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どうにでもなれという破れかぶれが半分。どうにかなるならその前にコイツを一発ぶん殴っておきたいという破れかぶれが半分。
気の遠くなる沈黙のあいだ、ジャンの頭を押さえつけていた。
どうして俺はこう、取り繕えないんだろうな。
そんな、空しく自分を落ち込ませる思いも、多少はある。
少しずつ膨らんで、ジャンの意気を萎ませていく。
大馬鹿野郎は俺か?
こんなもん、まともに応えるのが間抜けなのか?
『とんでもない!』
とでも言って。
何も知らない優等生の面で。
『とんでもない! 彼は良い友人です!』
とでも、言えって?
ありえねーだろ。気色悪い。
けど、じゃあ。
たかが気色のために、俺は自分で自分を追い詰めるのか?
何のために。
クソ。クソ!
次第に目眩がしてくる。
椅子の固さがジャンの背骨に触れる。
座っていて幸いだったと思うべきか。ジャンは迷う。
扉は背後、上官は机越し。臆病心が誘惑に駆られる配置だ。
マジに後ろ暗いところがあるなら実際自棄を起こしていたかも知れないと、ジャンは見えない扉と自分との距離を探る。
もっとも逃げ出す余地などありはしない。扉の向こうに兵が控えていないとも限らない。
第一、天下のリヴァイ兵長殿を前にして、この程度の間合いが逃げ出す余地に入るはずもない、と。
やがてリヴァイが口を開くまでの数秒。
実際は息を止めたままでやり過ごせる程度の沈黙の間。ジャンは今の内だと悪態の限りを尽くしていた。
表面だけは張り詰めたまま、閉ざした口の奥で毒吐き、リヴァイの出方を待った。
ジャンの緊迫などつくづく素知らぬ顔で、リヴァイはまるで呆けた面でいた。
何かを結ぶ糸がふっつりと切れたように窓の外へ顔を向けたかと思えば、ふと空など見上げている。
空は灰色に眩く、リヴァイの横顔を影に浮かび上がらせる。ちょっとした考え事を耽るようにも、ただ雲の流れに見入っているようにも見える表情だった。
ジャンに行動を起こすことを誘っているつもりなら、あまりにあからさまな芝居で、あるいはもしも、何の他意もなく。何もかもがジャンの杞憂なら、あまりにヒトをないがしろにした態度だった。
どっちにしたってジャンの腸が煮えくり返ることに変わりはない。
次にどんな言葉が投げかけられるにしても、もう自分の反抗心は隠せそうにない。
胸のムカつきが上ってくる気がして、ジャンは無理矢理に唾を飲み下した。
ねばついた喉が蠢き。
ジャンの喉奥が鈍く鳴るのと。
「……ハ」
リヴァイの声が低く部屋に響いたのが、同時だった。
「良い同期じゃねえか」
一人言にしては、いやにハッキリと良く通る声で。
何ということもない調子で呟いたリヴァイに、ジャンはまず困惑した。
次いで怒り。そしてやはり困惑。同時に再び怒り。
このクソ野郎が。と。
リヴァイの次の言葉次第では、ジャンは椅子を蹴って立ち上がっていたかも知れないが。
「お前に言ってんだ。エレン」
ジャンの頭が混乱の一色に取って代わったのは、一瞬の後だった。
ギイイイイ、と。
突然の耳障りな音に、反射的にリヴァイの視線を追って。
部屋の隅。
窓の連なりの奥。
書庫へ続いているらしい小さなドアの存在など、今の今までジャンは目にも留めていなかったが。その木の扉がおもむろに、ゆっくりと軋んだ音を立てて開き。
そこからおずおずと。
「は……?!」
おずおずと、としか表しようのない癇に障る鈍臭さで。
おずおずとエレン・イェーガーが姿を現し、ジャンは盛大に椅子を蹴りつけて立ち上がった。
「え……!」
椅子の倒れる音が派手に響き、ガクリと重心が下がった。階段から落ちたような衝撃が膝から腰を貫き、ジャンの心臓を縮めた。たたらを踏んで後ろに転げそうになるのをどうにか持ち堪え、ジャンは目を見開いてエレンに見入った。
「はっ? え……?!」
エレン。
エレンだ。
何てこともない。
気まずいんだか何だか、相変わらず腹の立つ物言いたげな顔でリヴァイを見て、それからジャンへ目を向けて、一度しっかりと目が合うと、気まずいんだか何なんだか、また胸糞の悪くなるぎこちない表情で視線を逸らし、再びリヴァイ兵長殿のご機嫌を窺って。
唐突に出現したエレン・イェーガーは、相変わらずジャンの神経を逆撫でする煮え切らなさでおどおどと二人を見比べて、ドアを出たきりそこから動くこともなかった。
もっともジャンはジャンで動けない。
呆然としてエレンを見つめたまま。
ジャンは。幻覚に苛まれていた。
何か。
何故か。
そんなもの、あるはずものない。
何故そんなものが見えたのかも分からない。
分からないが、何故かジャンはエレンの背後に
『大成功』
と書かれたプラカードを、はっきりと見た気がした。
無論そんなもの見えはしない。
何も見えない。何も聞こえはしない。
何が聞こえたところで無論そんなもの、幻聴に違いないが。
それでも確かに、ジャンはエレンの姿を見留めると同時。
デッデレー!
