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Sainen

 黒いラインが特徴的な扉を横にスライドさせて外の世界へと踏み出す。
きしむレールからからりと乾いた音がひびくと、心が落ち着く気がして、おれは外へ目を向ける。
彩度がどこかぬけ落ちたようにうす暗く見える空は、確かに冬の空気をまとっていた。

(それにしては、全然寒くないけど……気温は高めなのかな)

自分の服装を確認して、さほど防寒性はなさそうだなぁとぼんやり思う。
冷えを感じないのだから、今日はきっと日差しが強くなるに違いない。
腕時計を指さしで確認しながら、おれはそっと足を前に出してみた。

 「改めて玄関を見てみたけど、あっちに門?が見えるって事はやっぱりここはでかいんだね」

もはや一人言も慣れっこだ。
やはり外というものは気持ちがいいと刷り込まれているせいか気持ちがいい。
閉鎖的な空気が漂う家を背にして、おれは門まで一直線。
少し、近所を散歩するだけ。それだけだから。

だから−鍵をしなくても、大丈夫なんて事はある訳ないのだけど。
施錠の方法が分からないのだから仕方がない。

「……行ってきます?」

外の世界に、もっと知らない記憶がある、この確信だけを胸にして、踏み出すそれは果たして。
ビーチサンダルがコンクリートを滑る音が気になって、歩きにくい。

歩き方も忘れていたんだ。きっと以前までのおれだったら、引きずらないように進めていたんだろう。
ペタリペタリとスタンプを捺印するがごとく大地を踏みしめておれは歩く。

見覚えのない風景は旅をしているようで楽しい。
新鮮味のある時間は窮屈な部屋とは打って変わって気持ちを入れ替えてくれる。

 何かに導かれるように人通りもまばらな道路を進んでいくと、少しずつ懐かしさを感じる物が見えるようになってきた。

「ドーナツ屋さんは、メインのドーナツよりコーヒーが人気なんだよね」

ふと頭によぎった記憶の断片は、嬉しそうな誰かの声。
骨ばった大人の指は目に入るのに、その主の顔は伺う事は出来ない。

それがどうしてか無性に悲しくなる気がして、おれはそっと目を閉じる。

(フィーリングに合わせて行けば、きっと会えるなんて事は思わないけど)

それでも。あんなに会いたかったその人のひとひらを掴む事が出来た。
これはきっと、好機なのだろう。

甘いドーナツと深みのあるコーヒーの混ぜたくった匂いを肺にためこんで、おれは後ろへと一歩下がる。
感動の反面、これ以上ここにいても辛くなるだけだと思った。
だから今日の所はここまで。

「っていうかカギも開けっ放しだから、そろそろやばいかも」

相も変わらず独り言は淡々と。
誰にも拾われていないのをいい事に言っていたけど、そろそろ引いた顔でもいいから気づいて欲しいものだ。

(前のおれって、結構喋るの好きだったのかも)

再びの新たな発見。以外ととんとん拍子に掘り起こされる記憶に、我ながらつっこみたくもなる。
それでも、目的がある以上はそのために進まなければならない。
それだけは、最初からはっきりとわかっている事だった。

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あきゅろす。
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