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短編3
邂逅
 そこは、自分の家の、自分の部屋の、自分のベッドの中の――はずだった。
 少なくとも覚えている限り、昨夜自分はそこで眠ったはずだ。
 いつものように。

 ――昨日までは、

 そんな言葉を本気で思い浮かべる日が来ようとは、と、愕然とした心持ちで身を震わす。
 日常は連続するはずだった。
 特別なことのない昨日が終わって、特別なことのない今日が始まって、特別なことのない明日へと向かう。
 たまにアクシデントやイベントが起きて、けれどそれはほんの些細なことで。
 それが普通で、人生とはそんなものだと思っていた。

 昨日までは。
 今日、目覚めるまでは――

「嘘、だろう――?」
 そんな言葉が唇から漏れる。
 唇から漏れたそれで、止まっていた思考が少しだけ動き出す。
 凍結していた頭が考え出す。
 これは現実なのか。
 それとも夢なのか。
 夢ならばいつめざめて。
 現実ならばここはどこで。
 今はいつで。
 自分は――

「――おや、めずらしきこと。まだ起きているものがおったとは」

 そんな声をかけられた。
 否、声というにはなにか違和感がある。
 それは言葉を音声で紡ぐ、けれど今までの人生ずっと聞いていた、人の声とはなにかが違うような。
 その言葉の意味は理解できる。
 生まれてからこのかた、ずっと自分が使っている言語。
 ずっと聞いて来た言語。
 けれど何か、違う気がする。
 その違いを言葉にできないけれど。
 よく分からない、でも何となく、というのが一番近いか。

「今はわれらのときよ。ねむっておれ、われらが隣人よ」

 知るのは怖い。
 その違和感の正体を。
 けれど、知らないというのも恐ろしい。
 知識欲、という言葉もある。
 知ってはいけないと分かっていても、知りたいという欲には勝てない。
 だから。
 振り返る。
 その声の主を視界におさめるために。
 その姿を確認するために。
 違和感の正体を、確かめるために。

 それは、手を伸ばしていた。
 手、だと思う。手だと、直感した。

 気がついたら、その「手」を払いとばして、後ずさっていた。
 恐慌、という言葉が思い浮かぶ。
 それ、は、見たことのないものだった。
 いきものである、と、直感する。
 けれどそれは人ではなく。
 動物でもない。
 植物でも。
 自分の目でも、図鑑でも、物語の挿絵でも、見たことのない。
 それらとは違う、いきもの。

「おまえ、は」

 それは、笑ったようだった。
 微笑んだ、というのか。
 それの顔は人のものとは違うから、表情を読み取るのは難しい。
 けれど、微笑んだと――思った。

「われはの、……いや、ぬしは個たるわれのことを聞いてはおらぬな。われらは――」

 そしてそれは、何か言葉を発した。
 理解することは出来なかったけれど。
 耳に入って、脳で記憶して理解する前にぽろぽろと零れていってしまう感じ。
 理解も、記憶も出来ない。
 それは、困ったように更に言葉を重ねた。
 いくつかの単語を言葉にしているようだた。
 すぐに頭から零れ落ちてしまったけれど。
 やがてそれは諦めたように、いくつかの言葉を連ねた。

「われらの伝承ではこうなっておる。この地のめざめとともにわれらはめざめる。この地がねむるとき、われらはともにねむる。そしてそのとき、われらの世界はねむり、もうひとつの世界がめざめる」

 それは、再び手を伸ばしてきた。
 二本の、手、らしきものを。
 今度は――逃げなかった。
 なぜかは分からないけれど、その手を払う気は起きなかった。
 それが、自分の発した問いに答えているからかもしれない。
 最初の恐慌が過ぎ去って、落ち着きを取り戻したのかもしれない。
 あるいは、あまりの恐ろしさに、非現実に、体が固まっているのか。

「われらはおなじこの地にいきるものよ。おなじ言葉を使う――すべてがおなじというわけではないようだがの。ただ、われらはぬしらをしらぬし、ぬしらはわれらをしらぬ。われらがめざめておるときはぬしらはねむっておるし、ぬしらがめざめておるときはわれらはねむっておるでの」

 手が、両方のこめかみに触れた。
 冷たい、と、思った。
 人の温かさではない。
 氷のように凍える冷たさでもなく。
 なぜか心地良いと感じられる冷たさ。
 温度の問題ではないのかもしれない。
 では何の問題かと言われると、分からないけれど。

 やがてこめかみに違和感を覚えて。
 何かが当たっているのか。
 何かを刺されたのか。
 こめかみから何かが、何かはよく分からないが、何かが自分の中に入って来るような気がして、
 ――意識が途切れた。


「いまはねむれ。――ぬしらのめざめのときまで」

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あきゅろす。
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