夏色の想ひ出
新しい生命(いのち)
示談交渉も佐々本の裁判もケリがついた。
といっても、新しい年を迎えていたが。
示談交渉は裁判所の調停で合意に達した。
最後まで難航したのは、加害者が任意保険に入っておらず
支払い能力がない事だった。
5,000万円の支払い命令が出たが、加害者の給料の大半を押さえる訳にもいかないのだ。
せいぜい月に三〜五万円くらいの支払い額である。
結局手にしたのは自賠責(車検時に強制的に加入させられる保険)の3,000万円のうちの過失割合を引かれた2,600万円だけだった。
あとの2,000万円は月1〜3万円の分割払いと退職金で支払うというものだった。
由美にとっても加害者にとっても気の長い話である。
裁判の方はというと、佐々本が初犯である事、社会的制裁を受けている事、そして反省している点が考慮されて執行猶予付きの判決が出てしまった。
但し、由美に近づく事は絶対禁止とされた。
検察官は上告するかどうか聞いてきたが、煩わしさに嫌気が差していた由美は上告しない事にした。
法廷に呼び出されて、佐々本の弁護士からねちねち聞かれる事に辟易していたのだ。
示談交渉も裁判も由美の不本意な形になったが、大きなお腹を抱えていては仕方のない事かも知れなかった。
孝子「由美さん、残念だったわね」
由美「ちょっとだけですけれどね」
孝子「ちょっとだけ?どうしてよ」
由美「だって、会社を辞めさせられて奥さまとも別れて、前科者になったんですもの」
孝子「そりゃそうだけど…でも悔しいな」
由美「まあ、いいじゃない、わたしはこの子が無事に産まれてくれればいいわ」
孝子「そうね、頑張ってね」
由美がお腹を擦る手に、手をそっと重ねた。
孝子は由美とエッチな関係になった事で、お腹の子を我が子のように思っていたのだ。
由美「ありがとうお姉さん」
孝子「何よ、急にお姉さんだなんて…」
由美「ちょっとね、甘えてみたくなったのかしら…」
孝子「そっか…ねえ、一度お義兄さんに逢いに行ってきたら?ううん、裁判も終わったんだからそのまま暮らせばいいじゃない」
由美「でも…こんなお腹して行けないわ…それに、お義兄さんの子供じゃなかったら申し訳ないもの」
孝子「そっか、それもそうよね…じゃあ、一人で育てるつもり?」
由美「まあ、そのつもりなんですけど」
孝子「お義兄さんとの愛を捨てると言うの?」
由美「分かっています、でも申し訳ないですから」
孝子「仮にそうでも、弟さんの子供でしょ?分かってくれるわよ」
いくら話しあっても結論は出なかった。
DNA検査でもすればはっきりする事だが、武志の子供だと信じたい由美は浩二の子供ですと言われるのが怖かった。
それと今は、孝子という存在も居るのだから。
孝子にしても由美が武志の元に行ったら淋しくなるはずなのだ。
それでも、逢いに行けと言ったのには理由があった。
それは、年末に武志に会っていたからだ。
武志は時々マンションにやってきて、郵便受けにお金を入れた封筒を投げ入れていたのだ。
由美はそのお金を使わずにタンスにしまっていた。
浩二の葬儀の時に見知った武志に声をかけて、部屋に招き入れていた。
由美は健診に行っていて留守だった。
孝子「どうして迎えにきてやらないんですか」
武志「由美さんが考えさせてほしいと言ったからですよ」
孝子「でも、あまりにかわいそすぎるわ」
押し問答を繰り返すうちに、自分たちの関係以外を話してしまった。
武志「そうですか、そんな事が…それで連絡できなかったんですね」
孝子「ねっ、会って連れてったら?彼女喜ぶから」
武志「それはできません。由美さんが答えを出さなければならない事ですから」
武志は頑(かたく)なに会う事を拒んだ。
武志「孝子さんでしたっけ?ひとつ頼みを聞いてもらえますか」
武志は自分に会った事は内緒にしてくれる事と、時々様子を知らせてくれるように頼みこんだ。
武志の頑固さに孝子は根負けしたのだ。
そうこうしているうちに季節は梅雨を迎え、元気な女の子が産まれた。
名前は陽子と名付けられた。
孝子「やっぱり女の子はかわいいわね、私も女の子がほしくなっちゃったわ」
由美「でしたら頑張ってみたら?まだまだ間に合うわよ、それに旦那さまを振り向かせるチャンスよ」
孝子「うん、だといいんだけどね」
陽子は浩二の子供として近所に紹介された。
口が裂けても武志の子供だとは言えなかった。
孝子は靖雄と二人の男の子、和也と友也の四人暮らしだった。
孝子は陽子を抱いて女の子が欲しいわねと迫った。
靖雄も陽子の可愛さに刺激されたのかその晩孝子を抱いていた。
そして、徐々にではあるが孝子のセックスレスも解消されて行くのだった。
由美「よかったわね、孝子さん♪」
孝子「でも由美さんが…」
由美「わたしなら大丈夫よ、孝子さんが幸せならね」
確かに二人の関係は薄くなりはじめていた。
不倫関係が長く続くはずもなかった。
それでも、孝子の幸せそうな顔を見て由美は嬉しかった。
孝子には佐々本から救ってもらった事をはじめ、言葉では言い表せないほど世話になっていたからだ。
和也と友也も陽子を可愛がってくれるので、孝子のところで過ごす時間も長くなっていた。
ますます、武志が遠い存在になりつつあった。
続く
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