少女の提案
「…………じゃあ、頂くよ」
彼は少し沈黙を置いた後、意外にもオーケーしてくれた。
少女の提案
今日のお弁当がサンドイッチでよかった!とこれほど感動したことはないと思う。
普通のお箸を使わなければならないお弁当だったら、本当にどうしようかと思った。
手で食べて下さい、とも言い難いし、自分のお箸を彼に渡すのも、なんだか躊躇われる。
きっと、あの場合、私は既にお箸に口をつけている筈だ。そんな恥ずかしいことは、とてもじゃないが出来るわけがない。
もうどうにでもなれぇ!と半分ノリで言ったので、「もし…」の状況を考えたら八方塞がりだった。下手したら、死ぬ。
だから、この瞬間、お母さんのナイスサンドイッチチョイスに私は感動している。
なんだろ、お母さんって私の未来がみえてるんだろうか。
なんにしても、ありがとう、お母さん。
そしてそれを食べてくれる雲雀さんも、ありがとう!
心が震える影響がカタカタと手に乗り移らないように必死に抑えながら、雲雀さんに弁当箱を差し出すと、彼はゆっくりとした動作で一切れ取った。
初めて見た至近距離での雲雀さんの手は、綺麗だった。
なんでも綺麗だな、この人。
とか思ってる間に、雲雀さんはサンドイッチを一瞥した後、パクリと食べた。
数回咀嚼して、こくりと喉が上下したのを見て、どうなんだろう、と彼の様子を伺った。
「………………」
ちょっと待った後、彼はまた食べ始めた。
あの間はなんだったのだろう。
てっきり、感想を述べてくれるのだろうか、と思っていたから不意を突かれた気分だ。
それでも、嫌な表情をしていないし、表情が変わっていない辺り、別段思うこともないのだろう。
私的に少し残念だな、とは思うけれど、これはこれでいいのかもしれないと感じている。
さっきより心は軽くなったのだから、欲張る必要はない。
どうにか目標を達成出来たのだ。嬉しくないわけがない。
満足感で溢れた心を暫く噛み締めていたら、ふと彼と目が合った。
どこかふて腐れたような印象を受ける表情と出合って、内心焦りが走る。
どうしたのだろう。
「君、人に食べさせておいて自分は食べないわけ?」
「は?…あ…」
彼の言った言葉をようやく理解して、私は気付いた。
あぁ、やってしまったな。
「ごめんなさい。ちょっとぼーっ、としてたみたいで」
いけない、いけない。
自分を奮い起こしながら、サンドイッチに再び手をつける。
うん、お母さん、今日も美味しいよ。
それにしても本当に、いつでもどこでもこの癖は発動するらしい。
幸せを感じる時、大抵私は自分のことを忘れる(らしい)。
その様を何度も見ている友人が、よく私のこの状態のことを『ほんわかしてる』と言う。
他人は見ているのだろうけど、自分のことを忘れてどっかに精神が飛んでっちゃってるんじゃないの、と友人に疑いをかけられる不審な状態なのだと聞かされた。
私はそんなことない、と認めてはいないのだけれど、今のはちょっと『ほんわか』していたような気がする。
う〜ん、まさか、かの有名な風紀委員長を前にしても発動するなどと思ってもいなかった。
しょうもないことを悶々と考えていたら、二人の無言の昼食はやがて終わりを告げた。
大して大きくもない弁当箱だっただけに、すぐさま完食されたようなものだった。
いつもより断然に早い終わりに呆気なさを感じていたら、隣から声をかけられた。
「ねぇ、君、あんまり食べてないようだったけど、足りたの?」
「へ?」
早かったなぁ。
雲雀さんめっちゃ食べるじゃん。
お母さん凄いやぁ。
などと頭の中でまたもや母親尊敬度を高めていた最中だったので、まともに彼の言葉を聞いていなかった私は間抜けな返答をしてしまった。
その瞬間、ムッとした彼にちょっと危機感を抱いたのはここだけの話。
「君、ちゃんと人の話は聞きなよ」
「あ、はい。ごめんなさい。…えと…それで、どうかしましたか?」
再度気を取り直して彼に尋ねてみると、ホント大丈夫か、こいつ、みたいな顔をされた。
そんな疑われること、したっけ。
「……君、あれだけで足りたの?」
もう話すのも怠くなってきたのか、彼は私の手の中にある弁当を指しながら抑揚のない声音で尋ねてきた。
