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< The best present >




――――陸上を始めて表彰台に上がるたびどんどん重くなるそのドラム缶バックにはもう慣れてしまっていた。

肩にずっしりと食い込むバンドをかけ直し、辻隆也はホームから改札へと続く階段を上り始める。



―――帰宅ラッシュとなるこの時間。駅のエスカレーターはマイホームへ帰ろうとする人々でごった返す。

トレーニングも兼ねて一段抜かしで階段を登り切ったその先には、さらなる人の群れを享受した大きな中央改札が隆也を待っていた。






―――――ピッ。



改札の列に行儀よく並んで、間抜けな音とともにSuicaを潜らせた隆也の足はしかし、ふっと止まってしまった。


―――後ろに並んでいた人々が改札出口で立ち止まるその青年を邪魔そうに避けて通っていくのだが、立ち止まった隆也は人ごみのただ一点だけを見つめて全く動く気配がない。





一週間の強化合宿を終えてくたくたの陸上青年を待っていたのはどうやらとても幸せなご褒美のようだ。


―――高鳴る胸は破裂しそうに暴れるうえ、練習に疲れた足は持ち主の意に反して今にも勝手に走り出してしまいそうである。





――――愛する恋人たちや愉快な大学生仲間に紛れて、改札付近の壁にはモデル顔負けの1人の色男が凭れていた。


人目を引くその人は最後まで合宿を頑張り抜いた辻隆也にとって恋の神様からの最高のプレゼントに違いない。

目的の人物に向かって再び歩き出した隆也はぐっと唇を噛みしめた。







―――――好きですという言葉が口から勝手に飛び出してしまいそうだった。









――――隆也の大好きな王様は誰が何と言おうと紳士である。

見知ったその長い脚は『おかえり』の言葉もなく動き出してしまうのだけれど、慌てて後ろから追いかける隆也のドラム缶バッグはひょいと素知らぬ顔の恋人に奪われてしまうからだ。







――――大丈夫です。


隆也の口から放たれる予定の言葉は簡単に消えてしまう。



――――なぜなら、大きな背中からすっと差し出された後ろ手がドラム缶バッグの人質をさっさと差し出せと強張るからである。






止まらない心臓の音を隆也はもうどうしていいかわからない。



今なら指先まで流れるドクドクという血液すら感じられてしまうのだ。

一気に汗ばんだ手があまりにも恥ずかしいから、大好きなその手に触れていいのかどうか大いに悩んでしまうのだけれど―――。


伸ばされたその手を取らなかったなら、きっと隆也は後悔する気がした。






――――怖々と伸ばされた手がぎゅっと力強く握られるとあっという間に隆也の体は強引な恋人の隣へと攫われてしまう。


だから、真っ赤に耳を染めた隆也はあまりの幸せに思わずコンクリートに微笑んでしまうのである。




――――隆也の大好きな王様はいつだって不遜なその態度の裏にとっても暖かい優しさを隠しているのだ。









ずっとずっと。





――――会いたかったです。







―――そう伝えたいのに、会えなかった日々が続いたその分だけ、今度は待ち望んだその人の顔を見るのがとても恥ずかしいのはきっと恋の神様が不思議な魔法をかけたせいなんだと思う。


幸せと恥ずかしさでお腹がいっぱいで、ただ赤く染まる顔を下に向けて歩く隆也は、大好きな人の長い脚が動くのをじっと眺めていた。



―――いつだって不器用な隣の紳士は隆也を恥ずかしいぐらいの幸せでエスコートしてくれるのだ。







恋人繋ぎをしたその二つの手はしっかり握られているのだけれど、若い恋人たちは互い耳を赤く染めながらも、顔を合わせることなく夕焼けの帰り道を歩いて行く。



――――そんな二人の背中を空をオレンジ色染め上げた夕日が手を振って見送っていた。





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