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< 虫の知らせ >
―――――夜の実質的支配者が凶暴な後継者のなついた昼のビジネスマンに会いたいと言っている。
『地獄耳』の青龍は愉快そうな声を出して数日前、久居要にそう告げた。
『――――今のところアイツが問答無用で突っぱねちゃいるが。まぁ、時間の問題だな。そのうち立派な"招待状"ってもんがアンタの手元に届くかもしれないぜ?』
「どうする」と問う声は悪戯っ子の本性を丸出しにしていたが、要はただ冷たく笑って「そうだな」と電話を切った。
――――『ゲームの続き』が始まる予兆をこの時久居要は感じていた。
「――――古狸の爺から連絡があったからってホイホイついて行くような馬鹿な真似はするなよ」
――――マンションの地下駐車場で主の部屋を訪れることなく待っていた狂犬は事の次第を告げることなくただ命令するようにそう言い放った。
車の入出庫を告げる黄色の警告灯が機械的に回っては、黒い大型バイクに背を預け紫煙を吐きだすその男を照らし出す。
「――――誰に向かって言っている」
忠実な部下が開けた後部座席のドアから優雅に降り立ち、要は目を細めてバイクスーツの男を眺めた。
「―――はっ、その理知的な面に反してスリルが大好きな誰かさんだ」
――――バンッ。
要の背後でドアが閉まると無表情な男の不機嫌さが増す。
――――険しい視線のその先にいるのは久居要の忠実な部下だった。
「――――なるほど。オマエを手元に置くぐらいだ。私はとんだスリル狂というわけだな」
―――――凶暴な獣。
己の縄張りに入ってくる他所者はどんな相手だろうとその牙を向けて威嚇する。
ちょっとでも不審な動きを察知すれば途端、喉笛に噛みついて息の根が止まるその時まで決して牙を外しはしないのだ。
魅惑的な声とその類まれなる美貌に隠れもしないその凶悪な存在感。
――――そして、静かにその目が語る。
男は闇に潜む夜の獣なのだと。
――――久居要はうっすら笑った。
「―――――古狸か。私がどう動こうがオマエが口出すことではないとそう思わないか?」
――――犬の視線が縄張りに入った要の部下から飼い主へと戻される。
無機質な空間には一瞬静けさが漂い、ふーっと白い紫煙が広い駐車場に吐き出された。
「―――知ってることに損はねぇだろ」
低い声が淡々とその事実を告げたが、久居要はその事実を鼻で笑うのだ。
「――――――飛んで火に来る夏の虫・・・」
ちらりと向ける視線には一切のからかいは含まれてはない。
「―――――知ってこそ、"虫になりたい"とそう言ったらどうする気だ?」
ジリッジリッ。
――――指で火の着く煙草を弾いた男が黒いブーツでその煙草を踏みにじる。
ゆっくりとバイクに預けたその背を離して男は要へと近づいた。
「――――――それが馬鹿な真似だと言ってんだ」
一般人が到底持たぬ異様な光の輝きがその瞳の中に宿っている。
久居要が一段と緊迫したその空気を感じ取った時、殊更低く冷たい声が空気を震わせた。
「――――奮い立つような中傷といっそえげつないほどの挑発で言葉を綺麗に包み込んだか思えば相手の横っ面に遠慮なく叩きつける。その態度がな。煽るのはその冷たい視線と偉そうな面で十分なんだ。このうえ、その下手な誘惑でやっかいな連中の興味を惹いてさらに中毒患者を増やすなと言ってんだ、俺は」
――――男はゆっくりと要の顎に手を伸ばし、その冷たい瞳を覗きこむ。
「――――まともな奴が夜の闇に塗れて支配者なんかやってはいられると思うのか?夜を甘く見てうっかり丸呑みされたって後から泣き言は通用しないんだぜ?」
ぐっと上向きにされた要は目を細めてせせら笑った。
「――――ふっ、それはオマエのことか?自画自賛とは恐れ入るな」
――――しかし、男の瞳の強さは変わらない。
むしろ、ねっとりと纏いつく甘さを含んだ声が低い囁きを紡ぐのだ。
「――――まともな奴が与えられない最高のスリルって奴を知りたいなら、この俺が手とり足とり教えてやるが?」
――――パンッ!!
冷たく顎を掴むその手を振り落とした要は鼻で笑って睨む男に冷笑した。
「――――オマエの選ぶ言葉は絶妙だ。絶妙過ぎて悪寒がするな」
しかし、じっと要を見つめた男はただ皮肉げに笑ってゆっくりと踵を返すのだ。
――――狂犬の背中が遠ざかるのを冷たい視線が追う。
――――カタン。
やがてシルバーのサイドスタンドが勢いよく蹴られるとその背中は大きな黒獣のようなバイクに跨った。
ブオォォォォン。
――――主人を背に乗せた黒獣が唸り声をあげて黒いその息を吐き出すとメットを被ろうとした男の手が不意に止まる。
「―――――いいか。舐めてかかると痛い目見ることになる。夜も・・・」
―――無表情なその美貌が一段と凄みを増した。
言葉を一旦止めた男は、じっと久居要を振り返って告げるのだ。
「―――――――俺もな」
―――さっとメットを慣れた手つきで被ったその男は黒い獣を操って広い駐車場を走り出す。
ブオオオオオン、ブオオオオオン。
――――壁に反響する黒い獣の唸り声が要の耳を犯し、出庫を告げる警告灯がぐるぐると黄色い光を撒き散らしていた。
再び沈黙と化した駐車場で要は冷たく眼を光らせる。
「―――――結構なことだ。ならば精々使える犬だと思わせてもらおうか」
――――冷笑を浮かべた久居要の呟きが静寂の中に殊更大きく響いていた。
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