その内容に私はちょっとびっくりした。
何かと聞くのは彼の傍若無人な態度と行動で、『悪い』噂ばかり。
群れるのも嫌い、近づくくらいなら咬み殺す的な衝動の持ち主だとばかり思っていただけに、まるで私のことを気にかけてくれているような言動に意外性を感じずにはいられない。
「…そうですね。いつもより少ない気もしますけど、なんとなく足りたような気がします」
自分でも奇妙なことを言ったと思う。案の定、彼は眉を顰めた。
私、日本語から勉強するべきなのかもしれない、とここ最近強く感じる。
なんだか彼にそんな目で見られると、落ち着かない。
「……意味わかんないんだけど」
「(やっぱ日本語からだなぁ)とりあえず、『足りた』ということです。わざわざ気に掛けて下さり、ありがとうございます」
「………………」
彼は暫く私を見ると、短い嘆息を吐き、ゴロン、と寝転びだした。
……そんなすぐに寝転んで大丈夫なのだろうか、と懸念したけれど、彼の涼しい顔を見る限り大丈夫そうだ。
「やっぱり君と話すの疲れる」
彼に掛かる木漏れ日で、今日もいい天気だなぁ、なんて呑気に思っていたら彼にショックなことを言われた。
疲労感溢れた顔をしていないのに、疲れたなんて。しかも今のは明らかに私に対して失礼ではないだろうか。
あまり言葉を交わしていない割に『疲れた』などと言われる原因はどこにあっただろう。
というか、これって遠回しに『喋るな』と言われているのだろうか。
謎だ。
「えと…ごめんなさい…?」
全ての主導権はあちらにあるように思えたので、とりあえず謝罪。反論なんて、する気もしない。
「…あの、雲雀さんは足りましたか?」
数分もしない内に沈黙が耐え切れなくなり、いつの間にか私はそんなことを聞いていた。
いつもなら、沈黙は居心地がいいくらいだったのに、気になることが出来てしまったらこの沈黙は酷くもどかしい。
それを打ち破るように、知らず知らずに私は彼に目を向けて話し掛けていた。
「……足りるわけないでしょ」
それはそうですよね。
成長期真っ盛りの男子なんですもんね。
予想が見事に的中してくれたことに少し安堵した。
そこで『足りた』と言われたらかなりびっくりしていたと思う。
「…ですよね…。あの、今度からは一緒に食べません?」
「は?」
「だから、一緒に食べるんです」
「言ってることはわかってるよ。君と一緒にしないでくれる」
なんて言われようなんだ、私。
「…じゃあ、なんで『は?』って言われたんですか、私」
「君、自分の言ってることわかってる?」
「え?」
なんだろ。問題発言をした覚えなんてないんですが。
本当にわからない私に彼は寝転んだままの姿勢で私を見上げてきた。
「……なんで僕に向かってそんなこと言うわけ? 僕の性格、知らないわけじゃないでしょ」
それは群れてる奴らを見ると苛つくというヤツだろうか。
そんなの今更だし、別に現在進行形で群れちゃってる私からしてみれば気にするに値しないことだ。
彼の思うことがよくわからない。
「でも、雲雀さんがここにいるんです。雲雀さんじゃないと、一緒には食べれません」
ここにいるのは雲雀さん。
雲雀さんの意志でここにいるのだし、私も自分の意志でいる。他人に促すより、自然とこう在るのだから、それを利用する手はないだろう。
誰も来ないのだったら私は一人で食べれるけれど、二人ならば話は違って来る。
よって、雲雀さんしかお相手はいないのだ。
何もおかしなことなど言っていない。
断言してみせれば、彼は僅かに目を見開いた。
「……君って、僕の信念をことごとく歪ませるよね」
生意気だ、と視線を逸らされ、彼は緩慢な動作で起き上がった。
彼の言ったことがよくわからなくて首を傾げると、彼は私をチラリと一瞥して口を開いた。
「持って来るのは面倒だから、君が作ってきてよ。そうしたら食べてあげないこともない」
「え、本当ですか!?」
「嘘はつかないよ」
言うが早いか、彼は立ち上がり、軽く葉っぱを払って校舎へと歩き出した。
不意な展開に頬を赤く染めた私を一人残して。
(明日も変わらぬ日々。あなたと二人)
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