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< 大蛇と竜 >
――――――真新たしい畳の"薫り"は客人の嗅覚を刺激し、またその独特の色は客人の視覚を満たすものだ。
い草の青い香りはその爽快さと一種背筋を正してしまうような潔さを齎す。
まるで一輪咲の百合のような凛とした空気は西洋にはない和の美学なのだ。
――――だが、残念ながら永遠の美などこの世には存在しない。
時が経てば美しい青から干された黄色へ、鼻腔を擽る薫りはやがて無臭へと変わる。
―――――それはまるで"老いゆく"ように。
――――古来『女房と畳は新しいのに限る』と人は言った。
だが、時に久居要は思う。
―――――長年連れ添った古女房が旦那の扱いを一番良く熟知しているように、時を重ねれば重ねるほど畳はその薫りを押し隠し、ただその存在を消すことで"適応すること"を覚えたのではないかと。
ただただ我武者羅に己を主張するのは"若者"の専売特許。
ならば運動能力と若さを引き換えに"老者"が手にするのは経験と知恵だ。
――――そして、それこそが最大の武器だろう。
「―――――ならば御主はメインディッシュとやらを何だと思うている?」
―――――時を重ねることで"最大の武器"を手に入れた老人は笑う。
海に千年。
山に千年。
――――表裏を知り尽くした蛇はやがて竜となる。
長い年月を懸けて築きあげたその礎。
そこに立つ男には大抵の物事や人の流れが意図も簡単に、まるで答えのある答案用紙のように見えていることだろう。
だが――――。
―――――久居要はすっと目を細め笑った。
――――勝ち続ける者はいずれ負ける。
なぜなら、勝者には負ける敗者にはないその"余地"があるからだ。
――――勝ち続ける限り勝者は戦いを挑まれる立場から逃げることはできない。
世界中からそれこそ勝者の地位を得ようと挑戦者が次々に戦いを挑むのだ。
そのプレッシャーと長きに渡る戦いは勝者に課せられた消耗戦。
――――――仁王立ちするその足を引き摺り下ろすのは"過ち"か、それとも"老い"か。
いずれにしろ何かの原死因により勝者には"敗北の日"がやってくる。
――――――だからこそ、勝者であり続ける者を人は尊いと怖れ敬うのだ。
――――まして"世界は動いている"
老いゆく者たちの手により作られたルールや法律はいずれ取って変わられる。
目新しい商品が店内に並ぶように。
日々新しい言葉が生まれるように。
新しいニュースがテレビを賑わすように。
――――――流れゆく時代がそれを求めている。
『―――――世界は若者に焦がれ口説かれるためにある』
―――――つまり、冷たい氷のような大蛇と闇に巣くう生神がとぐろを巻き舌を出すその様子はそのまま世界の縮図というわけだ。
―――――カッ、コンッ。
障子紙の向こうから流れる美しい竹の音に、久居要はただうすら笑った。
―――――光栄至極。
相手にとって不足はない。
――――その美しい微笑は勝者への挑発を物語っていた。
ピロロロロロロロ。
―――――しかし、不躾なその音は要の愉悦をあっさりと奪い取る。
室内に漂っていた緊迫をいとも簡単に引き裂くのだ。
―――――音の発信源は部屋の出入り口に立つ一人の屈強な男。
老人と要の視線を一心に受けながら、男は胸元から携帯電話を取り出すと何やら話を始めた。
「――――――ああ、・・わかった・・・」
やがてすぐに電話が切られると男は老人の元へ移動し耳元で何かを囁く。
―――――それは言葉という武器を使う新旧の頭脳戦が次の段階へと移る、その合図に違いなかった。
少々の落胆を隠して久居要は微笑した。
「――――――メインディッシュの皿の中身を当てる前に、どうやら料理の方が勝手に出てきてしまったようだ」
――――――要の言葉に老人が豪快に笑い出す。
しかし、その目は笑ってはいないのだ。
「―――――何、例え料理が何かわかろうと。食すまではうまいかどうかはわからんもんじゃ。そうじゃろ?お若いの」
――――カチッ。
出入り口に立つ男たちの手の中で囁かな音が鳴る。
―――――要はその音に驚きはしなかった。
ただ静かに目の前のお茶を見つめ、その器に手を伸ばすのだ。
細い指が器を掴み、茶道の心得でもあるのか、美しい持ち手で器を口へと近づける。
―――――コクン。
白い喉元が動くその様子はまるで蛇が美しい鱗を返し蠢くようだった。
――――――まずまずの味。
流石に最上級の料亭で出す一番茶は一味違う。
―――――――そう笑う久居要のこめかみには銃口が突きつけられていた。
―――ぞろりと背中を這いあがる。
そんなしゃがれた声がひっそりと沈黙に影を落とす。
「――――――孫を返せとそう言ったなら、のう、お主はどうする気じゃ?」
――――楽しそうに笑う老人の目はギラギラと輝き、その様相はまさしく竜の如く。
―――――カチャ。
ゆっくりと要の手から器を受け止めた茶卓が悲鳴をあげた。
「―――――私の頭を打つことで何を得ると?」
―――――久居要の怜悧な声が室内の空気を震わせていた。
人目のつくこの場所で例えサイレンサーにしても人を打つ馬鹿はいない。
いるなら刑務所の中で人生を終える覚悟を決めた者か、薬で夢でも見ている薬物中毒者だ。
――――公に逢瀬を持ったその状態で片方が戻らねば犯人の目途などすぐにつく。
まして、メディアが待ち伏せするその場所で死体を隠して運ぶほどリスクの大きなことはない。
―――――つまり、これは"とんだ茶番劇"というわけだ。
「―――――例え私の頭を鉛の塊が貫通したところで、あの凶暴な男がすんなり人の意見に耳を貸すとでも?」
とぐろを巻いた竜はその瞳を光らせ―――。
―――――そして、笑っていた。
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