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元治元年七月二十三日。
その夜、京都三本木通りに新選組の小隊が潜んでいた。
雲間から漏れる月明かりには、ほのかな秋の気配が漂いはじめている。

「この見世で間違いないのだな」

土方が問うと、監察方の吉村がもごもごと「そうでがんす」と返した。続けて「間違いございません」とも。



ここは、吉田屋という料亭である。
以前から新選組が追っている長州者、桂小五郎の馴染みの芸妓が務めている見世であり、禁門の変以降も、桂は変わらずこの吉田屋に出入りしているという。

もうじき、正式に長州征伐が下されるだろう。
先の戦さで重立った働きを示せなかった新選組としては、来たるその時の為にも、この期間ででき得る限りの功名を立てておく必要がある。そういうふうに土方は考えている。
土方が考えているという事はつまり、今回桂小五郎の身柄を確保する事は、今の新選組にとって最も重要な事項のひとつと言ってよかった。

「吉村くん、君はもう退いていい。ご苦労だった」

とだけ声をかけると、近藤に続き土方も敷地内へと踏み込んだ。
土方が戸板をくぐるのとほぼ同時、「御用改めである」という近藤の文句が店内に響き渡る。
その厳つい声と新選組の存在とに、突如として店内は騒然となった。

「長州者の桂小五郎が潜んでいるはずだ! 隅々までくまなく探せ!」

すぐさま見世番の悲痛な声が響く。
が、近藤はいちいち気にしておられぬといった様子で、手当たり次第に人影の潜みそうな場を掻き分けていった。これが、新選組のやり方である。
店主の懇願の声も、女の悲鳴も、非難めいた視線も、もう慣れっこであった。周囲の目なぞどうでも良い。今は何としても桂小五郎を――手柄を、確保したかった。


そうして店内に踏み込んで間もなくのことである。
べべん、という粘り気ある音が耳に入ってきて、土方はついと顔を上げた。三味線である。どうやら、料亭の二階、奥まった一室から聞こえてきている。
何事かとそちらへ足を運ぶと、ちょうど部屋の前で、同じように怪訝な顔をした近藤とはち合わせた。
襖を開け放つと、そこには、不思議な光景が広がっていた。
客は逃げ出した後らしい。閑散としたその座敷に芸妓が一人、誰に見せるでもなく、何食わぬ顔で舞を舞っているのである。





  春は花 いざ見にごんせ 東山

  色香競う夜桜や

  浮かれ 浮かれて

  粋も無粋も ものがたい――





「どういうつもりだ! 御用改めであるぞ!」

近藤が声を張り上げると、三味線の女がひっと悲鳴を上げ、その時ようやく演奏が止んだようだった。
が、舞の女はと言うと、すっと背筋を伸ばした姿勢のまま。未だ芸の最中のような涼やかな流し眼でもってこちらをねめつけてくるのである。
土方が見遣ると、まるで、ここから先は通さぬとでもいった顔を返してくる。

(……これは)

「局長、あの女の奥の襖、何かある」

土方が小さく耳打ちすると、近藤も分かっているとばかりに静かに頷いた。そして直ぐ様ずかずかと大股に踏み込んで行く――。が。
それを、女の手が即座に制したのである。近藤の行く手に扇子が広げられる。

「芸の途中でお座敷を横切るやなんて、無礼にも程がありますえ!」

パアンと頬を張られたような、そんな声だった。
たった今まで、雅やかに舞を舞っていた女の口から出た声とは、到底考えにくい力強さである。

「邪魔だ、退け! その奥に長者を匿っているのではないか!」

近藤も負けじと声を張り上げるが、女がたじろぐ事は決してなかった。それ所か、その紅色の口元には薄い笑みすら浮かんでいるようにも見える。

「退く訳にはいかしまへんな。うちらにも意地、ゆうもんがありますさかい」
「なに」
「……知ってますえ。あんさん、新選組の近藤先生、いわはりましたなァ」
「いかにも、そうだが……」

