少女の入室
彼が歩を止めた。
私もそれに倣って止まった。
次に、ガチャ、となんとも開け心地よさ気な音が聞こえた。
ふと上を見上げてみたら、愕然とした。
少女の入室
目に入ったのは【応接室】と書かれてあるプレート。
「あれー…?」と自分の目を疑ってみるが、いくら見ても、それは変わらなかった。
薄々、「こっちは教室方面じゃなかったような気がするなぁ」、なんて思っていたけれど、だいぶ路線を外れていたようだ。
ここまできたら、いっそ清々しい。
そんな自分に、思わず拍手したくなった。
「あの、雲雀さん…?」
恐る恐る、目の前の彼に声を掛けてみる。
しかし、そんなことをしなくとも、彼は扉を開けてこちらを振り返っていた。
「入りなよ」
次は耳を疑った。
今、あんまり聞きたくないような言葉を聞いたような気がする。
入る? どこに?
…………ここに?
「む、ムリで――――」
「さっさとしてくれる」
私の言葉を最後まで聞かずに、雲雀さんは無情にも私に催促してきた。
なんだか一瞬泣きたくなった。
鋭い視線を結構近い距離からまともに受けて、思わず身体が竦みそうになったが、頑張って足を踏ん張った。
今まで穏やかな彼に慣れていたから、厳しい態度という不意打ちに、頭がほんの少しパニックに陥った。
しかし、これはさすがに頂けない。
「で、でも、私、一般生徒ですし、それにここは風紀委員の…」
そこまで言って、ハッと気付いた。
あれ? そういえば、目の前の人って…。
「………い、委員長、様?」
「何、いきなり」
「あ、いえ、ちょっと、だいぶ頭が混乱していたようで…」
そうだ。この人が風紀委員長だった。
最近毎日のように彼と昼休みを共にしているから、学ランに違和感が無くなっていたらしい。
その証拠に、今の今まで彼が風紀委員だということをすっかり忘れていた。
なんだか、申し訳ない。
友達がこれを聞いたら、「この身の程知らず!」とか言って怒りそうだ。
でも、忘れていたからと言って、別に彼のことを侮っているというわけではない。
むしろ私は彼を尊敬している面の方が強いと思われる。
理由が明確ではないけれど、とりあえず、なめてはいない。
「……整理はついたかい?」
「ふぇ?」
「……もういい」
彼はうんざりしたようにひとつ溜め息をつき、次の瞬間、こちらに腕を伸ばした。
咄嗟に身の危険を感じた私は足を半歩ほど後退させたが、彼の手によってそれは叶わなくなってしまった。
「ふわぁっ!!?」
ぐんっ! と周りの景色が動き、頬に風を感じた。
そうして、呆気なく部屋の中に入れられた。
つ、遂に入ってしまった…!
恐れていた事態が、と危惧していると、後ろからこれまた乱暴に背中を押された。
不意を突かれた衝撃に、前のめりになり、結構吹っ飛んだ。
その割に、まろびながらもこけなかったことに、自分の運の強さを褒めたたえた。
いや、そんなことより、何故私はあんな強く突き飛ばされたのだろう、と不思議に思い、彼に視線を向ける。
そうすることで、案外早く自分の疑問は払拭された。
見直した先には丁度、扉を閉めて、入室した彼がそこにいた。
さっき自分が立っていた位置と、彼の中に入って来た時の立ち位置を瞬時に照らし合わせてみる。
あぁ、邪魔だったんだなぁ。
のろまだと思われたのか、はたまた急いでいるのか。
そこら辺はよくわからないけれど、とりあえず、自分があのままあそこにいたら彼に迷惑をかけていたのだろう、ということはわかった。
……でも、言葉で言って欲しかったなぁ。
遠い目になりそうなのを一歩手前ぐらいに抑える。
同時に、少しの不満が頭を過ぎる。
言語は理解出来るのだから、そんな乱暴にしなくても…。
あ、でも…と思い直す。
もともと寡黙な人だから、これは仕方ないことだったのかもしれない。
あれだ。言葉じゃなくて行動で示すというヤツ。
……なんだか、使う場面がほんの少し違うような気もしてきた…。
