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―――無口無表情無愛想、3Bの辻隆也はもちろん口下手である。
ならば文章はどうだっというと残念ながらこれまた文章下手でもある。
ついでに言えば『空気を読んで人を見て』レベル1、『もっとがんばりましょう』を地で行く隆也に到底『思いを読む』なんて高レベルな能力は使えない。
『練習して夕食食べて寝るところです』
―――だから、送られてきた一通のメールが本当に聞きたいことはそんなことではないような気がするのだけれど、一体それ以外に何を書いたらいいのか、とんと思い浮かびもしないのだ。
隆也の指は入力した文字を前にピタリとその動きを止めてしまったのである。
――――こんなことなら、もっと頻繁に幼馴染とメールして練習をしておけばよかったと隆也は思う。
簡単に思ったことを送れるからこそのメール機能である。
練習しなければうまく使いこなせない不便な機能など世間には普及しないのだが、用があれば口頭で事足りるほどの友達しかいない隆也にはどう文章を書けばいいのかわからないから思わず検討違いな反省を始めてしまったのだ。
――――今日も練習と称してこってり余計な油を絞り取られた後、疲れきってふらふらの体を引きずる陸上青年を待っていたのは無機質な箱に閉じ込められた素敵な恋の呪文だった。
途端、今なら苦手な鬼教官に競技場10週と言われても全然大丈夫だと思えるのだから、呪文の効力は絶大である。
『――――何してる?』
何の変哲もない、ただ今どうしているのかを問うそのシンプルなメールは隆也の胸を今にも張り裂かんばかりに高鳴らせた。
「――――――つ、辻?」
―――携帯電話に顔を綻ばせたかと思うと頭の上から小さな花をふんだんに飛ばしている男前に同室者から訝しげな視線が送られているのだが、今の隆也は生憎携帯電話との睨めっこに大忙しでそんな視線には気づきもしないのだ。
―――元気ですか。
学校はどうですか。
今日は何を食べたんですか。
煙草の吸いすぎは良くないですよ。
―――そっけないデジタル文字に隠された問いかけが何を指しているのかはわからないけれど、隆也が大好きな王様に聞きたいことはたくさんある。
普段、王様を前にすると体中の血がお祭りしてしまうから、頭に文字が浮かぶ余裕なんてないのだけれど、少し距離のある今は自然とたくさんの言の葉が思い浮かんでくるのである。
だから、それを心のままに文字にして送信ボタンを押せば良いのだけれど、せっかく入力された文字たちは残念ながらメールだけでなく恋も初心者マークの隆也の手によって消されてしまう運命なのだ。
――――あまり質問攻めにするのもきっと相手を煩わせてしまう。
王様の愛する恋人はその謙虚さゆえに何度も何度も文字を入力しては消すという行為を繰り返していた。
――――本当は隆也だって大好きな王様に伝えたいのはそんな言葉たちではないと知っているのだ。
―――ただ会いたい。
声が聞きたい。
それこそ、大好きな王様が愛する恋人から本当に聞きたい言葉なのだが、無理を言って相手を困らせたくないという思いから再び文字を消してしまう『もっとがんばりましょう』の隆也なのである。
――――なかなか押されないボタンもきっと呆れているに違いない。
「―――――はぁ」
――――嬉しいのになぜか悩ましい。
そんな幸せなため息を吐く隆也をぽかんと眺める同室者がいることを悩める男前は果たして気づいているのだろうか。
本当の気持ちを言葉に出来ないどっちもどっちな恋人たちを恋の神様が夜空からおかしそうに見守っていた。
――――夕方送られて来たそのメールに長く待たされた返信ボタンがやっと押されることになったのは、もう日付けが変わってしまった深夜のことであった。
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