novel
恋は匂へど
1.薄紅(日雛)






いろはにほへど ちりぬるを



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はらはらと、雪のように静かに桜が散る。一年で最も美しい季節の訪れだ。
幼さが顔かたちや体にも残る、青年というよりはむしろ少年と言った方がしっくり来る彼――日番谷冬獅郎は、桜吹雪が舞う小路を、徒足でゆっくりと歩いていた。
昼下がりに宮中から退出してきて、今は未の刻ほどだ。そろそろ日も長くなってきたので辺りもまだまだ明るい。
春らしく、柳の衣冠に指貫。手には檜扇。時々それをもてあそぶように、舞い落ちる桜の花びらを受け止める。扇の上に四、五枚花びらが落ちると、今度はそれを手のひらに乗せてふうっと吹いた。


――桜の花びらが舞い落ちる。
はらはらと。はらはらと。


不意に日番谷はある邸の前で足を止めた。見上げるほどの大邸宅。日番谷は少しそれを眺めてから、懐にあるものを確かめた。そうして少し悩んでから、近くの桜の木を手折った。手に余らないほどの、小ぶりの枝。七分咲きといったところか。
虫などついていないことを丁寧に確認すると、今度こそ日番谷はその邸を訪れた。

取り次ぎを頼むとすぐに一人の女房がやってきて、深々と日番谷に礼をする。
「お待ち申し上げておりました」
日番谷が小さく頷くと、女房は無駄口を叩かず先に立って邸の中を歩き出した。日番谷もそれに続く。
廊下を歩きながら庭に目を向ける。中心に大きな池が作られていて、そこにもやはり桜の花が散っている。鏡のような水面には、逆さになった桜の木が映っている。
美しい眺めだった。

「どうぞ」
女房が示した室に入る。広々とした室には奥に御簾があつらえられていて、その前には円座が用意されていた。
「久しぶり、シロちゃん」
御簾の向こうからかかった声に――日番谷は途端に眉根を寄せた。不機嫌な表情のままどっかりと円座に胡座をかいて座る。行儀が悪いが、他には誰もいないのだから気にしない。
「あのな、いい加減幼名で呼ぶのはやめろって言ってんだろ。元服して何年経つと思ってんだ」
「だって、シロちゃんはシロちゃんだもの」
そう言って声の主――雛森はころころと笑った。反対に日番谷の眉間の皺は深くなる。
「それより、ねぇシロちゃん、頼んでたものは?」
「できてる」
日番谷は懐に手を入れた。文、というよりは紙。二枚に折られたそれを御簾の下に差し入れる。雛森がそれを手にとって開いたのが気配でわかった。

「『よの定め ちぎるる花の かるること 知りてぞいかで 風になびかむ』……わぁ、すごい!」
雛森が歓声を上げる。自信はあったが日番谷は少しホッとして、雛森に気づかれないよう小さく息をついた。
「ありがとう!どうしても思いつかなくて困ってたの。おかげで助かったわ」
「つうかな、代作させるなら女房がいっぱいいんだろ。何で俺にやらせる」
「だって、皆あんまり歌詠みは得意じゃないんだもの。主人に似たのかな。シロちゃんに頼むのが一番確実だから」
雛森の歌の代作を頼まれる度に言っていることをまた言うと、やはり同じ答えが返ってきた。半分以上予測していた答えにため息をつく。
自然と視線が下がって、傍らに置いた桜の枝が目に入った。そうだ、これを忘れていた。

「それから、これ」
非礼とはわかっていたが、花がつぶれない程度に御簾を上げて差し入れる。薄紅色の花。
「おまえの花じゃねえけど」
桃。それが彼女の冠す名。
意味を察した雛森が笑うのが感じ取れた。受け取るのを待って御簾を元に戻す。
「きれい……」
「外のがもっときれいだけどな」
「……そっか」
ぽつんと雛森がつぶやいた。そのつぶやきはどこかさみしげに響いた。昔は好き勝手していた雛森も、成人してからは外に出ることはほとんどなくなった。
共に桜の木を見上げたのが、もう遠い昔のように思える。
「ねぇ、シロちゃん」
「なんだ」



「シロちゃんは、シロちゃんのままでいてね」



その言葉に込められた気持ちが痛いほどよくわかったから。
日番谷はただ黙って頷いた。
御簾の向こうからは見えてるはずだ。日番谷には雛森の顔が見えないが。
「…………」
たった一枚の御簾が二人を隔てる。この向こうの雛森は、どんな表情をしているのだろうか。もうずっと昔の笑顔しか思い浮かべられない。




――桜が舞っている。
はらはらと。はらはらと。


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わがよたれそ つねならむ







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古文は好きですが何か変なところがあったらすみません…こっそり教えてくださると嬉しいです。
歌は自作。
「夜」と「世」、「契る」と「千切る」、「枯れる」と「枯れる」が掛詞です。いちおう。ごちゃごちゃしすぎですね、はい。


あきゅろす。
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