夏色の想ひ出
逢いたい人
翌年の夏休みが終わる頃、孝子は女の子を抱いて病院から帰ってきた。
退院祝いが盛大に行われた。
と言っても、由美と孝子と靖雄と和也と友也とだけだったが。
女の子は奈津実と名付けられた。
由美「よかったわね、孝子さん。靖雄さんも和也くんも友也くんもおめでとうございます」
靖雄「あ、ありがとうございます…由美さんのおかげですよ、ほんとにありがとう」
靖雄は由美の手を握って感謝していた。
孝子「んん、あなた!」
孝子の咳払いにその場は笑いの渦に包まれていた。
由美と孝子は協力しあって子育てに奔走した。
二人の男の子はますますやんちゃになっていたので、目が離せないのだ。
和也と友也が、陽子も奈津実も分け隔てなく可愛がってくれたのはありがたかった。
二家族の二人の妹的娘は、すくすくと育っていった。
陽子が五歳頃になると、さかんにパパはどんなパパだったのと聞くようになった。
さすがに自分に父親が居ない事が淋しかったのだろう。
由美「陽子のパパはね…背が高くて日焼けした真っ黒な顔をした海の男だったの。力持ちでママをひょいと抱き上げてくれていたのよ」
由美は武志を思い出しながら話して聞かせていた。
陽子は写真の浩二を見ながら父親像を思い描いていた。
時には自分が抱き上げられている姿も思っていた。
陽子とそんな話をした夜は、必ずと言っていいほど右手は淫部に向かっていた。
由美(くうぅ…武志さあん…あ〜っ……)
逢いたい気持ちを抑えて自分を慰めた後は、決まって詫びた。
時々届けられる封筒に武志の心が変わっていない事は確信できたが、自分の気持ちを一度も伝えていなかった事を詫びたのだ。
このまま年を取って行くのかと不安はあったが、自分が選んだ事だからと自分に言い聞かせていた。
陽子にはそんな姿は見せられなかったが。
孝子「由美さんほんとにいいの、このままで?」
孝子は事あるごとに由美を心配していた。
由美「孝子さんありがとうございます。でも陽子も、友達もできてのびのびやっていますから…」
我が子の成長ほど親を安心させるものはない。
陽子の成長が由美を支えていたのだ。
そんな陽子も翌春には小学生になった。
小学五年の和也と三年の友也に連れられて、元気に登校していた。
最年長の和也は5〜6人のグループの先頭に立ってみんなを率つれていた。
友也はただ一人の一年生の陽子の手を握ってやる役目だった。
梅雨時になり陽子の誕生日会が二家族によって開かれた。
陽子は孝子たちの家族から揉みくちゃにされたが、プレゼントをもらって嬉しかった。
陽子「ママ、陽子、パパに逢いたい…パパが欲しい…」
陽子の台詞にその場は静まりかえった。
由美「陽子、何言ってるの、パパはね死んじゃ……」
そう言いかけた由美を孝子が止めた。
孝子「陽子ちゃんは本能的に気付いているんじゃないかしら?」
由美「そんな事…」
二人の会話にちんぷんかんぷんの靖雄だった。
孝子「ちょうどいい機会じゃない?夏休みになったら行ってきなさい。お墓参りも行ってないんだし」
由美「ええまあ…そうですけれど…わたし一人じゃ気恥ずかしいわ」
靖雄「だったらお前も着いて行ったらいいだろ、奈津実も連れて。ねっ、いいですよね由美さん」
孝子「でも和也と友也のキャンプはどうするんですか?」
靖雄「そっちは私が着いて行くさ、なっ、いいだろ」
夏休みに入るとすぐに、三年生以上は学校主催のキャンプ合宿が三日ほどあるのだ。
父兄も揃って参加が基本だったが、靖雄は奈津実を口実に孝子は参加しなくてもいいだろうと言ったのだ。
孝子「お母さん居なくてもいい?由美さんと陽子ちゃんに着いて行ってもいいの?」
和也「僕はいいよ、陽子ちゃんがパパに会えるならね」
友也「僕も」
この時、靖雄も和也も友也も由美と陽子が浩二の墓参りに行くと思い込んでいたのだ。
そんな訳で、夏休みに入るとすぐに愛しい彼のいる田舎に向かっていた。
由美「どんな顔で会ったらいいのかしら…あごのお肉だって弛んでいるし……」
女性はそういうところを気にするらしい。
家に行く前にお墓参りをしていると、お坊さんが近づいてきた。
坊主「おや、あなた様は…」
由美「何年もご無沙汰して申し訳ありません」
坊主「いやいや、生きておる者はやらねばならぬ事が多いものじゃ。日々、思ってやる事が大事じゃて」
由美「和尚さん、ありがとうございます」
由美たちは一礼して去ろうとした。
坊主「そうじゃ、武志が首を長ごうして待っておったぞ、ほっほっほっ」
意味深な笑い声を残して本堂の方に消えていった。
武志の家の玄関先。
高鳴る鼓動を鎮めようと大きく深呼吸する由美。
孝子「いいから、さっさと入りなさいよ」
勝手に玄関ドアを開けて由美を押し込んだ。
武志「おかえり♪」
玄関を上がったところに武志が立って出迎えてくれた。
由美「た、た、ただいま…」
七年ぶりの再会だった。
日に焼けた変わらない笑顔がそこにあった。
