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指先に(フラン+夢主+お子様)






(生まれて初めて知った───。)






 その人は、なんてことないどこにでもいそうな人で、不細工というわけじゃなく、平均よりは上だが特別美人でもない───つまり、とても微妙だ。

 何が可笑しいのか、ずっと無表情で喋らない自分にも、大して気にした様子もなく、ニコニコと笑ったままである。そもそも、本来客人をもてなす筈の人間が遅刻しているため、かれこれ二時間ほどこのままなのだが、待たされている相手は怒っている様子もない。お茶はとっくに冷めてしまったが、フランに代えを持ってくる気は更々ない。
 身内が日本贔屓ということもあり、日本語には不自由しなかったが、生憎と彼は、初対面の人間と会話を楽しもうとする技術は皆無だった。人の神経を逆撫でする技術は自他共に高いと自負しているが。
 フランは自分に面倒事を押し付けた同僚ないし先輩を恨んだ。


(まずミーに客人の相手ってのが無理ありすぎ)


 その際にひと悶着あったのは言うまでもない。


「おかあ、さん」


 向かいあって時計の長針が二回半ほど回転した頃、ふと、耐久勝負のようになっていた静寂(しじま)にポツリと小石が投じられた。それは小さな一滴(ひとしずく)のように些細なものであったが、無音の空間に波紋を呼ぶには充分の威力があった。
 見れば、女性の隣にいた小さな生き物が、彼女の服をクイクイと控えめに引いていた。どうやらこれが声を発したようだ。最初からいたが、存在感が無さすぎて忘れていた。(そう言えば声も今初めて聞いた気がする)
 すぐに気付いた母親が、首を傾けて子どもの顔を覗き込む。


「あら、なあに?」
「おそと、に、いきたい」


 どうやら、変化のないこの状況に、痺れをきらしたようだ。というか、今まで大人しくしていたのが可笑しいのだ。
 幼子は短い指を伸ばして、窓から見える中庭を指していた。


「そうねぇ・・・」
「だめ?」


 子どものお願いに一瞬困った顔をした母親だったが、すぐに相手を安堵させる微笑みにすり替えた。黒い小さな頭を一撫でして、フランにちらりと視線を寄越す。すぐに視線の意味を解したフランが「あー」と口を開く。


「大丈夫だと思いますよー?」


 たぶん。と、口の中だけで呟いた。
 曖昧な返事だったが、それでも女性には十分だったらしく、嬉しそうな笑みを浮かべて幼子に向き直った。


「いいって」


 にっこりと言われた台詞を了承と得て、幼子が勢いよくソファーから飛び降りた。てててて、と駆けていく、その後ろ姿を、女性はゆったりと追いかける。ゆっくりとした足取りに見えたが、十分子どもの早さには追い付いていた。
 客をほったらかしにする訳にもいかないし、何より一人で座ったままでいるのはつまらなかったので、フランも二人の後に続いた。


「あんまり遠くにいっては駄目よ」


 春の微風のように、細(ささ)やかな忠告を一つ流して、母親は我が子の姿を見守る。
 隣に立って初めて気付いた。彼女はただ何も考えていないように見えて、とても周りを見ている。今だって幼子の微笑ましい姿を目で追っているだけようだが、きちんと周囲に気を配っているのが気配でわかった。それも、フランほどの一流の術師が近付いて初めて気取れるほどの自然さだった。なかなかどうして、彼女は強かな人間のようだ。
 今、三人がいるのは他でもない暗殺部隊ヴァリアーのアジトであり、暗殺者のもとへ好き好んで訪れる者はいないはずだし、精鋭の見張りがいるので忍び込むのは容易ではない。つまりはここは限りなく安全な場所(ちょっと違和感)なのだが、それでも注意を怠らない彼女は頭が悪い訳でもないらしい。
 フランは少し沸いた好奇心に女性の白い頬を横から見上げる(残念ながら彼女のほうが背が高い)。
 子供の姿を眺めながら薄く微笑みを浮かべていたその女(ひと)も、フランの不躾な視線に気付いて、こちらを見た。
 目があう。初めて彼女の瞳をまともに見たような気がしてフランはギクリとする。
 日本人は黒髪に黒目と云われがちだが、実際にはどちらも黒に近い焦げ茶色であることが多い。しかし、彼女の眼(まなこ)は塗り潰したような、見事な黒だった。
 象牙色の肌に、日本人にしては薄い黄色に似た亜麻色の髪が余計に深い闇色の瞳を浮き上がらせていた。ぽっかり空いた穴のような双黒が自分を射抜いていて、居心地が悪い。
 それに気付いたのか、癖なのか、彼女のほうが目を眇めて微笑んだ。細くなった瞳孔は潤みを増して、瞳に宿った星が闇嘆とした眼光の空虚さを埋める。緩められた視線に、強張った身体からほっと力が抜けたのがわかった。彼女が常に目を細めて笑うのはこれが理由だからかもしれない。

 ふと、彼女が愛想ではない笑いを溢した。クスリ、と小さく漏れた音は間違いなくフランを見て落とされたもので。ムッとして見上げる。


「ミーの顔に何かついてますかー?」


 ぶすくれたフランに気付いたその人が「ごめんなさい」と、少し砕けた様子で指した。


「そのカエル、可愛いわね」


 しまった。顔ではなく、頭だったか。


 ぐぅの音もでないとはこのことである。
 相手を愉しませる要素が自分にはふんだんに含まれてあったのだ。もちろん、強制的に被らされている自分にとっては、理不尽以外の何物でもないが。


「それと、」


 自分の子供っぽさとは違った柔らかい指が、そっと優しく頬を掠めた。
 目の前に見える夜空を移したような瞳に、間抜けな顔をした自分が映っている。


「これ」


 そう言って楽しそうな顔をしたその女(ひと)は、フランの髪を梳すように差し入れた指に、何かを摘まんで見せた。
 冷たい指だった。


「・・・葉っぱ?」


 女性が示したのは、赤い枯れ葉だった。おそらく、接客を同僚ないし先輩と押し付けあったとき、ちょっと場外乱闘にもつれ込む、すったもんだがあったので、その際に付いたのだろう。それからずっと付けたまま接待をしていたのだとしたら、確かに自分は端から見て笑える生き物だったに違いない。
 吐息がかかる程近かった顔がゆっくりと離れて、香水とは少し違う甘い匂いが漂った。


「もうすぐ冬ね」


 赤い枯れ葉に目を落としたまま微笑むその人を、フランは信じられない面持ちで見ていた。それに気付いたその人は、何か勘違いしたのか、フランにその葉を差し出した。別にこんなものが欲しかった訳じゃないのに。しかし、否定の言葉は出なかった。
 そのまま、ついうっかりと受け取ってしまう。

 手の中に落とされた冬の徴(しるし)をどうするでもなく立ち尽くすフランに、やはりその人は楽しそうな微笑みを浮かべた。














(そんな現象は今まで知らなかった。)










 その後、戻ってきた子供が頭にたくさんの落ち葉を積もらせていて、二人、顔を見合わせて笑った。不思議そうな幼子の表情が、なんだか可笑しかった。












『未知との遭遇』直後。








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あきゅろす。
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