少女の髪型


「やめとけ。あいつと関わると、お前もその内、痛い目に合うぞ」


あれは、誰に言われた言葉だっただろうか。










体格のいい男の人だったような気がする。
記憶が曖昧なのか、その人の顔をはっきりと思い出せない。

思い出そうとすると、ズキン、と頭が痛みだす。

度々、こんなことがあるので、思い出を辿る時って痛みも伴うんだな、とそういう認識を持ちつつある。


―――あぁ、痛い…。


もっと、思い出したいのに。


「箸が止まってるよ」


横合いから声がかかり、ハッ、と我に帰る。

急いで隣の雲雀さんに顔を向ける。

いつものような無表情の中に、どこか不機嫌な雰囲気が醸し出されているのを認めて、思わず引け腰になった。

え…これはもしや…。


「あんまり、美味しくありませんでしたか? その野菜炒め」

「……なんでそうなるの」

「あれ…?」


違う…? 違うのか。そうかぁ。
あぁ、よかった。

でも、それならどうして雲雀さんは眉間に皺を寄せて、難しい顔をしているのだろう。

心無しか気まずい。

とりあえず、野菜炒めを箸で掴み、口に入れてみる。

相変わらず、母とはちょっと違う味がする。
まだまだ未熟なんだなぁ、ぐらいに思ってはいるが、そういえば前もこんな味だったような気がする、と思い直す。

母の味は何処へ―――。


「……。今日の朝…」

「え…?」

「副委員長に何してたの」

「ふ、副委員長…?」


誰だ、その人は。
話しの流れ的に、風紀委員の副委員長というのはわかるが、どうにも正体が全く思い浮かばない。

しかし、程なくして彼の「今日の朝」という言葉にヒントを見出だし、もしやあの人のことだろうか、と思い至った。

同時に、朝のあの瞬間。彼に尋ねてみたかったことを思い出した。


「そうです! 雲雀さんにお聞きしたいことがあったんです!」


思い出せた嬉しさのまま、雲雀さんに身を乗り出すと、彼は虚を突かれたような表情をした。

まぁ、珍しい。
もっと見たいなぁ、と思った瞬間に、彼はまた無表情に近い顔になった。
あぁ、惜しい…。

ちょっと気分をしぼませながら、ようやく口を開くことにした。


「あの方、昨日、私の鞄を応接室に持って来て下さった方ですよね?」

「…そうだよ」

「本当ですか? よかった…じゃあ、合ってたんだ…。あの方にはそのことでお礼を言っていたんです。でも、反応が返って来なくて、まさか人を間違えてしまったのかと不安になってしまって…」

「あぁ、だからあんなことになってたの」


どこか得心のいった風情で雲雀さんは箸を進めだした。

……そんな外から見てもおかしなことをしていたのだろうか、私は。
……していたかもしれない。
何しろ『気付いてポーズ』をしていたのだから。
ミーちゃんいわく、「急にされたら一般人はヒく」らしい。

じゃあ、ミーちゃんは一般人じゃないのかというと、そういうことでもないらしい。
名付け親はミーちゃんなのに、ちょっと私に失礼ではないか、と今この瞬間、初めて思った。

あぁ、私ってば、鈍い。

あれ? でも風紀委員は一般人なのだろうか?
しかも彼は副委員長だ。
なんか、特別扱い出来そうだ。
あ、いや、でも、反応は返って来なかったしなぁ。

……やっぱり、一般人か。

はぁ、となんだか残念な気持ちになってだした溜め息を合図に、雲雀さんがこちらを見やった。


「さっきから溜め息が耳に障るんだけど」

「えっ!?」


思わぬ言葉に、反射的に息を詰める。
彼は至極、不機嫌そうに眉間に皺を刻んでいた。


「ご、ごめんなさい…!」


あまり文句を言わず、さほど喋らない彼が言うのだ。
自分では意識していなかったが、結構、溜め息が出ていたようだ。
これは、謝るしかないだろう。


「……あの、ちなみに何回ぐらいしてました? 溜め息」

「そんなもの、いちいち数えるヤツいないでしょ」


数えていたら面白かったのに…。
頭の片隅でそんなことを考えつつ、自分から振った話題はあえなく撃沈したことを痛感する。

雲雀さんは大変寡黙な人だ。
私は寡黙、とまではいかないけれど、話す方ではなく聞く側に回ることが多いので、こういう時、どうすればいいのか、わからなくなる。

随分、慣れたとは思うのだ。
最初なんて初めから緊張していて、常に頭の中は真っ白であったのだから。
あの頃よりは、この空気に焦りみたいな切羽詰まったような気持ちは穏やかになっている筈なのだけれど。

