07
「晃介」
だけど、その空気感に気づいていたのは向こうも同じだったようで、先手を打たれるように前に立ちはだかられる。閉じていたはずの小さな黄色い水玉の傘は、また、閉じられていた。
「おまえさ」
「おれ、ほんとう、宿題あるしさ、先帰る――」
「晃介」
おれの名前をおまえがそうやって呼ぶと、おれが金縛りにかかるみたいに動けなくなること、知っててやってるだろう。
おもむろに伸ばされた手がおれの肩に触れて、また、パーソナルスペースに踏み込まれる。
里央は、いつもおれのすこしの隙をついて、こうして簡単にそばまで踏み込んでくる。有無を言わせない早さとたしかな息遣いで。絶対にこちらへ来ると分からせておきながら避けさせない。
結局おれはこうして、動けないまま、ふざけたいたずらっぽい笑顔よりも三、四歳大人びて真面目くさった表情の里央に、絡め取られる。
「……っ」
「おまえ、最近どうした」
「どうした、て?」
「避けてるだろう」
ずっと一緒にいるから、里央が気づかないはずがないって分かっていた。卒業してから会わなくなるからとすこしずつおれが離れようとしていることを、悟られるわけにはいかなくて、気づかれたときにどう言い訳しようか考え続けていた。
それでもこうして真っ直ぐに見つめられると、素直に答える以外には――。
「……っ」
下を向いて黙り込むしかなくて。
おれは、やっぱりなにも言えなかった。頭の中で考えたどんな言い訳も思い出せなくて、結局その視線からも、逃げた。
「関係、ない」
「晃介」
「里央には、関係ない」
おれがおまえをとてもすきで、苦しくて、手が届かないのならいっそのこと離れたいと思うくらいすきで、それでも上手く離れられないくらいすきだということ、それは、里央とは関係ないのだ。
おれの肩を掴んだ里央の手に、力が籠る。すこし痛かった。
「それに、おまえのこと避けてなんかねーよ」
「嘘だ」
「嘘じゃねー。元々こういうゆるい付き合いだろうが」
「はぐらかすな」
うるせえ踏み込んでくんなばか。
おまえがすきで仕方ないんだばか。
雨に打たれて、草間を伝って土にとけて、そのまま消えてしまえたら楽だったのに。どんな雨も、消してはくれない。
そう思って睨むように里央を見上げて、息を飲んだ。
「り、お」
どうしてそんな顔をするんだ。
まるでおれの表情をそのまま鏡にして映しだしたみたいにつらそうな顔して。苦しいのは、おれのほうだけだというのに。
おまえが、おれの様子がおかしいということに対してそんな表情をすることが、苦しくて、それでもほんのすこしだけ嬉しいんだ。
その視線に絡め取られそうになって、やっぱり、おれが先に目を逸らした。里央が真面目な話をしようとするとき、その双眸は真っ直ぐにおれを見る。幼い子どもの視線のように、恥ずかしくてこちらが物おじするような。
それでもおれは逃げなければいけなくて。この気持ちを知られるくらいなら消えたほうがましだと思えるレベルで。だから、おれは逃げた。
なんて言ったのかすらよく分かっていない捨て台詞を残して、半ば強引に里央の腕を肩から抜き去って、雨の中を駆け出した。覚えているのは、駆けた足元に勢いよくかかる雨と、後ろからおれを呼ぶ里央の声だった。
喧嘩したとき。いつも真面目な顔つきで先に謝ろうとするのは里央のほうだった。里央はいつもおれをその強烈な視線で捕まえるから、おれは逃げられない。今までしたどんな話だって、結局はいつもと違い真面目な里央に諭され、吐かされ、和解させられてきた。
それでも、これだけは、逃げなきゃいけないんだ。知られたくないんだ。里央だって、知ったら後悔する。
知らないでいるよりも知ってしまうほうが、元通りのともだちであるおれたちにならなくなってしまうから。
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