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Sainen

 それからの数日は、退屈で平凡で。
ただ広い家の中にいても、掃除をするくらいしかおれには出来そうもなかった。

本来であれば何かをしなければいけないところなのかも知れないが、自分の年齢すら不透明なのだ。

記憶のろくすっぽ抜け落ちた自分を指南してくれる人物も現れそうにないのだから、雑巾を手にするより他ない。

「……とかかっこつけて思っても、広すぎて全然なんだけど」

だだっ広い廊下を一瞥して、おれは気を遣うようにためいきを一つ。
隅に目をこらせば、白いほこりや砂のようなざらつきが見えなくもない。

たぶん、おそらく。おれは元々掃除が好きじゃない人間だったに違いない。
というか、こんな広い屋敷のような所に一人で住んでいるとも考えにくい事から、お手伝いさんがしばらく来ていないだけだ、という結論に帰着した。

(これ以上、同じ場所をぐるぐる回っていたって何も得るものはない、気がする)

またただの直感に過ぎないけど。いずれにせよこの場所にはもう飽き尽くしていた。
だからおれは、あのビーチサンダルに足をひっかけてエスケイプをする事にした。

 再びたどり着いた町並みは、この“おれ”としてはまだ二度目だと言うのに、ひどく胸を打たれる思いがするのは、それだけここが大事な場所だったと言う事なのだろう。
黄昏に包まれオレンジを色濃く移す建物たちは、見ているだけで暖かみを感じる。

学校帰りだろうか。あのドーナツ屋も行列が出来るほどのにぎわいで、そのほとんどは学制服に身を包んでいた。
たった一人を除いて。


 それは、一瞬の出来事だった。
学生たちにぶつかりそうになってすんでの所を避けたその人物が、あ、とバランスを崩しかけた。

ファンキーなマゼンタ色の髪がさらりと揺れて、なおいっそうその人が浮き上がって見える。
おれはいつの間にか、その人から目が離せなくなっていた。

派手目なコートに、鮮やかなイエローのサングラス。

まるで夜の世界の住人というテーマの手本のごとく、しかし違和感を押さえつける堂々とした立ち振る舞いが、何とも言えないオーラをまとっていた。

考え込むようなポーズをしたかと思えば、腕組みをして苛立つかのようにかかとを慣らせてみたり。
何かに急かされているのか、やけにじっとしない態度だったが、不意にこちらへ視線をよこしてきた。

「……あ、」

ずっと見ていたのが、気づかれてしまったんだろうか。
だとしたら、恥ずかしいすぎる。そもそも、おれ自身気持ち悪いと思った。

だがしかし、おれの思想とは裏腹に、彼は口元をそっと綻ばせた。
そうして、会釈を軽くして、また列の前へと顔を戻す。

 気がつけば走り出していた。家までの通りをサンダルが削れる事も厭わず全力で。
あんな笑顔で、でもまるで他人に接するみたいに。
困惑する頭の中で、ドーナツにかけられた大人のあの手を思い浮かべる。
ドーナツが口元まで運ばれて、顔は、まだあやふやで。

(でも確かに、髪の毛が珍しい−マゼンダ色だったんだ)

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あきゅろす。
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