檜垣学園 プロローグ ──1年前、3月── コンコン、 「兄さん」 ノックの音と共に聞こえた声に、サワッと胸の奥底で緊張感が走る。 「兄さん、俺。入っていい?」 「…………、どうぞ」 逡巡して結局、声の主である俺の弟を招き入れた。 ──ガチャッ、 「今、俺を部屋に入れていいか迷ったでしょ〜?」 俺の部屋に入ってきた弟の第一声。 にこやかな顔をしているが、その瞳は俺の何もかもを見透かそうとする冷たい色。 「……別にそんな事ないさ」 その瞳が、俺は嫌いだった。 嫌い、と言うより苦手。 物心がついた時から既に弟が苦手だった。 自分の弟なのに……。 「………何か用か?さっきお父様の部屋に呼ばれてただろ?」 「あ〜親父とは少し世間話をね〜」 無遠慮に部屋の中まで入ってきて、俺のベッドに腰掛ける。 「"お父様"だろ。言葉遣いきちんとしろ」 弟を苦手とするもう1つの理由。 弟は、猫を被るのがうまい。 相手によって弟は言葉遣いや態度、その身に纏う雰囲気まで変えるのだ。 父や母には利発だが少しやんちゃで明朗な人間。 親戚や他人には社交的で折目正しい人間。 兄である俺の前ではやんちゃで少し生意気な人間。 猫を被る、と言うより。色んな人間が弟の中にいる様に感じた。 まるでパチンと、スイッチを切り替えるかの様に、いとも簡単に違う人間に変わる。 周りはそんな弟に気付いてはいなかった。 でも、俺は気付いていた。 うまく言えないが、弟もそう言う素振りをしていた。 俺にだけは知っていてほしい様な、………そんな。 弟に対して苦手意識を持ってしまう1番の理由がそれかもしれない。 どの弟が、本当の弟なんだろうか……と。 疑う気持ちが逸ってしまい、素直に弟に心を開けなかった。 「あ、俺ねー4月から兄さんのいる学園に通うから」 ガンッ、と鈍器で頭を殴られた様な衝撃が走った。 「……っ、え?」 「兄さんのいる檜垣(ヒガキ)学園の高等部に編入する事になったの」 にっこり笑った弟は、幼子に言い聞かすみたいにゆっくりとした口調で言う。 弟と俺は年子で、弟は今年高校生になる。 俺達の父は日本は勿論、海外でも名の知れた大企業・青海波(セイガイハ)グループの次期総帥で、俺はその息子として恥じる事がないよう育てられ、幼等部から大学部まである国内有数の名門男子校である、檜垣学園に3歳の頃から通っている。 それに比べて、次男である弟は幼稚園、小学校、中学校と名門でもない一般の所をこの実家から通っていた。 [NEXt#] [戻る] |