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二日目
 絨毯の敷き詰められた柔らかい床は、歩いても足音が響かない。
だからこそ、いつもどのタイミングで食事が運ばれてくるかを私は気付かない、筈だった。

しかし、深夜二時を過ぎた頃。
嗅いだ覚えのない香りと、息せきせまるような短い間隔の息遣いに、ふと目醒めさせられた。

「走ってくるのは……どなたですか?」

ほとんど言葉を交わす事のない口から、すらりと声が飛び出した。
フィクションの作品でしか見られないような一言を自分が言っている事実が少し面白い。

言うや否や、鉄格子の向こうに立ち止った人間は、脚をそろえてその場に正座する。
七対三で分けられた髪がはらりと揺れて、そこで初めて私は彼が土下座している事を知った。

 「書物でしか見た事がないので、それが何を意味するかは分からないのですが―」
「どうか僕をご処分ください」
「は、何を」

ようやく顔を上げた青年は、光の灯っていない瞳からはらはらと雫をこぼす。
これが初めてみる、人の涙だった。

「こんな場所では何も出来ませんよね。失礼致します」
そう言うが早いか、彼は涙を袖口で拭うと、鉄格子に手をかける。

まさか、高温でもない限り普通の人間には太刀打ちできない。それが多くの本での当たり前の知識だ。

しかし、目の前の青年は眉根を一つ動かさずに、赤子の手をひねるかの如く簡単にそれを曲げ広げてみせた。
大股を開いて、私以外誰も入った事のないであろう牢の中へ一歩進む。

 「清水―と申します。神様、どうか僕の事を手打ちにしてくれませんでしょうか」
「ど、どうしてそんな事を」

鉄格子をなんなく壊せる力を持っているのに、投げ出そうとしているその事実が理解出来ない。

「そもそも、見ず知らずの人に手を下せる程、私も人間が出来ていないもんでね」
「そうですか……そうですよね」

先ほどよりも一層、悲壮感を顔ににじませた彼になんとか落ち着いてほしくて、でも私に出来る事など椅子を差し出す事しかない。

ありがとうございます、と控えめに呟きながら彼は椅子に腰かけるのを見守ってから、私もベッドに座る。

この青年が一体どんな苦しみを抱いているのかは全く分からないが、この鉄格子を困難とも思わない屈強さは、使える。そう思った。

 この人がいれば、私は外の世界を諦めなくて済むかも知れないのだ。
それなら、彼には自分の命を諦めてもらう訳にはいかない。

「不思議ですね……上ではあんなに恐れられているのに、僕にはあなたが普通の人に見えます」

俯き加減で、青年が呟く。

「やっぱり、私は恐れられているんですね」

言葉の揚げ足を取るフリをしながら、私は心のどこかで嬉しさを噛みしめていた。
私は、普通の人に見える。

「ご、ごめんなさい、そういう意味じゃないんです」
「わかっていますよ。―ねぇ、あなた。私で良ければ話し相手になってあげますから、まだもう少し頑張ってみませんか」

出来るだけ、優しい声色で。とは言っても優しくした事などこれが人生初なのだから、出来ているかは自信がないが―それでも青年の眼に光が宿るのを見る限り、きっと成功したのだろう。

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