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< I'm so crabby! >









――――さっと当たり前のように出てくるコーヒーカップに氷川亨のイライラは止まらない。


無論、そのイライラの原因は、足に当然のように食い付いているちっとも可愛げのない犬のせいでも、まして湯気を立てて香りを撒き散らす亨の好きなホットコーヒーのせいでもない。


家にお邪魔すればそそくさとお客様にコーヒーをお出しする、全く持って『付き合ってる』という意味を理解しているか怪しいある意味『出来る人』に対してである。










『―――――今日は寄って行ってください』





その言葉に思わずホテル街を歩いていた氷川亨の頭に過った思いが一体どんなものだったのかはもう語るまでもないだろう。


しかし、ただ純粋にじっと向けられるその瞳にどう考えても『思い過ごし』であるという結論に至ったのもまた語るまでもない事実なのだ。


未練がましさにぐっと力の籠もってしまった健康優良児にその手の先に居た恋人は一体どう思ったのだろうか。









「―――――ちっ」







―――――亨は思わず湯気を立てるそのコーヒーカップを睨みつけると苛立ち紛れに舌を打つ。







金は払わせない、お願いは言わない、座れば灰皿、手にはTVのリモコン、挙げ句の果てにトイレに立とうものなら『何でしょう』と『出来る人』の目がそう問いかけるものだから、氷川亨は俄然喚き散らしたくなるのだ。






――――俺は一体オマエの何だっと。



しかし、喉まで出かかったその言葉も「夕飯食べて行ってください」とそれはもう縋るように言われてしまえば『食べたいもの』が他にあったとしても「ああ」とぶっきらぼうに返事を返すしかないのだ。


恋する野獣はのんきに夕飯を作りだしたその獲物の背中に一体いつになったら『お客様』が『恋人』にランクアップするのか教えて欲しいとすら思っていた。









トン、トン、トン、トン。









――――広くはないリビングのソファで寛ぐその背には包丁で何かを切るその優しい音が聞こえてくる。


ふーっと当たり前のように紫煙を吐き出した氷川亨は、誰かのためを思うその優しい音を久しぶりのBGMにして『初デート』を楽しむためにこの温かい家を遠ざけたことを心の底から悔いていた。










『―――――今日は寄って行ってください』







俄然恋人の家にしけ込んで家主を押し倒す気満々だった亨は、その言葉にもう二度と下手な気を回すことは止めようと固く心に決めた。


実のところちょっと通わなくなっただけで久しぶりの『お客様』扱いという最低の屈辱感を味わうぐらいなら、『初デート』の新鮮さの演出などもうどうだっていいのだ。


たまには『待ち合わせ』なるものをして自分を待つ恋人のそれはもう健気なその姿を見てみたいとか、凛としたその恋人を連れ歩いて周囲に自慢したいなどと馬鹿なことを考えたのが全ての運の尽きだった。


そもそも、ちょっとマイペースどころか天然の域にずっぽり足を突っ込んでいる恋人相手に下手に気を使ったどころで、ムードのムの字どころか計画は大きく脱線、最終的にあたふたするのはいつだって亨の方に違いなかった。





――――人の悪い賭けからその体を押し倒し、何かリアクションがあるかと思えば平然と目の前を素通りされ、やきもちを焼いてくれるかとちょっとしたイタズラを思いつけば『わかってます』と謙虚な姿勢で添い寝拒否。


果ては将来について珍しく頭を使って悩みに悩みぬけば『一生好きだと思う』の一言であっさりと親への紹介が済んでしまうという、考えれば考えるほど天然な恋人にいつだって振り回されている被害者はたった一人だろう。






『恋上手』は駆け引き上手を地で行く色男が無意識に出してしまう『恋のトラップ』は、いかんせんそれが通じない『恋下手』相手では空騒ぎどころか胸騒ぎ、それこそ学園を巻き込む大騒ぎへと発展する。


ちょっとマイペースな男前にかかれば『恋のトラップ』はあっという間に『不思議の国へようこそ』という扉に姿を変えて問答無用で我儘な王様を『不思議の国』へと連れていくのである。






つまり、『恋人喜ばせデ―』など『不思議の国』に自ら足を踏み入れるに行くようなものなのだ。







「――――――ちっ」







ガン、ガン、ガン。







―――――短くなった煙草を苛立ち紛れに強く押し付けられた灰皿は今更なことに気づいて舌打ちした『不思議の国の王様』を非難するように大きく悲鳴をあげていた。




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あきゅろす。
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