に立つ男も何がしかそこに関わっている可能性はあるのだろう。
それとも単純に同学年でクラスメートだという落ちなのだろうか。
「――――あー、腕は?」
「大丈夫です。助かりました」
まっすぐ目を見れずにすっと睫毛を下げた楓は視線の先で男の指に有糸鉄線のタトゥ―を見つけた。
なぜ、そんなものにすら惹きつけられるのか全く理解できない。
男がなぜそれを入れたのか。
いつも何を考えているのか。
どんなものが好きなのか。
――――――知りたいと騒ぐ気持ちを抑えられなくなりそうだった。
「――――――俺、先を急いでいるので。また」
期待していなかっただけに現れた影に訪れた安心と喜びが可笑しなことを口走らせそうで思わず横を走り去る。
――――男は楓への関心はないだろうが、その一挙一動が楓の心を浮き沈みをさせるのだ。
男が悪い訳ではない。ただ傍にいれば無駄な期待だけが膨らんでしまう。
「―――――やっぱわかんねぇわ、オマエ」
足早に去る楓の背中に向けられた言葉は容赦なく楓の心を切り付けた。
やはり。
――――この恋に望みはない。
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