じゃあ、

――――なんだろう、この胸騒ぎ。

何かが警鐘を鳴らしているような、このざわざわとした胸の奥に燻っているのは。
どこかが、怖い、と震えている。

私は、何に恐れているのだろう―――。

雲雀さんに関わったら危ない、と散々聞かされたからかしら。

ミーちゃんは、“出会った”頃から私を気にかけてくれている。
それは、過保護だと思えるほど。
私が危ない目に会わないように。
とても大切に―――。


「ごちそうさまでした」


カチャッ、と軽い音と共に聞こえたテノールの声にハッ、と我に帰る。

見ると、雲雀さんはいそいそとお弁当箱をしまうところであった。

あぁ…、もう食べてしまったのか。

彼は嫌いな物がないらしく、洗おうと家でお弁当箱を開けると、いつも中は空になっている。

一生懸命作ったものを残さず食べてくれることは、とっても嬉しい。


「はい。お粗末様でした」


今現在、食事中の私が言うのもちょっと変な感じがするけれど、と内心おかしく思いつつ、彼からお弁当箱を受け取ろうと手を伸ばした。

すると―――


「髪、切ったんだね」


不意に手が伸びて来た、と思ったら、横髪を一房持たれていた。
さらさら、と彼の綺麗な手から零れ落ちる自分の髪。

突然のことにびっくりして、思わず身を退いた。


「なっ…どう、どうしたんですか? 雲雀さん」

「別に」

「そ、そうですか…」


別に、ってなんだろう。
どうもしてないってことだろうか。


「…………」

「…………」


なんだか、気まずくなってしまった。

わからない。
何の脈絡もなく、こんな急に触れられたのは初めてだ。
雲雀さんが、わからない。

同時に自分はおかしい、と思った。
女の子同士で髪は触りあったりするのは結構頻繁で、言ってみれば慣れたことなのだ。

けれど、これはどうしたことだろう。

凄くびっくりした…。
さっきの胸騒ぎ以上の、確かな心拍を感じる。

雲雀さんに触られたのは一房といっても毛先に近いところで、ほんの僅かな間だけだった。

明らかに、皆に触られてた時と比べたら“ちょっと”だけなのに…。

――――熱い。

のぼせてしまいそうな、何かに酔っているような錯覚が頭を支配しているみたいだ。


「―――髪、切ったこと、気付いてたんですね」

「……気付かない方がおかしいんじゃないの」

「そうでしょうか? でも、『髪、切ったね』と言って下さったのは雲雀さんが初めてですよ」

「へぇ…」


……ここで「なんで髪切ったの?」とか聞かないところが雲雀さんらしい。
それっきり会話が切れそうな気がして、慌てて私は言葉を紡いでみた。


「ちょっと思い悩んでて、それがどうしても行き詰まってしまうものですから、気分転換がてら髪を切ってみたんです」

「なんか、君らしいね」

「私らしいって…。毎回、こんなことはしませんよ。行き詰まる度にこんなことをしていたら、私の髪がなくなるじゃないですか」

「へぇ。君ってそんなに悩みなんてものがあるの」

「たくさんありますよ。日々悩んでると言っても、過言ではないくらいです。今でも、ちょっと悩んでるんですよ。例えば―――この髪型、ちゃんと私に合ってるのかな…とか」


誰も何も言わないものだから、不安ではあった。

ミーちゃんには髪を切った理由を言うなり鼻で笑われた感があったから、余計に。

そこら辺はしっかり乙女心を持っているようだ、と自分自身に安心している面があることは誰にも言うまい。


「まぁ、いいんじゃない。目もよく見えるし」

「!」


なんとも風紀委員らしいお言葉というか…。
やっぱり女子とは見てるところが違うんだなぁ、と少なからず感じた。

けれど、なんとなく褒められた気がして、心がホッとした。


「……早く食べなよ。授業に遅刻したら風紀が乱れる」

「はい。風紀委員長様」


わざとおどけて言ってみせると、彼はやっぱり難しい顔をして、持って来ていた本を開いたのだった。



(ありがとうございます、雲雀さん)



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