オレンジ信号機
3−1
たまには大浴場にでも行ってみればというのは同室者の弁で。
持ち込んだタオルもそこそこにエレベーターの最上階を押す。
どこぞのビジネスホテルみたいな狭小な物を想像しながらドアを開けて、東江は絶句した。
「マ、マーライオンがお湯吐いてる」
小さく出した筈なのに、浴室内はよく音が響く。
小峰は一度行けばもう満足と言っていたが、東江は正直はまってしまうような気がした。
(でも人目につくのは嫌だな……)
そっと私服を脱ぎながら、東江は周りを見渡す。
二十一時を半分も過ぎると、部活動帰りの生徒もほとんどいない。
実質貸し切り状態である事にほっと一息つきたくなる。
肩口に少し掛かる自らの髪を上げて、シャツを羽織る。
ボタンを一番上まで留めかけて、髪の毛が絡む事に気づいた。
しばらくのうちに、随分延びたようだ。
「そろそろ切らないとね」
色んな意味で。
ため息混じりにロッカーを締めて、脱衣所を後にする。
入り口のドアを開けると、丁度良いタイミングで入れ違いに人がやって来た。
「あっすみません−って内原か」
「……東江」
彼にしては珍しく、名前をきちんと呼ばれた。
……しかし、いつものように2、3会話をする事もなく、無表情で横をすり抜けていく。
「なんか、元気ない?」
「何が。お前に関係ねぇだろ」
いつになく冷たい言い方だ。
それこそ、折角風呂で暖まった体がひくりとひきつる程に。
「関係なくは……ってもういない」
先日の親衛隊と言い、一体どうしたのだろうか。
確かに廊下で話す程度の仲ではあるので、関係あるかどうかと聞かれれば首を傾げるものではあるのだが。
「……って、それをボクに言われてもね」
「だ、だよねゴメン」
「ああ、なっちゃんが悪いんじゃないよ」
風呂へ行ったのにあまりにも気落ちした様子を東江が見せながら帰ってきた。
となれば同室の小峰は心配するに決まっているのだ。
「今度内原になんか言われたら、すぐボクに相談して」
「何だよそれ、守ってくれるとか?」
少女漫画みたいだな、そう言って東江が笑うと、小峰はいつになく真剣なまなざしでこちらに向き直った。
「守って欲しいならそうする」
「いきなりどうしたの?」
「なっちゃんがボクを選んでくれるなら……」
告白だよ。
言外にぞっとしない色を乗せて、小峰は一歩一歩と近づいてくる。
追いつめられている訳ではない筈なのに、東江は後ろにさがる。
ドアと背中がぶつかり合う音がした。
「親友よりも、同級生よりも、ボクの方がいいでしょ?」
「そ、れは−」
「それともなっちゃんは、昔の“うっちゃん”がまだ好き?」
それは一体、どういう意味?
と聞き返そうと顔を上げて、小峰の目を見て東江は息を飲む。
(こんな事言ったら怒るかもしれないけど、犬みたい)
まるでその姿は躾られてしょぼくれる大型犬だ。
実は東江は、携帯電話の待ち受け画像を犬にしている程の犬好きだ。
もっと言うと、『ヒラインテリア』のロゴに描かれたヨークシャテリアのイラストですら好きなのだ。
−だから、この状況は何とかしたかった。
「……取りあえず、一旦保留で」
だって東江は、目の前の彼を未だに完全には信じ切れていないのだから。
Episode2 速度超過の世界
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