短編3 月の加護 エリオットはその森に一人で住んでいた。 生まれた頃からずっと、なのかどうかは分からない。けれどエリオットは記憶する事象の中に、己以外の存在を持たなかった。 だからずっと一人だったのだろう、その程度の認識しか持っていない。 エリオットは月が昇ってから目を覚まし、明るいうちは家の中で過ごす。そして、外が暗くなると家を出て、森の中を散歩する。 木の葉に遮られた空を眺めて、空から注ぐ月光を浴びるのだ。 心地良い月光は、エリオットのからだのすみずみまで、心のすみずみまで行き渡る。 そして、エリオットは時折渇望する。 何に渇いているのか、エリオットは知覚する事が出来ない。 けれど望むのは、赤い幻影。 赤い色に、目眩を起こす。 渇きの苦しみに喉を掻きむしり、幻影に朦朧と意識が溶け出す。 それはいつも決まって明るい空に月が浮かぶ頃に始まり、エリオットが気付くと森の中で倒れているのだ。倒れて、空の月を眺めている。 暗い空に浮かぶ、丸い穴を。 渇望した赤い色にその身を染め、染まった赤い色におそれをなし、冷たい清流で赤い色を落とす。落とした後は、家の中に駆け戻り、からだを丸めて震えるのだ。 赤い幻影に惑わされていた間のことを、エリオットは一切憶えていない。 けれど、エリオットは知っていた。 あの渇望が、あの幻影が、どうして起こるのか。 それは、月の光が足りていないから。 エリオットには月の光が必要なのだ。 冷たい月光がその身に染み渡るから、エリオットは生きて行ける。生きるためには、空からの恵みである月光が必要なのだ。 けれど、明るいうちに月が昇れば必要な分の月光が得られない。直接月光に身をさらすことも出来ないし、月よりも強い光が、月の加護を殺している。 だから、その間は別の物で生きるための力を得なければならない。月光の加護の、代わりとなる物で。 赤い色が何であるか、エリオットは知らない。 ただ、漠然とおそろしいと、そう感じるだけで。 けれどおそろしいその赤い色は、月の光の代わりなのだ。エリオットが、月の光とは別に生きる力と出来るもの。 エリオットは、今日も月光に身をさらす。 月の光をその身に溜めて、赤い幻影を追い払うために。 それでも、月光の加護が薄まる日、エリオットは赤い幻影に意識を溶かす。 抗えぬ、それは生への渇望―― 森には獣が住んでいる。 その獣は太陽の光を嫌い、月の光を好む。 月の光を得て、獣は生きている。 けれど月の光が弱い時は、弱い月の光のその代わりに。 獣は人里に下りてきて。 人を喰って、力となす。 *前次# |