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Sainen

 西森フユキ。計算が間違っていなければおよそ十七歳、くらい。
アルバムに載っていた写真はほとんど一人の写真だったから、間違いなく一人っ子だ。

「誕生日は九月十日。誕生花はブバルディア……ってこれじゃあ小学生の時に渡されたヤツみたいじゃん」

文章を穴埋めする形で個人情報を抜き取る、女子がクラスメイトに配るものだ。
そういう些細な記憶は、一度不意に思い出すと簡単に戻ってくるのだった。

「そうそう、プロフィール帳だったね」

誰に言うまでもなく一人だけの家の中で反芻する。
しかしこの家屋は本当に広いようだ。
一人言を吐き出してもとがめられないのは、音がその場で吸収されているのもある気がする。

長い廊下の真ん中で両手をのばしてその場で軽くターン。
バレエのように動き回っても余裕があるほどのスペースがある。
廊下ですらこのゆとりスペースなのだから、きっと他の部屋はもっとひどい有様に違いない。

 ブバルディアって、なんだか発音はとてつもなく微妙だけど。
一度気になってしまっては先には進めない気がしたおれは、書斎と記された重厚そうなドアの前で立ち尽くしていた。

「この準和風の作りに洋館よろしいドア、似合わないね」

ふすまに蝶番を付けるような家だから、何とも言えないが、このドアノブを握るべきかは思案したいところだった。

「ここに入れば花の本とかあると思うけど」

でも、本能がここには入るなと告げているのだ。
理由は一切引き出せないが、もしかしたらここには誰かがいるのかも知れない。
これまで一人で動き回れた事の方が奇跡に近いのだ。

(書斎って言うと……“普通”だったら、父親がいるってイメージかな)

父親、ふとそこまで考えた瞬間に、再びよぎった感覚はあの強い強い光だった。

あまりのまぶしさに思わず目を瞑ると、まぶたの裏で再生された映像は、威厳のある大人の声色だった。

 「フユキ。ここには一人も−もちろんお前を含めて誰一人だ、入らせるんじゃないぞ。わかったな!」

思い出すだけで背骨に定規を突っ込まれたように寒気が走る。
何度聞いてもきっと慣れることがないであろうその張りつめた声は、一瞬でおれをドアから引きずり剥がすのに有効だ。

理由はまだ思い出せないが、ここに近づくのはあまりにも危険だ。

首筋を滝のように流れる汗が鬱陶しいが、これが身の上に刷り込まれている感覚だろうか。

 結局おれはブバルディアの意味も分からず、屋敷の中で他の人物に出会す事もないまま、玄関口に到達してしまう。
ゲームをした記憶はほとんどないが、レベルが足りず攻略出来なかったダンジョンを、レベリングしすぎて逆にサクッと進めるようになってしまった虚無感のような気分だ。
げた箱の中を開く。

違和感を覚えるほどに一足のサンダルがぽつねんと点在している。
口から吐き出される白い吐息から察するに多分季節は冬だと思うのに、それでもそこには似つかわしくないビーチサンダルしかいない。

「弘法筆を選ばず……?」

まぁ、歩ければ何でもいいか。
おれは古びてロゴの擦り切れたそれを手にして、そこに足をすべりこませる。靴下の上から履いているせいか、ゴムの素材が気持ち悪かった。

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あきゅろす。
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