06
「て、ああ! 晃介くんじゃん!」
一瞬だけ言葉を失っていたおれは、思い出したように喉を震わせた。すこしだけ上ずった声で、ああ、と返事をする。
普通にしなきゃ。動揺していたって、悟られたくない。悟らせちゃいけない。言い訳なんて、できないから。器用じゃないから。
「あー晃介? おめーおせーよ」
「授業長引いた」
なんでもないみたいに、その輪に混ざった。さっきまで右手に持っていた携帯を閉じたところを見ると、里央がメッセージを送っていた相手はおれだったのかもしれない。
「あ、里央のクラスの子だよね」
「覚えててくれたんだー! 晃介くんは有名だから知ってます」
里央とセットで、ということだろう。人見知りしなさそうなあどけない表情が、魅力的だった。
普通は、可愛いと思うのだろう。物おじしない態度に、愛きょうのよい表情に、好感を持つに違いない。それなのにおれは、その子がすこしだけ怖かったんだ。こんなに魅力的な子が、里央のそばにいることが、怖くて、苦しくて、つらい。
そのときおれは、改めて自分の感情が桁はずれに汚いことに気づいて、愕然とした。
自分が、嫌いになる。
「わたし先に帰るね! バイトだから、急ぎ!」
持っていた置き傘であろうそれをぱっと開いて、その子は手を振りながら颯爽と雨の中走り出した。
(なんか、野分、みたいな人だな)
残されたのは、おれと、里央と、一本の折り畳み傘。
「そうそう、傘ねえから待ってたんだけどさ」
「持ってねえよばか。今日の天気予報晴れだし」
あの子がくれた折り畳み傘を差そうとしたけれど、振り返った里央が、首を傾げる。
「入る?」なんて。
「いいよ、傘、小さいだろう」
あの子が、おまえのためにやった傘だ。
(そんなの入りたくない)
嫉妬するそんな心の声から、耳を遠ざける。なにも聞いていないふりをして、おれは鞄を胸の前で包むように抱く。切るように降る雨と曇天を見上げた。
「おれ、先帰るよ」
「はあ!? なんだよここまで来て、そりゃせめえかもしんねーけど、鞄くらい入れりゃいいじゃん」
「いいよべつに」
これ以上、来るな。
言い訳できない。だから、拒絶しきれない。そんなおれを分かってくれない里央が、おれの腕を掴む。
反射するように、腕を振って逃げた。
――一瞬、ほんの一瞬だけ。里央の動きが止まったのを、見逃さなかった。見逃せなかった。
そのときに確かに変わった空気に、戦慄する。こういう一瞬の沈黙から、おれたちの間には似つかわしくない真面目な話が里央から飛んでくることを、経験から知っていたからかもしれない。
里央のほうを見ないまま、じゃあ、と歩き出すはずだった。そうして、今日も、逃げるはずだった。
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