オレンジ信号機
6
どちらからともなく一歩を踏み出して、ただひたすらに沈黙の中を進んでいく。
草木と土のにおいが風にのって鼻先をかすめていくような気がして、ようやく手を洗い忘れていた事に気がついた。
「体育館の前んとこの蛇口で洗えるかな」
東江も自らの二つの手のひらを眺めて苦笑する。
教師に見つからないようにしないと、と小さく呟いた。
その頭を思わず撫でそうになって−ぐ、と内原は堪えた。
こんな手では、さっきの今では、そんな事をする資格がなかったからだ。
(俺の方から突き放すような事言ったのに、なんでちょっと苦しい気分になってんだか)
抜け穴から周囲を見回して、そそくさと体育館まで走る。
こんな簡単に侵入出来るとは、この学校は本当に大丈夫なのだろうか。
「先生にバレたらどうしよう、内原生徒会だし」
「あー、それ、もう気にすんな」
え、と首を傾げた東江に、誤魔化すように蛇口の水をかけてやる。
慌てて両手で防御をした彼には、もうそれ以上は詮索するつもりはないらしい。
正式に生徒会の解散が決定したのは、別段今言わなくともいずれ分かる事なのだから。
石鹸で泡をたてて、手の甲から爪の先までしっかりと汚れを落としていく。
排水口へとなだらかに流れていくそれをぼんやりと見つめていると、もう水の音しか聞こえてこない。
「これで終わりなんだ」
静寂を割いたのはそんな東江の一言であった。
聞き返そうと顔をあげた内原は、左隣の東江を認識して、固まった。
「あ、東江、お前何泣いてんだ」
「泣いてない」
ぶっきらぼうにため息を吐いてはいるが目尻は小さく煌めいている。
頭上の電灯が反射して、やけに綺麗に見えるのだ。
内原は服の裾で手のひらを軽く拭くと、東江へ一歩歩み寄った。
「優等生がそんなとこで拭いていいの?」
「お前が忘れればいいんじゃないか」
俺の事を。そう言外に含みながら、内原は今度こそ東江の頭へと手を乗せる。
小さい子供をなだめるような単純な手口だ。それでも目の前のこの人が落ち着いてくれるのであれば、もうなんでも良いと思った。
「幼なじみは、終わりだけどな……明日からは、普通の同級生、だ」
「……うん、分かってる」
ひと呼吸おいて、東江はようやく目元を強引に袖口で拭う。
擦れたせいか赤くなった表情は、かつて遊んだ時に炎天下のもとで見たものと何ら変わらなかった。
「そういえば、小峰−ゲンとは仲直りしたのか?」
つい先日まで鬱陶しい程密着していた東江の同室者は、最近では見かける日の方が少なくなっていた。
「知らない。僕も会ってないんだ」
東江はどこか遠い目で、しかし断ち切って割り切っているかの様子で答えた。
端から見ているだけでは彼らの間に一体何が起きていたのかを知る由はない。
(ままならない幼なじみを持ったもんだな)
自分から振った話題だったが、何かが無性にい引っかかった。
そうしてお互いに名残惜しむように離れる。
遠くなる後ろ姿を横目に見ながら、誰とでもいいから幸せになってくれよと小さく祈った。
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