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Sainen

 街の中心部には大きなケヤキの木があって、その周りにはちょっとしたフードコートのようにテーブルと椅子が並んでいる。
あの人はいつもそこでテーブルに伏せて仮眠を取っている事が多かった。

だからおれも、一か八か待ち伏せをするならばあえてここにしたいと思ったのだ。

(ってこれじゃますますストーカーみたいだね)

でも、それももう今日でおしまいだ。彼の態度が少しでも難色を示すようなら、おれはもう二度とこの辺りには近づかないと決めていた。

だから、いつもの通りに現れて、いつもの場所を陣取った時は心が震えた。
意を決して、ぽつねんと座る彼の前まで歩み寄って、真正面の椅子に手をかけた。

「ひ、久しぶりですね」

しかし彼の反応は、どこかぎこちなく困ったような表情で。

「すまん、オレ今ちょっと頭おかしくしてて」
「頭を?」
「そう、ちょっとお前が誰か分からないんだ」

それってまさか。そう言う前に、おれは目の前の椅子にためらいなく腰を降ろした。

 「いや、実はオレもドーナツ屋の前で見た時から気にはなってたんだよな」

前々からちょくちょく話しかけようとしてただろ、そういう風に言われてしまうと、晴天の霹靂と言うか何というか、頭があがらなくなっってしまう。

「あなた、いえ南波さんも記憶がないなんてびっくりしました」

会話の中で、自然に彼−南波ヤスアキの名前を呼んでみると、ひどく慣れない感覚があって、その後すぐに無性にもっと呼びたくなってしまうのはなぜだろう。

「でも正直、誰かとやっと喋れるってホッとしてたりすんだよな」
「それ、おれも分かります。やっぱり一人は寂しいですから」

南波さんを安心させる為かそれとも自分自身のためか、自然に出る愛想笑いは、この場の空気を少しだけ和ませる。

 「記憶喪失?って結構いるもんなんかね」

彼は頭をかきながら、ちらりとこちらを一瞥する。どうやら、言葉を選ばせてしまっているようだ。

「どうなんでしょう。おれも突然目が覚めたら右も左も分からなくって」
「そんな赤ちゃんレベルかよ。まぁ、でもオレも同じようなもんだな」

その時いる場所も、自分の名前すら不明なんて、恐怖しかないだろ。
ぶっきらぼうにそう告げられると、あるあるネタのように頷きたくなる。
記憶の中と寸分の狂いなく、南波との会話はテンポが合っている気がする。

 「でもまだ南波さんは名前とドーナツが好きだった事しか思い出せないなら、おれの方が一歩リードしてますよね」
「そりゃそうだ。お前に何か会った事ありそうなのに全然分からんもん」

唐突に。これはチャンスだと誰かに言われたように感じた。
もしかしたら、かつての自分が頭の中で言ったのかも知れない。

−おれは南波さんと、もっと一緒にいたい。それなら、一つしかない−

「じゃ、じゃあ記憶、一緒に探してみませんか?」
「探すって……二人とも病院行った方が早いんじゃねぇの?」
「なら南波さん一人でどうぞ。おれは何科にかかればいいかもまだ思い出せないんで」

でも、と彼は続ける。
自分を知っている人が協力してくれるなら、こんな心強い事はないと。

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