Wonderwall








『こんな"その後"なら要らなかった!』


ここで再会してすぐ。
事態を把握するなり、ペトラは苛立ちのままに叫んだ。中でもその一言は、オルオを少なからず傷つけた。
オルオだってここへ来た頃は何度か似たようなことを叫んだ。どうして消えてくれないのかと自分の身体を掻き毟り、ここもひとつの地獄なのかと見えないものを呪った。そのうち自分の腕を見下ろして、これを身体と呼べるのかも怪しいのだと気づくと、何もかも空しく思えた。
ペトラが現れて、確証はないとは言え一応納得できる理由が見つかってからは、オルオはすっかり平静を取り戻していたが。ペトラはこの数日とも数年とも知れない間の暴走を見るかぎり、どうもまだ冷静じゃない。
この闇雲な暴走は拗ねているのが半分と四半分、僅かでもここを脱け出せる可能性に賭けているのが残り四半分てところだろうと踏んで、オルオはずっとペトラに付き合ってやっていたが。
もしかすると。
もしかしなくとも。

お前、とっとと終わりにしたいのか?

訊けるはずもない問いが浮かんで、オルオは目を細めた。

なりふり構わず死にたいか。

まさかそんなことは、オルオは尋ねはしない。
ペトラはただ前を行く。その姿を、オルオはただ注意深く見つめた。
ペトラは今は壁を撫でる自分の指先に目を落としているようで、オルオからは辛うじて睫が窺えるくらいだ。頬の輪郭は耳元で窪みを作り、首筋に続いていく。髪の隙間からその線が柔らかに覗いている。線の流れはジャケットの下に隠れて背中までを追うことは出来ないが、思い描くことはできる。遠い昔のような先刻、その身体を抱いて確かめた。しなやかな筋肉と腱は鍛錬によるものだ。指先から肩まで、肩から腰、腿まで。全ての部位がそうあるべき理由をもって形作られた、健やかな兵士の身体だ。それを覆う滑らかな肌は、これはペトラの持ち前のものだ。まだろくに剣もふるえなかった頃から変わらない。白く薄い皮膚はまだ少女と呼べた頃のそれと、おそらく何ら変わらない。今は見えない瞳の色も。歩むごとに揺れる髪の色も。

美しいと思う。
かけがえなく。

それもこれも、もうお前には価値の無いものなのか?
だから俺に差し出した?

無論そんなこと、オルオは間違っても口にはしない。
オルオはあくまで、努めて伝えるべきことを伝えようとしていた。

ペトラ。
俺は冗談は言っていない。
少なくとも今は冗談は何も言ってない。
このままここでこうしてるのだって悪くないと、俺は本気でそう思ってる。
この前のアレは、どう考えたって急過ぎた。ムードも手順もへったくれもなかった。
なあ、ペトラ。
俺はただお前を口説き直す時間が欲しいだけだ。
ここにあるのは時間くらいで、時間だけは反吐が出るほどここには満ち満ちている。
考えてみりゃそれって、結構贅沢な話じゃないか。
俺達にはいつだって足りなかった、最も足りなかったもののひとつだ。
こんな風にただ歩き回って履き潰すくらいなら、使えるだけ使ってみるのも手じゃねぇか。

あくまでオルオが言おうとしていたのは、そんな言葉だった。
口をついて出れば全く違う台詞に変質したかも知れない。言葉足らずで誤解を生んで、ペトラの怒りの火にまた油を注ぐことになったかも知れない。
それでもオルオは口を開いた。
さしあたっては、一番重要なことを告げるつもりで。
そこへ。

「……止めてよ、そういうこと言うの」

振り返らないまま肩越しに投げてよこされたペトラの声は、いやにはっきりとオルオの耳に届いた。
見計らったかのようなタイミングにギクリとして、オルオは思わず足を止めてしまった。

「急に弱気にならないでよ……調子狂う」

そう呟いて少し笑って、ペトラはますます俯いて首を傾けた。皮肉気味とは言えここへ来て初めてペトラの声に笑みが混じるのを聞いて、オルオは立ち止まったきり動けなかった。
見透かしたようでいて見当外れなことを言うペトラに、どうにか、うるせえよ、とだけ、声には出せないまま毒づく。

「何も言ってねえよ……」

足が動くのを確かめて大きく一歩を踏み出し、当てずっぽうで知った風な口聞くんじゃねぇよと、オルオは舌打ちを堪えた。

何で女ってのは"お見通し"が好きなんだ?

ペトラに訊けば蹴りつけられそうな疑問を転がして、オルオは堪える理由もねえな、と舌打ちを溢す。

同時。
ペトラが足を止めた。

ズカズカとペトラに歩み寄っているところだったオルオはまたも虚をつかれて、今度は否応なしに立ち止まった。立ち止まるだけでは追いつかず足がよろめいて、一歩二歩後退る羽目になった。

「……え?」

ゆっくりと。
そのくせ一瞬のうちにペトラが振り返る。
今まではせいぜい横顔をおざなりに向けるだけだったのが久しぶりに、本当に何年かぶりに身体ごと正面から、ペトラはまともにオルオと向き合っていた。

「え……」

向かい合って、オルオは訝しむ。
ペトラはこれ以上なく目を見開いて、僅かに唇を開いたまま、何を言うでもなくオルオを見つめていた。霧のせいか酷く青白い顔をして、何故か、酷く怯えて見えた。

「なに……?」
「……ペトラ?」

オルオに対してというよりも自分自身に投げかけるような疑問の声だった。心なしか震えて聞こえ、オルオは徐々に不穏さに気づく。
目の前でペトラの顔がいっそう青ざめて見え、オルオはわけが分からないまま、ただペトラを見守るしかなかった。

「おい……」
「何? 今の……」
「? 何がだよ」
「オルオ……」

ペトラがあんまり恐怖を露わにするものだから、オルオはつい自分の背後へ視線を向けた。当然に何も見えない。濃い霧が広がっているきりだ。それだけを確かめて再びペトラに向き直る。首を戻す直前、ほんの僅かに違和感を覚えた。そう言えば歩き始めてから自分は一度だって背後など気にしなかった。背後どころか周囲に殆ど目を向けて来なかった。無論だから何だというわけでもない。見渡したところで霧しかないのは分かりきっていたし、何の気配も音も感じなかったのだから別段不自然なことじゃない……

「ねえ、オルオ。今……」

とりとめのない考えはペトラの声に遮られた。俺よりまずこいつだと、オルオは散り散りになった微かな違和感など追い払ってしまう。
ペトラは食い入るようにオルオの目を捉えたままで、まるでそれ以外のものを見ることを恐れているような様子だった。

「今、何か言った……?」
「今っていつだ。おい、ペトラ。落ち着け。何を……」
「じゃあ、何か、"思った"……?」
「……は?」


「『とっとと終わりにしたいのか?』って……」


ペトラの言葉に。
子供のように怯えたのは、ペトラ自身だった。
唖然として声にならないオルオを前に、ペトラは掌で口を覆った。細い肩が震えて、吐き気を堪えているのだと見た目にも分かった。





memo




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