と、律儀に受け答えてしまうのが近藤である。
新選組局長が、自分より一回りも二回りも小さいであろう女の眼光に、既に及び腰になっているようにも見えて、土方は何だか面白くない。

「近藤先生。うちらはな、商売をやっとるんどす。商売に信用はつきものどすえ。お客はんの身ィを、ほいほいと売ってまう訳にはいかしまへんのや。新選組の局長はんは、そないな事も分からへんお人やないでっしゃろ」
「何が言いたい……。悪口雑言の類なら受けぬ。とにかく退け!」
「近藤先生! どうしてもここを通りたい言うんでしたら、まずはお武家様の御覚悟いうもんを、見せて頂きとおす!」

それは凛とした響く声で、瞬く間にその空間を制してしまった。

「……か、覚悟だと?」
「そうどす。近藤先生は、うちの大事な舞台を、見世を、これでもかと踏み荒らしてくれたんどすえ……。これでうちが退いて、この奥に誰もおらへんかったら、あんさんらお侍さま方は、どないに落とし前付けてくれるんやろね?」

女の言い回しこそ、穏やかな京言葉に他ならなかった。が、その節々に、数多の小さな棘が紛れている。

「近藤先生。襖を開けて、そこにお探しの長州者がおらへんかった時は……その時は潔く、此度のご自身の失態をお認めになって、この場で腹を召しとくれやす! それ程の確信と御覚悟を持った上で、この部屋まで土足で来はったいうんでしたら、うちも快くお通ししますえ!」

その語り口は、どこまでも悪びれず、自信に満ちたものであった。

(これは、)

完全にやられた、と土方は思う。
まず、こうして足止めをくらっている時点で、この襖の奥に桂が居る可能性は、もう殆ど無いに等しい。おそらく、この部屋を通じて――というのは、あながち間違いでもなさそうだが、既にどこかへ逃れてしまっているのだろう。
そして、こう士道を問うように聞かれてしまっては、もうだめだ。既に誰もいないこの奥の空間へ進む為に、切腹の約束なぞするわけにいかない。となれば、この一連の応酬を経た今、真っ向からぶつかる近藤の性格上、素直に退く他に術はないだろう。
相手が悪かったな、とも思う。女は、近藤よりはるかに上手であったのだ。

(近藤さんの真っ直ぐさに付け入って……これだから京女は始末におえねえ)

なぞと内心毒づくが、近藤が言い負かされた時点で、それが負け惜しみでしかない事は土方自身も重々承知していた。
近藤は、唖然としたまま、立ち尽くしている。
それが、暫時の間であったのか、長い間であったのか、判断に難かった。が、とにかく暫くすると、近藤は静かに開口した。

「お前、名はなんという」
「……幾松どす」
「そうか……」

言うと、近藤は観念したように刀を鞘に納めた。そうして一息ついてから、

「いや、私の完敗だな。今回は、幾松殿に免じて出直す事にしよう」

なんて朗らかな顔で言いきってしまうのだから、予想できた結果とはいえ、後ろに控える土方は脱力してしまう。
こういう時、近藤の人の好さが徒となるのだ。こんなのは、多摩に居た頃からちっとも変わっていない、と土方は思う。そもそも、はなから女の話になぞ耳を傾けず、無理矢理にでも踏み入ってしまえば良かったのだ。
相手を認め、言葉を交わし、互いの位置を認めてしまう。――それは近藤の魅力であり、同時に最大の弱点でもある。

(やっぱり、あんた一人には任せられない)

と溜息をつく一方で、そこに温かい気持ちが入り混じっているのもまた、相違なき事実なのであった。

ふと格子越しに外を見遣ると、庭先に二人分の人影の動きがあった。確実に見て取れた訳ではなかったが、それは瞬時に土方の感性をざわつかせた。

「近藤さん、おれは下を見てくる」
「あ、ああ」






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あきゅろす。
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