とにかく、言葉でいちいち言うのはめんどくさかったのだろう、と辺りをつける。
これで本当に言語を理解していなさそうだったから、とか言われたら私は多大なるショックを受けると思う。
立ち直れるかどうかの瀬戸際。
……それだけは、イヤだなぁ。
「そこ、座って」
悶々と考えていると、次に彼はそんなことを言って来た。
そこ、と彼の目線を辿り、座る為の物体を見つける。
少し、驚いた。
なんなのだ、このソファー…。
漆を塗ったような光沢の黒色で、使い古されたような形跡がなく、新品同様にとても綺麗なソレは、私の目を釘づけにした。
さすが、応接室。とでも思えばいいのだろうか。
やはり、自宅よりレベルが違う。
「わぁ、凄い…」
改めて辺りを見渡す。
よくよく見れば、トロフィーや賞状が飾られていて、なんだか難しそうな威厳を醸し出しているファイルの棚があった。
客室なのにオフィスのような雰囲気に、ちょっとした面白さを感じた。
「……君、さっきから僕に喧嘩を売ってるの?」
無性にわくわくとしている最中、背後から不機嫌な声が聞こえた。
その声音に違和感を感じ、急いで彼に振り向く。
「え…? あ、あの、私、雲雀さんに嫌がらせをしたんですか?」
「……本当に、無自覚なんだね」
いい度胸してる。とぽつりと零された言葉に首を傾げる。
雲雀さん、もしかしてお疲れ…?
「大丈夫ですか?」
「…君が言うと、もはや嫌味だね」
酷いことを言われた。何故ですか。
「いいからさっさと座って」
「……もしかして、このソファーに、ですか?」
「他に何があるの。床に座るのはやめなよ」
恐る恐る聞いてみると、即、問い返された。
その後、私の心を読んだかのように彼はやや急いで「床はダメ」と付け足した。
「えー…」と尻込みしてしまったのは許してほしい。
だって、こんな綺麗なソファー。座るのが勿体ない、というのはさすがに度が過ぎているとは思うけれど、私が座るには、なんだかそぐわないような心持ちになってしまう。
「うぅ〜、でも…」
「……君ってホント、変わってる」
普通、喜んで座るもんじゃないの?
またもや深い溜め息が聞こえた。
……雲雀さんは喜んで座ったのだろうか。
ほんの少し、見てみたいなぁ、と好奇に駆られたのはここだけの話。
挙動不振気味にどうしようか、と雲雀さんを見つめていると、今度は肩を捕まれ、ソファーに押し付けるように座らされた。
わ、わ、わ…!
座ると同時に、感じるふかふかなソファーの感触。
なんて気持ちいいんだろう。
もうこれは高級品に決定だ。
あぁ、私なんかが座ってごめんなさいぃ…!
「あ…ごめんなさ…ッ!?」
謝ろうと顔を上げると、結構近い距離に雲雀さんの不機嫌そうな端正過ぎるお顔と出会う。
え、えぇ!? ち、近いっ…!!
決して彼の意図でないことはわかっている。
私を座らせようとして、必然的にこうなってしまったのだと、それは十分にわかっている。
しかし、あまりの近さと、慣れない美形に頬が熱くなってしまう。
間近に自分の品のない顔を見られたという羞恥心も上乗せされ、頭が一気に真っ白になった。
それでも、彼の顔はひじょーに目の保養になるし、綺麗だしで目が離せない。
わぁ…! ど、どうすればいいんだ、コレはっ…!
実質、焦っているのは私だけだろう。
雲雀さんは涼しい顔をしている。
「……何」
雲雀さんは途中で言葉をなくした私が気になったのだろうか。
肩に置いた手をそのままに、尋ねて来た。
「え…あの……」
もちろん、体勢もそのままであるから、もう私の心臓は張り裂けんばかりにバクバクとうるさい。
せ、せめてもう少し距離を置こう、と上体を背もたれにずらそうとしたところ、次の瞬間、予想外の事態が起こった。
「委員長! 持って参りました!」
(元気なリーゼントさんとこんにちは)
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