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< Versus 4-1 >







――――『母親』という唯一のぬくもりが失われてから椎名イサオの人生は大きく変わっていった。



まるでドラマのようにあっという間に他人の都合に呑みこまれ、目に映る世界も身につける装飾品も果ては人生の行き先さえも変わっていったのだ。





―――――それでも変わらないことがあるとすればただ1つ。










「――――――イサオ」





――――その名前だけだった。









■□■









「――――――イサオ」



もう何年も傍に立ち、聞きなれたその声が眠りの中で確かに名を呼ぶ。








「―――――俺はオマエを選んだことを後悔していない」






―――――硬いその声音は閉じたきりの瞼を開けることはできない。


日の光に晒された瞼はぴくりとも動きはしないのだ。








――――それでも語る言葉が止むことはない。







「――――――だが、1つだけ悔しいと思っていることがある」






サァァァァ。





――――日差しに暖められた風が屋上を吹き抜けてその場に横たわる椎名イサオの髪を優しく揺らす。










「―――――オマエが自分を蔑ろにすることだ」





―――――口に咥えた煙草があっさりと奪い取られる感覚にようやくその瞼はゆっくりと光の侵入を許した。


しかし、屋上のコンクリートに横たわる体は声の持ち主を振り返らない。








「―――――オマエが俺の妖精なら俺はオマエの妖精だ」



応えを期待していないとでも言うように立ち去る足音が耳に響く。






コツン。



コツン。







――――――パタンッ。







やがて虚しいその扉の音が屋上に響き渡った時、椎名イサオはゆっくりと上体を起こした。







サァァァァァ。




―――――緩やかな風は優しく頬を撫で再びイサオの髪を揺らす。








「――――――ったく、真面目ちゃんだね、俺のご主人様は」



組んだ足に肘を置き、気だるげに青空を見つめる視線には哀しみとも喜びともつかぬ感情が瞬いては消えて行く。





――――語られたその言葉が消えた煙草だけを指しているのではないと椎名イサオは知っていた。









■□■










「―――――よう、声10点」




――――――人気のV系バンドEricaのメンバが綺麗な転校生と食堂でキス事件を起こしてからというもの、その珍しいメンバの姿はちらほらと転校生の周囲で見られるようになった。



転校生から平凡へ。


そして再び転校生へ。


学園の生徒たちの目はせわしく移り、妬みのターゲットも二分されたが―――。






「―――――湊、こっちへ」



「―――いや、こっちの方がいいよ」



「馬鹿じゃね?こっちだろ」






―――――相変わらず生徒会長と生徒会議長の間で愛され平凡をかけた戦いは続き、生徒会役員を入れたその混戦模様はやはり主役級の派手さを伴ってさながら月9ドラマの様相だった。







「―――――うーん。処置ナシ?」





―――――おかげで暇を愛するイサオはハタ迷惑なお人達と食堂でランチを取る日々が続いていた。





「イ、イサオ、今日も来たんだ。・・その・・迷惑とか、そんなんじゃ・・ないけど・・」





―――――顔を真っ赤に染めてモゴモゴと下を向く転校生を見ながら、イサオはポリポリと頬を掻いた。


テーブルに片肘ついたまま、横の"子供"の頭をぽんぽんと叩く。






『キャ――――――――!!イサオ様』

『そんな子相手にしないで―――!!』








「―――――今日のお仕事あっさり終わりじゃね?」



歓声の中ぼそっと呟いたイサオは視線の先で咎めるような目に出会った。






――――――やはりイサオのご主人様は糞がつく真面目君だ。



さらっと視線を逸らしたのに転校生の頭の上の手はしっかりと上ノ越憲太郎に取られていた。



せっかく隠している主従関係をあっさりバラすわけにはいかないというのに、ご主人様はイサオの努力をあっさりと無下にする気らしい。







「――――――――イサオ」




―――――"違うだろ"と問いかける声は唯一椎名イサオを説き伏せることの出来るその声だった。







『え!?イサオ様と会長様って???』






――――――ざわつく食堂でただすっと横に流した視線の先にイサオは確かに怯える九条湊の瞳を捉えていた。









■□■














―――――無条件に与えられる愛は少ない。




もはやその相手のいない子供にとって傍にいる優しい主人以外に誰に家族愛を感じることができたのか。







―――――椎名イサオにとって大切なものはただ一つ。





それを守ることがすなわち自分を守ることだった。








「―――――――ご主人様ったら、余計なことしてくれちゃって」




――――――夕日が消え闇につつまれて尚、硬派な生徒会会長はまだ生徒会室に明かりを灯したままだった。




豪勢な二人掛けソファに横になり、火のついていない煙草を咥えたイサオは大きく伸びをする。




―――――――まるで昼寝あがりの猫のような仕草だ。







「――――――余計なこと?」



―――――実直なご主人様がやはりイサオにとって一番頭が痛い。



仕事の手を止めて責めるような目をした上ノ越憲太郎にぶらっとソファからはみ出した顔を向けた。






「―――――『幼馴染』を公にすんのは最後の手段のつもりだったんだけど?」



――――守りやすいが動きにくいその位置に公然と立つつもりはなかった。



『妖精さん』は時々見えるぐらいがちょうどいいのだ。



しかし、席から立ち上がった憲太郎は書類を手に呆れた声で語るだけなのだ。







「――――――オマエが悪い」



やがてイサオの傍までやってきた憲太郎は書類で軽く行儀の悪い飼いネコの頭を叩いていった。






―――――ポサッ。







「―――――欲しいものが出来たなら寄り道せずに素直に取りにいけ」






――――――諭すようなその声に一瞬表情を無くしたイサオはすぐに呆れたように大きくため息を吐く。








「―――――どこまで朴念仁やる気よ?優しさも過ぎれば恋も逃げ出すってもんよ?」





苦笑した憲太郎は何の反論せずただ静かに席へと戻っていった。






――――だから、ぽつりと零れたその言葉はご主人様には届かないのだ。







「―――――だからダメなんだよ」





――――殊更静かなイサオの目がその背を静かに見送っていた。







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あきゅろす。
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