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短編3
在りし日の思い出






 これはわたくしが未だおさなく、ものごとのふんべつもまともにつかなかった頃のはなしでございます。









 わたくしはひとり、ちかくの山へとのぼりました。わたくしたちのすまう集落のちかく、すぐそばにあった山でございます。その山のなかにわたくしたちの集落があった、と表現したほうが良いかもしれません。
 集落のちかくにある山でございますから、その山はむかしから子供たちの良い遊び場でもございました。わたくしはもちろん、わたくしのきょうだいや友人たち、父母や祖父母もみな、その山で遊び育ったのです。ほかに子供たちの遊び場となる場所がございませんでしたし、おとなたちはわたくしが山へとはいることを咎めはしませんでした。ただ、ひとりで山へとはいるわたくしに「今日はひとりなのかい」「ほかのみなは」「きをつけるのだよ」などと声をかけるだけだったのでございます。
 そうして、わたくしはその日ひとりで山へとはいり、奥へ奥へと歩きすすんでゆきました。わたくしはひとりでございましたから、もちろん、つれあう友人はおりません。ただただいっしんに、好奇心のおもむくまま、山奥へと歩いていったのでございます。
 気がつくと、わたくしは今まで行ったことのない場所へと辿りついておりました。そのことに気づいた瞬間、わたくしはひどい不安におそわれ、きょろきょろとあたりを見まわすも、やはり何度見ても見知らぬ場所だったのです。
「まあ、良いか」
 わたくしは不安なこころをうちはらうように、そう声に出しました。不安なときは、ついひとりごとが多くなってしまうものでございます。
「うん、あそぼう」
 そうして、わたくしは手近な木に手をかけたのです。のぼろうと思ったのですね。そのとき、あたりには誰もいないと思い込んでいたわたくしに、背後から声がかかったのでございます。曰く「童」と。
 わたくしはおどろきにおどろいて、木から手をはなしてしまいました。あおむけに転がったわたくしは、あまりの痛みに目をつむり、後頭部を両手でおさえました。からだをまるめてのどの奥から唸り、痛みをこらえていると、ひたいにだれかがつめたくふれてきたのです。やさしくふれたその指とおなじく、今度は先ほどよりもいくぶんかやさしく「童」と声が落ちてまいりました。やさしいその音に、わたくしはさそわれるように目をひらいたのでございます。
 集落にすむおんなにも、きれいなものはいくらかおりました。わたくしのうえの姉もきれいでしたし、その姉をわたくしはいつも見ていたのです、きれいなおんなは見なれておりました。けれど、目をひらいたわたくしは、おおきな衝撃をうけたのでございます。そのおどろきに、もだえるほどだった頭の痛みは消え、ぶざまにも口をぱくぱくと開閉してしまいました。おどろきに口がきけなくなってしまったことは、あとにもさきにもその時だけでございます。
 わたくしを見つめるおんながおりました。そのおんなは、きれいなどというなまやさしいものではございません。うつくしいと、そのことばしかにあわぬおんなでございました。きれいだとか美人だとか、そのようなことばではあらわすことのできないかがやき。ひとの領域を超えてしまったうつくしさ。
 おんなのゆびが、つ、とうごきました。体温のひくいゆびさきが、わたくしのひたいから鼻のあたまへと移動したのでございます。そう、信じられないことに、おんなのゆびさきがわたくしにふれていたのです。
「童」
 わたくしの目のさきの、くちびるが動きます。
「童は、きのうの童たちのなかにはおらなんだな」
 そう、わたくしはきのうまでかぜをひいて、ねこんでいたのでございます。ですからわたくしが遊びに出るのは久しぶりのことで、だからこそひとりでも遊び場である山へとのぼろうと思ったのでございました。もちろんきのうも、なおりかけのかぜほどおそろしいものはないと、一歩も家からは出してもらえませんでした。
「童、一度目はゆるされる。すきなだけ遊んでゆくがよい、かんげいしよう。だが、一度だけだ。一度目はゆるされる。だが、二度目はないぞ」
 そのことばとともに、つめたいゆびがわたくしの鼻さきからはなれてゆきました。そのゆびをわたくしは惜しんでいると、おんなのかおがとおのいてゆきます。しゃがんでいたおんなが、立ちあがったのでしょう。ああ、はなれていってしまいます。
 おんなは、とおいそのかおに、ふと笑みをうかべました。目をなごませて、口角をあげて。その笑みは、極上。まさに、天にものぼりそうなおもいでございました。はなやかではございません、そう、まるでしずかに降りつもるましろな雪のような笑み。その笑みに、わたくしは意識を蕩けさせました――





 ――それが、もう何十年もむかしのことでございます。

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あきゅろす。
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