Main < I miss you > ―――部屋の主の性格を表すように鉄パイプがむき出しの家具が並んだ無機質な部屋だった。 玄関だけがほんのりライトアップされたその部屋の様子は薄暗く、静かにただその沈黙の物悲しさを訴えっている。 ガシャンッ!!! ――――部屋の主人がリビングのテーブルにキーを無造作に投げれば、ガラス製のテーブルが耳障りな音を立てて悲しそうに悲鳴を上げた。 その音に表情一つに変えずに優は黒革のソファに身を投げ出す。 知らない間に力んでいた体から力がすっと抜けるのが自分でもわかっていた。 ――――――ふぅ。 思わず吐いたため息の大きさに気づいて彼はジャケットを脱ぐこともせず空を睨む。 ――――彼の心を襲うのは孤独という虚無感だった。 それは誰しもにも訪れる、それでいて、大敵な病。 寂しい。 恋しい。 切ない。 虚しい。 ―――誰かに縋りたい。 その一方でそうしてしまえばもう二度と一人では立てないと心が叫ぶ。 「―――――ちっ」 ――――今夜の任務の発端は、とある都市の一角で起きた珍しくもない誘拐事件だった。 しかし、その誘拐事件に巻き込まれたのは国の大半を占める中国系国民が指示する重要人物、ヘイ・ウォンの娘。 さらにはその犯人の手口が一流であることから事態は大きく動きを見せた。 情報部の捜査により犯人のバックにいるのは、どうやら政治的にウォンと対立している米系代表であることが判明。 事が公になれば、人種戦争にもなりかねないことを懸念した政府の思惑により、まずは犯人確保の任務が彼に下ったのである。 ――――だが、彼の見た犯人とは家族を愛するただの元殺し屋だった。 家族を盾に脅され、誰の娘とも知らず行った犯行だ。 彼はそれでも私的な気持ちを無表情に摩り替えて犯人確保を遂げた。 それが、男の死と同義語であることを知っていながらも。 ―――――ここへ来て幾年の年月が流れたのか。 彼はそんなことをふっと考えた。 世の不条理の集まる場所で、死という崖を背に幾度となくこんな夜を過ごしてきた。 彼が“人間”である限り訪れるやりきれない夜。 ―――――今頃、あの男は死より恐ろしい拷問を受けているだろう。 そして、男の守ろうとした家族は無残にも殺されている頃だった。 ―――――ふらっと立ち上がった彼はインテリアとして置かれていたウィスキーを掴むと蓋を開け一気に喉に流し込んだ。 しかし、望んだ酒の熱い痺れは今夜の彼にはとても遠い存在なのだ。 残ったのは、非力な自分の虚しさ。 そして、己という存在の恐ろしさ。 ―――――彼はボトルを掴んだまま、再びソファに身を投げた。 「―――――そんな風に飲むお酒に味があるとは到底思えないですね」 背後から聞こえてきたテノールに反射的に優の瞳に気が戻る。 しかし、振り返ることはせずに彼は静かにそして低く呟いたのだ。 「――――――黙れ」 男はただ微笑んで、そして月光を浴びた銀髪をキラキラと輝やかせていた。 「―――――今夜はまた特にご機嫌斜めのご様子ですね」 ガシャンッ!!!! ――――鋭い音を立ててグラスが壁に砕け散った。 再び部屋が沈黙を取り戻し、ウィスキーが壁を流れ終わる頃には、もうもとの雰囲気を漂わせることはなかった。 ピンと張り詰めた糸のような空気はビリビリと今にも放電するかのような勢いだったのだ。 ――――会いに来て欲しくなかった。 (会いに来て欲しかった) ―――――こんな姿見られたくなかった。 (抱きしめて慰めて欲しい) ―――――複雑に揺れる自分の心をふっと自嘲気味に小さく笑って優は静かに口火を切った。 甘えることが恋ではないとそう信じるから。 「―――――帰れよ、ウォルフ」 ―――――刹那、麗人の微笑は一転、無表情に凍るのだ。 そしてテノールの甘い囁きが空気を切り裂く。 「――――――そうやって一人閉じこもる世界に一体何の価値があるというのですか」 その言葉に文字通り部屋の空気は凍りついた。 ――――まるで心の中に土足で入られたような顔の優。 そして、尚も続けようという自分をウォルフは冷静に見つめていた。 「―――――あなたを邪魔する者も傷つける者もいない世界は確かに楽でしょう。しかし、同時にその世界はあなたを決して成長させてはくれない。自己愛は教えてくれても、人を愛することも人から愛されることも教えてくれない。あなたは他人を恐れる臆病者です」 ―――――“人を頼らない” それはとてもすばらしいことだが、人は己の力だけで生きてはいけない動物だった。 ――――そう教えてくれたのは紛れもなく、目の前の人なのに・・・。 肝心のあなたはそれに気づこうともせず、私から逃げて自分の世界へ閉じこもる。 だからこそ、私はあなた自身にまで嫉妬せずにはいられない。 ――――壊してしまおう。 そう思うほどに。 「―――――あなたの取っている行動は、周囲の者から見れば『他人は信用できない』と言っているのと同じことです」 優はぐっと唇を噛んで叫びだそうとする言い訳に待ったをかけた。 ―――全て正論だと思えば、このうえ惨めな醜態を晒したくはない。 そう何本もの矢を突き刺された心が、痛みに悲鳴をあげていた。 『一人で生きること』 ――――それは誰にも頼らずに生きることじゃない。 誰かを守り、誰かに守られながら、それでも己の二本の足でしっかりと歩くこと。 寂しいときも。 悲しいときも。 楽しいときも。 ―――――互いに支えあい、笑いあいながらそれぞれの道を歩いていくこと。 「――――優、あなたでも戦いの時には人に背中を預けるでしょう。それはいけないことですか。それはみっともないことですか」 ――――甘えることが恋ではない。 しかし、支え合うことと甘え合うことは同義ではない。 視界が揺れる。 心が揺れる。 ―――――――ポタ。 床に落ちた小さな水滴を見つめる優に回される長い腕。 そのぬくもり。 じんわりと暖かい。 ―――――そのぬくもり。 「――――あなたは一人で力みすぎる。だからいつも肩凝りになるんです。たまに肩の力を抜いたからといって誰が文句を言うでしょう」 ――――いつかは言わなければならない。 そう知っていた。 愛する人のために。 そして、自分のために。 自分に厳しすぎる人。 “寂しい”という簡単な一言。 それすら言えない不器用な人。 あなたが哀しい。 あなたが愛しい。 I miss you. End. [*前へ][次へ#] [戻る] |