と。
表現するなら、そうとしか表現しようがない。
何か大音量の効果音が部屋に響くのを、はっきりと聴いた気がした。
そんな幻覚のもたらす、ぶっ倒れてしまいたいような目眩の中。
ジャンは瞬きも出来ずにエレンを捉えたきり、一ミリたりとも動けずにいた。
「……行くぞ。キルシュタイン」
固まったきりの二人を余所に、さっさと立ち上がったのはリヴァイだ。
「今日からウチの所属だ」
あくまで何ということもない調子で、何事も無かったかのように。リヴァイはジャンの元へ歩み寄り、傍らを通り過ぎる。
肩がすれ違う一瞬も、ジャンは動けなかった。
空っぽの頭に、リヴァイの足音を背後に聞いて。
「……えええーれーんー!!」
ジャンが隙を見てエレンの胸ぐらを掴み上げ物陰に連れ込んだのは、それからすぐだった。
「何だ?! 何なんだ?! 何なんだ!! どういうアレだ!! ああっ?! 嫌がらせかっ!!」
「お前、離せって! 服が皺になるだろ!!」
「バッ!! まったテメーはーッ!!」
両手でジャケットを掴んでジャンが力任せに揺さぶると、エレンはガクガクと人形のように首を揺らした。
抵抗の無さにますますジャンの頭に血が上る。
「俺だって分かんねえよ!」
「分かんねえわけあるか! 説明しろテメエ! このクソ野郎!!」
エレンの首がもげるまで続けるつもりで、ジャンは肘を曲げては思い切り腕を伸ばして突き放し、また引き寄せる。
頭の片隅では完全な八つ当たりだと分かっていて、リヴァイ兵長殿に物申す度胸は無いから手近な所で鬱憤を晴らそうとしている、自分の小心を嘲る自身もいたが。今は自制より怒りが勝って、ジャンは歯を剥き出してエレンに詰め寄った。
「だ、だから……」
エレンの手はジャンの腕を掴んだきり、振り払うでも捻り上げるなく遠慮がちに添えられたままでいる。
たとえ反撃でもエレン・イェーガーが同僚に暴力を振るうのは不味いという躊躇いだろう。あるいはリヴァイ兵長に言い含められているのかも知れない。いけ好かない面を思い出し、ジャンはますますギリギリと掴んだ上着の生地を軋ませて、エレンの首の根を絞め上げる。
エレンは脳ミソが揺れるせいか窒息しかけているのか、視線をふらふらと泳がせていた。ええとー、と呻きを漏らし、宙を見上げる。どうにか続いた言葉はどこかふわふわと危なっかしく、酔っ払いのような声だった。
「だからー、えっとー、お前がウチの班に志願したって聞いて、でー、兵長に、正直どうだー、同期ってー、みたいなこと聞かれて、でー、『あー、アイツあんまり仲良くなかったんでちょっとビミョーですー』みたいな感じのことチラッて言ったら、兵長が『じゃあちょっと呼び出してやるからお前そこ入ってろよ』って」
「 完ッッ 全ッッ に お前が元凶じゃねーかーッ!!」
声を抑える気も起こらず叫んで、ひときわ大きくエレンの頭を引き離した。精一杯振りかぶっておいて、ジャンは歯を食い縛る。
そのまま力の限り腕を絞り、エレンの頭を振り子の原理で引き寄せると、ジャンはエレンの額にカチ割る覚悟で、思い切れる限りの勢いで自分の額をぶつけた。
ゴッ!!
