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< I wish >
―――適度な歩幅、適度なスピード、適度なリズム。
そしてベストなフォームにベストな傾き。
自由に空を飛び回るには空の神様が出したそれなりの厳しい条件がある。
ベストなコンディションを維持して、必要な時にはまったく同じ跳躍をしなければ翼人になることは叶わない。
力みはいつもよりスピードを速くする。
油断はいつもよりリズムを遅くする。
緊張はいつもの歩幅を乱してしまう。
辻隆也の愛する走高跳びというスポーツは、そう、思った以上にシビアな競技なのだ。
―――だから、いつだって空を目指すハイジャンパーの大敵は自分の心の乱れなのである。
隆也は小さくため息を吐いて、あるはずのバーを見上げた。
そこには青空だけが広がっていて、むしろいるはずのないバーと出会ったスパイクが、足元で「カンっ」と甲高い悲鳴を上げるのだ。
―――生徒会室を覗いた日から陸上部のエースは羽の生えない病気を患ってしまったのである。
『――――おい、おまえ。俺が他の女といたのに何も思わないのか』
足元に落ちているバーを拾って、隆也はゆっくりとそれを肩に担いで歩き出した。
今日も大好きな空を飛ぶことはできないと彼にはわかっていたから。
―――自分勝手で尊大で、だけど時々かわいくて、カッコイイ王様が大好きだ。
だから。
「―――何も思わないはずなんてない」
校庭に吹いた一陣の風が、彼の残した小さな呟きを攫っていった。
『―――思いは言葉にしなければ伝わらないんだよ』
練習を早々に諦め、着替えを終えた隆也は部室のベンチに腰かけて、何をするでもなくコンクリートの地面を見つめていた。
いつも笑顔を忘れない優しい王子様が、今日昼休みにすれ違った彼に「ありきたり過ぎて言いたくはないんだけど」と前置きして囁いた言葉を思い出す。
『―――君の言葉をゴミだと言う人もいれば、君の言葉を宝物だと言う人もいる。宝物だと思ってくれる誰かのために、君はもう少し自分の思いを言葉にしてもいいんじゃないのかな?』
―――昔、彼の大切な幼馴染は無口な隆也に「そのままの君でいいんだよ」と言ってくれた。
理解してくれる親友がいてくれたから、隆也も周りに何と言われようとちっとも気にしなかった。
―――知らぬ間に、誰かに理解してもらうための小さな努力を怠ったっていたのかもしれない。
大好きな人のために少しだけ勇気を出したいと隆也は思った。
諭してくれた大人の副会長が「実は生徒会室に一人困ったさんがいてね」と続けた言葉を思い出す。
―――大好きな王様は恋人である彼の言葉をどう思うのだろう。
隆也はゆっくりとベンチから腰を上げて、不安に押しつぶされそうな胸に手を当てた。
―――願わくば宝物だと思ってくれたらいい。
そう祈りを込めながら。
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