由美はその場に泣き崩れた。
武志「まだ泣くのは早いですよ、さっ、孝子さんも上がってください」
由美「えっ?」
孝子「さっ、あなた達も入って」
孝子は陽子と奈津実の背中を押した。
武志「あなたが陽子ちゃん?それとあなたは奈津実ちゃんだよね」
武志は二人を軽々と抱えあげた。
武志「手が届くかな〜」
身長185cmの武志に抱き上げられた二人は、手を伸ばして天井に触っていた。
初めての視界に喜んでいた。
陽子「おじさんが陽子のパパなの?」
武志「それはママに決めてもらおうね。陽子ちゃんの本当のパパは写真の人だよ、おじさんの弟だよ」
陽子「ふうん、でもパパって呼んでもいいんでしょ?」
陽子が母親から聞いて思い描いていた父親像と武志がそっくりだった。
そのため、初対面だったが、すんなりと馴染める事ができたのだ。
孝子「ねっ由美さん、陽子ちゃんは本能で知ってるのよ、心配する事ないわよ」
由美「……」
由美はすすり泣きが止まらなかった。
武志「いつまでも泣いていないで、返事を聞かせてくれませんか」
由美「えっ?やだ…」
陽子と奈津実を降ろした武志にお姫さま抱っこされた。
直前の武志の顔に頬が染まっていった。
由美「えっ?なにをですか」
武志「約束の返事です」
由美「そ、それはその…その前に降ろして戴けません?」
武志「だめです、返事を聞くまで降ろしません」
由美「恥ずかしいわ…」
武志「だめですよ、俺が陽子ちゃんのパパになっても?」
由美「お、お願いします…この子の…陽子の父親になってください……」
陽子「ママ、いいともって言うんでしょ!」
由美「そ、そうだったわね」
失笑に包まれた由美はますます顔を赤らめていた。
孝子「やだ、なに?なに?」
次に孝子が抱き上げられていた。
武志「孝子さん、今までありがとうございました。キスはしてあげられませんがせめてものお礼です」
孝子「やだって…こんな事された事ないから恥ずかしいわよ…降ろしてよ」
靖雄より若くて力持ちの武志に顔が紅潮していった。
イケメンではないが夫以外の男の顔に急接近したのは初めてだった。
奈津実「ママも赤くなってるよ」
娘のひと言にますます赤くなる孝子だった。
由美は仏壇に位牌とお骨を置いて手を合わせた。
その脇で孝子と陽子と奈津実が手を合わせていた。
四人は武志が用意してくれたスイカにかじりついた。
由美「重かったでしょ?おばさん太りしてしまってごめんなさい」
孝子「由美さんが言うなら、私はババア太りよ…」
武志「いえ、二人ともふくよかな肉付きでしたよ」
由美「まっ、物は言い様なのね武志さんは。ところでさっき、今までありがとうって言ってたわよね」
武志「ええ、孝子さんには由美さんの事をちょくちょく教えてもらっていたんですよ」
由美「孝子さん、ほんと?だから陽子の名前も知っていたのね…なんか変ねって思っていたのよ」
孝子「ごめんねスパイみたいな真似しちゃって…でもあなたも悪いわよ、電話一本しないんだもの。こんな優しいお義兄さんをほっとくんだったら私が奪えばよかったわ」
由美「それはそれで仕方ないわね、うふふ。さっき抱っこされてまんざらでもない顔をしていたものね」
孝子「もお、いやな由美さんね、うふふ」
武志「どうです、これから海に行きませんか?陽子ちゃんも奈津実ちゃんも入りたいよね」
陽子、奈津実「うん行く」
孝子「でも私達、水着なんて持って来なかったわよ」
由美「いいじゃない、オールヌードで♪」
孝子「由美さん!そんな恥ずかしい真似するんだったら舌噛んで死んでやるわよ!」
由美「冗談よ、足だけでも入れば気持ちいいわよ」
孝子「分かりました」
陽子と奈津実は初めての海に大はしゃぎだった。
二人を見つめる孝子も、十何年ぶりかの海に膝まで浸かって満足気だった。
武志「俺、おかず取ってくるから、二人から目を離さないでください」
由美、孝子「はい」
ものの三十分もしないうちにサザエやタコやアワビを取ってきた。
その量はみんなで食べきれる量だった。
しばらく遊んでから家に帰ると、由美と孝子と陽子と奈津実は風呂に直行した。
武志はタコを茹でてぶつ切りしてサザエとアワビはコンロで焼いた。
孝子「やっぱり海の男はかっこいいわね、ダイナミックなのね」
由美「だめですよ惚れても」
孝子「バカね、そんな真似しないわよ」
由美「それより、付き合わせてごめんなさい…」
孝子「気にしないの、今までは私が見せつけていたんだからさ」
由美「でも…」
孝子「心配しないでいいの、私、お酒をいっぱい飲んで寝ちゃうから!七年分、たっぷり愛してもらうのよ、いい?分かった?」
由美「は、はい…ほんとにごめんなさい」
風呂から上がり、海の幸に舌鼓を打ちながら夕食を楽しんだ。
武志は孝子の下心を知ってか知らずかあまりビールを勧めなかった。
続く
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