閃光。
衝撃。
視界が白み、顎が鳴る。
頭蓋にビリビリと痺れが走り、雷のように全身を貫く。
膝が震え、脚が折れそうになる。
掴んだエレンのジャケットに縋るようにして、ジャンは崩れ落ちそうになる身体を支えた。
「か……」
「……ジャン。お前、平気か?」
「るせえよ……クソ……」
クソ石頭が。
どこまでも人を馬鹿にしやがって。
全くの素で心配そうな声までよこすエレンの肩を掴み、ジャンは這い上がるようにして身を起こし、どうにか自分の足で立った。涙で滲む視界に二、三度瞬きして、滴が落ちないのを確かめて、顔を上げる。
しぶとくエレンの胸ぐらを掴み直し、ジャンが再びエレンを睨みつけると、エレンは何かうっすらと憐れみのようなものをたたえて、やる気なくジャンの顔を覗き込んでいた。
「……何なんだ、何なんだ! 馬鹿か?!」
「何がだよ……」
「お前と兵長だ! 何だ! ヒヨりやがって!」
「はあ?」
馬鹿はどっちだよと言いたげな顔から、エレンが怪訝そうに眉を上げる。
何を言っているのか見当もつかないという表情に、ジャンは危うくもう一発頭突きをお見舞いしそうになった。さすがに堪える。二発かまして立っていられる自信はちょっと無い。まだ指先が震えて感じる。何だか鼻の奥もおかしい。大体何発かました所でエレンはノーダメージだ。畜生が。
「しっかり懐柔されてんじゃねーよ馬鹿がッ! 大人しく殺されてえのか、このクソ馬鹿!!」
ジャンが声の限り怒鳴りつけると、まずは鼓膜が痛んだのか、エレンは険しく顔をしかめた。
だが押し黙ったきり言い返さないところを見ると、ジャンの言い分は理解したらしい。
苦い表情で視線を逸らすエレンに、ジャンはまたクソ忌々しい男の顔を浮かべて舌打ちする。
何だ? 何なんだ。こいつ。こいつら。
それが今日から先、何度となく繰り返すことになる疑問だとは、ジャンはまだ知るはずもなかったが。
「何だ」「何なんだ」をグルグルと巡らせて、ジャンはまた目眩がしてくるのを覚えた。
拗ねたような、子供がわざとらしくシュンとして見せたような顔で俯いて、何やら言葉を選んでいる。気色悪い面のエレンを見下ろして。
『エレンを生かすか殺すかの判断』
『お前にそれが出来るか?』
『権限は与える』
『殺せるか否かは問題じゃない』
エレン。
お前、全部聞いてたんだろ?
あの野郎は、全部お前に聞かせるつもりで話してたんだろ?
ふざけた真似しやがって。
何なんだ。
それで何でお前そんな、ヘラヘラヘラヘラ、フワフワフワフワしてられるんだ?
何なんだ、こいつ。
トロスト区襲撃前。
全てが変わる前夜。
同期の前で啖呵を切ったエレンとはあまりに結びつかない姿に、ジャンは気が遠くなる気がした。
後々になって頭を冷やして話し合えば、案外エレンとも有意義な言葉は交わせた。
丸3年余所余所しくしていたアルミン・アルレルトと、今になって旧友として語り合えたように。
後日聞かされたエレンの言い分はまあ分からないものではなかった。相変わらず腹の立つほどもっともで、生涯理解したくないほど理解できるものだった。
が、今は関係ない。一切関係ない。
「……ジャン」
やがて、エレンが不服そうな顔で口を開いて。
「お前……どうあっても殺さないって言ったじゃねえか……」
「言うなーーーーッ!!」
苦々しい顔のままで苦し紛れに呻いたエレンに、ジャンの怒りは頂点に達した。
衝動に任せてうっかり二度目の頭突きをエレンに食らわせて、ジャンは今度こそもんどり打って泣き出す羽目になった。
(人員不足がウチの持病とは言ってもな……)
その二人を遠巻きに眺めて。
リヴァイは止める気も起こらず苛立つ気にもなれず、ただ肩を落としていた。
あるものでやり繰りせざるを得ないウチの台所事情では贅沢も言ってられないが、それにしたって早まった人事だったかも知れない。
何故か涙目でエレンに追い縋っているジャン・キルシュタインと、逃げるでも避けるでもなく困り果てた顔でいるエレンとを見比べて、まるで痴話喧嘩のような不気味な光景を遠く見やって。
臆病なのか命知らずなのかよく分かんねえ男だな、というのが、リヴァイの正直な感慨だった。
自分に真っ向から敵意を向けてくる馬鹿は多くないが、目に留まらないほどでもない。調査兵団内となれは殆どゼロと云って良い程だが、決して皆無ではなかった。
だが、エレン・イェーガーの胸ぐらを掴んでさんざん揺さぶり回し、頭突きをかましておいてよっぽど痛かったのか自ら崩れ落ちた挙句、当のエレンに泣きついてのける人間というのは、ちょっとリヴァイには思い当たらない。
あのガキに率先して触れたがるのはハンジくらいのものだ。もっともハンジはあくまで被験体への好奇心から目をギラつかせているだけで、"エレン・イェーガー"に率先して触れようとする者は、今のエレンの身の回りにはまずいない。
だから何だってわけでもないが。
何にしても。
(分の悪い賭けだ……結果は見えてる)
胸の内に嘆息し、リヴァイは気怠げに目を細めた。
エレンが抵抗しないのを良いことにジャンはまたエレンに掴みかかり、首を絞め上げにかかっていた。
のらりくらりと面倒くさそうに答えるエレンの言葉がいちいち油を注ぐのか、一向に怒りが収まる気配はなく怒鳴り散らしている。
何が『自ら傷つけることはありません』だと呆れてみて。ジャンがエレンを殴りつける様子はないのに気づき、リヴァイは眉をひそめた。3年いがみ合ってりゃエレンの石頭加減くらい知れるだろうと思い至り、リヴァイはますます表情を険しくする。
吉と出るか。凶と出るか。
いずれにしても。
(こいつが死ぬと、またエレンが厄介だな…)
だがそれは誰が死んだって同じだ。
同じはずだ。
感慨にケリをつけ、そろそろ蹴るか、とリヴァイは一歩踏み出した。
end.
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